Christmas Carol ...2

 クリスマス前の日曜日、インベルグ一家は娘のたっての希望により、六本木ヒルズにほど近い高級フレンチ・レストランにやってきた。例年は家で過ごすクリスマスだが、今年は父親の仕事の関係で当日は一緒に過ごすことが出来ない。そこで、この機会に行ってみたかったレストランで食事をしたいとおねだりしたのだ。
 可愛い娘のためなら……と言って安易にお願いを聞くほど、レオンは甘い父親ではない。当然のことながら、期末試験の成績次第、ということになった。これは点数維持ではなく、限りなくトップに近い順位を取れ、という意味である。中の上辺りをウロウロしている彼女と違い、黙っていても学年トップクラスの成績を維持している双子の弟は、そのために必死に勉強する姉の姿を呆れて見ていた。しかし、試験後に貼り出された成績順位トップ20人の中に姉の名前を見付けた時には、素直に驚いたものだ。そして祝福もした。
 こうして晴れてめでたく、インベルグ家ご一行は六本木ヒルズ前にある、高級フランス料理の店にやってきたのだった。

 
 

 日曜日の夜、それも師走のこの時期。渋滞していないはずがない道路を車で移動するのは愚の骨頂、とばかりにレオンは迷いなく電車での移動を選択した。愁介の想像に違わず美形親子の四人は、駅構内、車内、六本木と、どこにいても目立っていた。勝手に写メを撮られようが、肖像権の侵害などどこ吹く風で、娘は楽しそうに両親と談笑している。学校ではこんなことは日常茶飯事で、下手にリアクションすれば騒ぎが大きくなるのは、経験上熟知しているのだ。親たちも自分の容姿に自覚があるため、今更止めさせようという気も起きないのだろう。六本木を歩いていても、イルミネーションより人目を引く四人だった。
 予約を入れていたそのレストランに入ると、初老の支配人が四人を恭しく迎えた。クロークでコートを脱ぐと、それまでとは違った煌びやかさが感じられた。
 特に目を引くのがレオンで、綺麗な男は見慣れている敷島でさえ、一瞬仕事を忘れて見惚れたほどだ。白磁を思わせる透明感のある肌、一本一本が輝きを放っているように見えるプラチナブロンドの髪が、整いすぎて見える顔の造形を更に増長させている。ごくありふれたデザインのグレーのスーツも、この男が着るととてつもない高級品に見える。
 レオンの傍に立つハニー・ブロンドの美女は彼の妻。やはり透き通るような白い肌に、蒼の瞳が鮮やかだ。豪奢な金髪の巻き毛をアップにし、光りを放つイヤリングが更にゴージャスさを演出している。本来地味なはずの茶色いカクテルドレスが、彼女が着ると煌びやかに見えた。
 その美女の横で、娘は興味深そうに周りを見ている。父親譲りの美貌だが、長いプラチナ・ブロンドをポニーテールに結っている姿は快活な印象を与えている。陶器のような白い肌に、大きなリボンのついたワインレッドのワンピースがよく映えていた。
 そしてレオンの妻とは反対側に立つ、スーツ姿の少年。母親譲りのハニー・ブロンドは緩くウェーブが掛かっていて、既製品の紺色スーツが豪華なブランドスーツに見える。娘とは同じ歳だが、落ち着いた振る舞いが年上のように感じさせた。
 たまたまクロークに居合わせた、この店のボーイと食事を終えて帰る客が、この四人を見てあぜんと口を開けている。徹底した教育を受けているはずの店員までもが、完全に仕事を忘れるほど、この四人の存在は際立っているのだ。
 敷島が四人をフロアの一番奥のテーブルに案内する。レオンとその家族を一目見たフロアの客は皆、手を止め口を止め、目は四人に釘付けとなっている。ざわめいていたフロアが、一瞬無音になったほどだ。
 四人が席に着くと、金縛りから解けた様に客たちが再び動き始めた。しかし、さっきとまったく同じという訳にはいかず、会話は途切れがちで食事もスムーズとはいかなくなった。美男・美女は見慣れているはずのセレブな客たちが、レオンとその家族にすっかり気持ちを奪われてしまったのだ。
 周りのそんな状況は全く眼中になく、レオンはクリスマスバージョンのディナーコースを註文し、子供たちにも特別に一杯だけシャンパンをご馳走した。

 
 

 ささやかに乾杯をした後、初めてのシャンパンの苦味とアルコールに感動しつつ、娘が大そう嬉しそうに父親を見た。
「パパ、今日はあたしのお願い聞いてくれてありがとう。ここ、雑誌で見てから、一度来てみたいって思ってたの」
「エルヴィーラが努力した結果ですよ。毎回、このように頑張ると良いのですが」
「そ、それは……えっと」
 痛いところ突かれたエルヴィーラが言い淀むと、横から弟が口を挟んだ。
「こういうご褒美が毎回あれば、エルは頑張るんじゃないの?」
「もうアル! 余計なこと言わないで」
「アルベルトも協力したのでしょう。ご苦労でしたね」
「う…… パパ、知ってたの」
「当然です。君の考えることが分からないと思いますか?」
 自信たっぷりに言われてしまい、エルヴィーラは鼻白み、アルベルトは溜め息をついた。
「そりゃあ、アルには感謝してるわよ。あたしの勉強見てくれたし」
「あまりの出来なさに、ちょっと頭が痛かったけどね」
 弟のさり気ない皮肉に、端麗な美貌をムッとしかめたエルヴィーラは、シャンパンに口を付けた。
「あんたと比べたら、誰だって出来ない部類に入るわよ。あまりにも出来過ぎて、嫌味にしかならないけどね」
「出来ない八つ当たりを僕にされても、迷惑なんだけど?」
「エルヴィーラ、アルベルト、きょうだいケンカはダメ」
 子供たちの口調が険悪になってきたのを察して、レオンの隣りに座っている母親が、ボディアクションを含めたたどたどしい日本語で口を挟んだ。ネイティブに日本語を話せる夫や子供たちと違い、彼女はそれほど日本語が堪能ではない。早口で話されると会話に追い付けないのだ。エルヴィーラも本気で喧嘩をしているつもりはないが、つっけんどんな態度が彼女にそう思わせてしまっていた。
≪ロヴィッサ、これは喧嘩ではありませんよ。心配はいりません≫
 レオンが母国語で妻の不安をなだめたが、母親の心配は尽きないものだ。
≪レオン、あんなに剣呑に言い合っていたのに、喧嘩じゃないの?≫
≪いつでも仲良くとはいい言葉ですが、兄弟とはこういうものでしょう。エルヴィーラはアルベルトが自分より出来ることに、少し嫉妬しているだけです≫
≪パパ!≫
 そこへ料理を運んできたボーイが近付いてきたため、エルヴィーラは口を閉ざして大人しくなった。たとえ言葉は分からなくとも、このような場でムキになって言い返す姿はみっともないと、16歳なりに考えたのである。

 
 

 スープに前菜、パン、メインの肉料理と、舌もとろける美味な料理の数々を堪能し、デザートを食べている時のこと。
 娘が目の前に座る父親の顔を、窺うように見た。それをレオンが見逃すはずもない。
≪何ですか? エルヴィーラ≫
 流暢に話せる外国語と言えば英語しかない妻に疎外感を与えないためか、スウェーデン語を使っている。レオンは言うに及ばず、アルベルトは母国語以外に日本語・英語・ドイツ語・ロシア語が出来るし、エルヴィーラでさえ日本語と英語は標準装備である。妻のロヴィッサが出来ないというより、夫と子供たちが出来すぎなのだ。
≪あのね、パパ。ちょっとお願いがあるの≫
≪もう聞いてあげましたよ≫
≪これじゃないの。あたしの将来のことよ≫
≪将来のことが願い事とは、どういうことです?≫
 訝しむ父親の前でエルヴィーラは姿勢を正した。
≪この前、渋谷で買い物をしていたら、モデルにならないかってスカウトされたの。それでね≫
≪ ダメです≫
≪まだ何も言ってないじゃない≫
≪言わなくても分かりますよ。学生の身分で芸能界に入るのは反対です≫
 アルベルトはこうなることを予想していたのか、呆れたように溜め息をついてコーヒーを飲んでいる。素っ気無く反対されたエルヴィーラは、あからさまに口を尖らせ、まだ残っているケーキにザクッと乱暴にフォークを刺した。
≪でもさぁ、あたしをスカウトしてくれた人が、出るなら今が旬だって言ったのよ≫
≪16 歳で旬と表現するような人間のいる事務所は、ろくなものではありませんよ≫
≪でも、何故ダメなの? レオン≫
≪ロヴィッサはいいと思っているのですか?≫
≪当たり前じゃない。こんなに綺麗で可愛い私たちの娘を、テレビや雑誌で見れるなんて、素敵じゃないの≫
 楽観的に喜ぶ母親の姿をエルヴィーラは心強く感じたが、父親のレオンが首を縦に振らない限り、自分の芸能界入りは遠い夢だ。横で済ましてコーヒーを飲んでいるアルベルトを見ると、助け舟どころか口を挟むことすら、する気はないらしい。
≪パパ、どうしてダメなの?≫
≪私はエルヴィーラが芸能界で働くことは反対しませんよ。ですが、君はまだ16歳です。学ぶべきことを終えてからでも、遅くはないでしょう。それとも君は、もう将来に自分が輝く時期はないと、諦めているのですか?≫
≪えっ?≫
≪今は、ただ若くて綺麗なだけです。ですが、君が大人になった時、それまで培ってきた教養というものが内面から滲み出るような、今よりもっと美しい女性でいると私は確信していますよ≫
 ニコッと微笑んで話す父親を見たエルヴィーラは、頬を赤く染め、慌てて下を向いた。
≪う、えと、それって、パパはあたしが、大人になったらもっともっと美人になるって、思ってくれてるってこと?≫
≪ もちろん、それまでに君がどのように成長するかにもよりますが。何も今、慌てて入る必要はないでしょう。急ぐ必要があるのはエルヴィーラではなく、スカウトした人間であり、その事務所ですよ。芸能界とは虚飾の世界です。世の中を知らない子供が入れば、ただ食い物にされる。そうならないために、今は学生としてやるべきことをやりなさい≫
≪うん……分かった≫
 エルヴィーラはそれ以上なにか言おうとはせず、大人しくケーキにフォークを刺した。ロヴィッサは何か言いたそうな顔をしていたが、レオンの目配せで何も言わずにコーヒーに手を伸ばした。
感想・誤字報告を兼ねた拍手ボタン ←感想や誤字報告などありましたら、こちらをご利用下さい。