クリスのバレンタイン...1

 愁介と響子さんが結婚式を迎える年の一月。エインズワース本部にある愁介の執務室から、煌びやかな夜景を眺める。今は愁介もレオンも留守だ。考えにふけるにはちょうどいい……はずなんだが、一人になっても妙案は浮かんでこなかった。俺ってダメだな。
「クリスはまだ悩んでんのか」
「うわぁ!」
 背後から急に声を掛けられ、心臓が止まるかと思った。動悸の激しい左胸を押さえて振り返ると、会談から戻ってきた愁介とレオンがいた。二人とも呆れ顔なのは、今の俺を見ればしょうがないとしても、愁介の方がずっと露骨に呆れている。今に始まったことじゃないが、毎度毎度傷付く顔だ。
「鬱陶しいから、早いところ浮上してくれよ。大体、プレゼントなんて何でもいいだろうが」
「愁介様も、響子様になにか贈る時は、あれこれ悩まれるでしょう。それと同じですよ」
 学生時代からの付き合いで、こいつがそういうことに悩む姿なんか見たこともなかったが、さすがに響子さんに対してはあるだろう。そう思っていたのだが。
「俺がそんなことで悩むか、阿呆。お前と一緒にするな」
 バッサリ一蹴された。
「大体、お前のことを本気で好きなら、何を贈られたって喜ぶんじゃねぇのか?」
 驚いた。これはもしや、アドバイスというやつか? まぁしかし、だからこそ悩んでいるという訳でもあるのだが。
 
 
 あと二週間もすればバレンタインがある。以前は、俺には関係ないイベントと拗ねた時期もあったが、今は恋人と呼べる存在がいる。それもこれも、マギーとレオンのスパルタ英語教育のお陰と思うと複雑な気分だ。しかし、外国語を覚えるには外人の恋人を作るのが一番手っ取り早い、というのは実感していた。少なくとも、彼女が出来てからの方が圧倒的に英語が分かるようになっていたからだ。
 一応、外見は純粋にアメリカ人の俺だが、まだ赤ん坊の頃にこの日本で両親と死別して以来、日本人の夫婦に育てられたため、中身はバリバリの日本人だ。こんななりで、一番苦手な授業が英語だったんだから、環境が人格形成に大きく影響するってのは、本当のことだな。
 義理の両親は、日本で育っても本来の俺を忘れないようにと、名前を変えることはしなかった。今思えば、彼らなりに俺のことを思ってのことだったと分かる。まさか将来こんな職業に就くと、予想したわけではなかっただろうが。
 
 
「そういや、クリスマスの時も悩んでいたな、お前」
 うぐっ……そういうことを呆れ顔でズバッと言うから、こっちは傷付くんだ。俺から見れば、悩まない愁介の方がよっぽど不思議だ。
「愁介様、クリスにもようやく春が訪れたのですから、そう邪険にしては可哀相ですよ」
 レオンもさらりとキツイことを言ってくれる。苦笑しているだけ、まだマシなのか? とりあえず、ここにマギーがいないのは、不幸中の幸いだ!
 デスクについた愁介は、レオンから書類を受け取り、目を通している。こうなってしまうと、俺の仕事はあまりない。所在無げに佇むというのも気が引けて、執務室の隅にある簡易キッチンに移動した。愁介の身の回りの世話をしている俺には、ここが仕事場といえば仕事場だ。
「そういや、クリスの女ってどこの国だっけか?」
 唐突に愁介の声が聞こえ、顔を出して答えようとしたところで、レオンに先を越された。
「ベルギー出身ですよ。名前はリリー・グランジェ、フランスのソルボンヌ大学を卒業後、エインズワースに入りました。IT関連に強く、サイバー部署でインターネット管理をしています」
「俺から訊いておいて何だが、よくそんなすぐにスラスラ出てくるな」
 全くだ。しかも、下から上がってきたレポートを見ながら、どうして答えることが出来るんだ!? まさか、エインズワース全スタッフのプロフィールを、記憶しているんじゃないか!?
「まぁ、この程度は普通でしょう」
 普通……レオンにとっては普通なのか。真顔で肩をすくめられても、何の慰めにもならない。こういうところ、レオンは篁さんによく似ているよな。二人とも驚くほどの美形だから、並んで立っていれば、目立つこと間違いなしだ。
「洸史みたいなこと言ってんじゃねぇよ。ったく、あいつといいお前といい、何で俺の周りにはムカつく奴がいるんだ!」
「篁氏と一緒にされるのは、甚だ心外ですが」
「ま、あいつの方が腹黒さは天下一品だがな」
 耳を疑った。は、腹黒!? 篁さんが天下一品の腹黒!?
 にわかには信じられない話だ。きっと愁介の作り話だ! あの常に優しげな篁さんが腹黒なんて!
 頭を抱えたい衝動に駆られていると、愁介と目が合った。
「なんて顔してんだ、クリス」
「こう言っては失礼ですが、正しくアホ面かと」
「そういや、クリスは洸史信奉者だったな」
「それでは仕方ありませんね」
 愁介は呆れ顔で、レオンは溜め息混じりの苦笑で、二人とも勝手なことを言っている。
「もういいです。今日は下がらせて頂きます」
 目眩がする。よろめきながら退出しようとしたら、愁介に呼び止められた。
「休んでもいいが、コーヒーをいれてから行ってくれ」
 こういうタイミングでこういう仕事を頼んでくるのは、絶対に嫌がらせだ! しかし拒否する訳にもいかず、出来たばかりのコーヒーをカップに注ぎ、愁介のデスクに置いた。
 執務室を出てホッと息をついていると、スーツの胸ポケットに入れた携帯電話が鳴った。ディスプレイを見ると彼女からだ。急いで廊下の隅に移動し、通話ボタンを押した。
[リリー]
『[はぁい、クリス。電話に出たってことは、今日は終わり?]』
[まぁ、そんなとこ。リリーは?]
『[なに言ってるの、もう10時過ぎてるわ。とっくに上がって、今は自室にいるの。暇なら来ない?]』
 リリーは55階のスタッフ専用フロアに住んでいる。愁介は休んでもいいと言っていた。まぁ、何かあれば降りてくればいいのだから、大丈夫だろう。
[じゃあ、お邪魔するかな]
『[ふふ、待ってるわ、チュッ]』
「…………」
 情けないことだが、最後のキスにやられて、携帯電話を持ったまましばらく突っ立っていた。
 いや、なんというか。リリーと付き合い始めてから実感したことだが、ヨーロッパの女性はリベラルで大胆過ぎる。電話口であんなキスをされたら、慣れないこっちは心臓が破裂しそうだ。こんなところ、愁介やマギーには、絶対に見せられない。見せたくない!
 2回ほど深呼吸して気持ちを落ち着かせ、エレベーターホールに向かった。
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