2011クリスマス特別編

 年の瀬も迫ったクリスマスイブの夜。ホテルとしては書き入れ時のこの日、さすがに愁介も休みを取ることは出来ず、文句を言いながらも出勤していった。
 オーナーとはいえ、ラウンジバーのバーテンダーを自ら希望してやっているのだから、休ませろなんて我が儘が通るはずもないでしょうに。
 エインズワースの総帥を引退して2年経ち、ホテル・アクアマリーナのバーテンダーになって1年。ようやく接客業も板に付いてきた。
 従業員は彼がオーナーと知っているし、お客の一部はエインズワースの前総帥でホテルのオーナーと知っているけれど、多くの客はただのバーテンダーとしか見ないのだから、あまり大きな態度でいるのはホテルの評判を落とす原因にもなる。それに気付いただけでも成長したと言えるのかもしれない。ちょっと遅過ぎとは思うけど。
 スウェーデンに留学している息子の克己も夕方には日本にやってくるし、久し振りの親子水入らずで年越しが出来そう。
 ……と、喜んでいるのは私だけで、愁介は自分の息子が気に入らないらしく機嫌はあまりよろしくない。外見ではなく、中身があまりにも自分に似過ぎていて、若気の至りな当時を嫌でも思い出すんだとか。
 曰く、生意気で可愛げがない。
「当時のあなたも、周りからはそう思われていたのよ」なんて言うと、「子供は嫌いだ」と大人気なく憮然とする。私から見れば、息子が二人いるようなものだわ。
 克己はといえば、14歳にしては妙に大人びていて、自分の性格が父親に似ていることは十分に承知しているらしく、愁介とは適当な距離を置いて接するようにしている。
 そんな二人の距離感は母親の私にとっては寂しいものだけど、何かあればすぐさま共闘する姿勢を見せるので、それはそれで父子としてはありなのかもしれない。とはいえ、女であり母親である私には、よく分からない心理ではある。ちょっと羨ましいわ、男同士って。
 でも、そんな我が家にも今年女の子が誕生した。まさか41歳になって子供を産むことになるなんて、昔は思いもしなかったけれど、産まれてしまえば忙しくも楽しい毎日。
 克己の時はお城に医師や看護師が常時待機していたので、何の心配もなく産むことが出来た。使用人たちも数え切れないほどいたので、育てるにも何の苦労もなかったけれど、それはそれでちょっとつまらなくもあった。
 でも今は、私たち夫婦の二人暮らし。色んなことが初めてだらけで、たまにパニックになることもあるけれど、これも貴重な経験と楽しむようにしている。電車で一時間も揺られれば私の実家があり、そこには両親がいて今も健在。何かあれば頼ることが出来るのも、私たちだけでやっていられる理由の一つだった。
 そして今日は私の母から嬉しい提案があった。まだ乳児の赤ちゃん……愛奈の面倒は見てあげるから、克己も交えた親子3人で羽を伸ばしていらっしゃい、というもの。
 ようやく首が据わった状態の愛奈を抱えてホテルに行くのは、周りにも迷惑が掛かるし愁介が嫌がる……もとい、心配するから。バーは煙草の煙りとお酒の匂いが充満していて、乳児を連れて行ける場所ではない。今年は無理だと諦めていたので、母の言葉に甘えることにした。
 両親も克己の時には会うことも叶わなかったから、愛奈の面倒を見るのが楽しくて仕方がないらしい。克己が産まれた頃、私たちはイギリスにいて多忙だったので、両親の元に連れて行くことも出来ず寂しい思いをさせてしまった。愛奈が産まれたことで、その時の寂しさを埋めることが出来るのは、私としても喜ばしいことだった。
 母乳を飲ませて眠っている愛奈を両親に預け、私は都心のブティックでドレスに着替えた。ここはイギリスのレディースブランド、マーレイの直営店でよく利用している。
 愁介はもうとっくに引退したというのに、エインズワースの前総帥として未だにパーティーに呼ばれることがある。極力断ってはいるけれど、どうしてもそれが叶わない場合だけ出席していて、私も勿論妻として同伴することになる。そんな時にお世話になっているのが、このマーレイだった。
 パーティーの時には当然ながらイブニングドレスを着るけれど、今日は親子3人だけだし、どうせ愁介は脱がせる方が目的なので、ラフなカクテルドレスを選んだ。好きなスミレ色のシルク生地で、同色の薔薇のオーガンジーが付いた私が気に入っているデザイン。
 髪もアップにセットしてもらい、白いコートを羽織ってマーレイを出る。最初の目的地は羽田空港。克己を迎えに行かなくてはね。

 
 

 夕闇に包まれた羽田空港のロビーで待っていると、ゲートの奥から目立つ二人組みがスーツケースを引き引きやってきた。
 一人は私の息子、克己。そしてもう一人は金髪の美形な男、アルベルト。スウェーデン人の彼は、克己のお目付け役としてお供をしている。正式な身分は、エインズワースのスウェーデン支部長。32歳の若さで異例の昇進という話だけれど、父親があのレオンなのだから、それも当然かもしれなかった。そして母親譲りの白皙な美貌に長身。克己より頭一つ大きいもの、さぞかし女性にモテるでしょうね。
 克己も私と愁介の血の成せる業か、親の欲目なしに日本人としては美形ではあるので、この二人が並んでいると物凄く目立つ。周囲から黄色い声が聞こえてくるのは致し方ないとして、携帯やスマートフォンらしきカメラの音がやたらとシャカシャカ聞こえるのは、肖像権的にどうなのかしら。まぁ、とっくに慣れてしまったけれど。
「克己、お帰りなさい」
「母さん、ただいま」
 両手を広げて迎えると、克己も同じ様に腕を広げて抱き付いてくれた。イギリスで育った子だから、こういうのは慣れっこ。
 あら、でも何だか前と抱き心地が違うわ。半年前、愛奈が産まれた時に帰ってきた時と比べると、また背が伸びた?
「また大きくなったみたいね。いま何センチ?」
「やっと175だよ。でも、父さんやアルには負けてる」
 そんなの当たり前じゃないの。愁介はともかく、アルベルトは北欧人なのよ。175センチもあれば、同年代の日本人の男の子よりは大きいのに、負けず嫌いなところは愁介そっくり。
「アルベルトもご苦労様。克己は迷惑を掛けてない?」
「奥様のお気遣い、痛み入ります」
 大真面目にお辞儀をするところはレオンそっくりだわ。私も愁介ももうとっくに一般人なのに、昔からの習慣というのか偏屈というのか。
「ですがご心配はご無用です。克己様は優秀な生徒ですから」
「成績は知っているけど、ほら、愁介の血も引いてるでしょ」
 ちょうど今の克己と同じ年頃に随分と羽目を外していたのは、篁さんから聞いているもの。一応心配ではあるわ。なんて言うと、途端にムッとした顔付きに変わるのだけど。
「俺は父さんとは違う。一緒にしないでほしいな」
「ふふ、言ってみただけよ。ちゃんと信じてるわ」
 手を伸ばして頭を撫で撫でしたら、ムッとした顔付きになっちゃった。
「子供扱いしないでよ」
「いいじゃない。普段なかなか会えないんだもの、たまに帰って来た時くらい、子供扱いさせてよ」
 母親の切実なお願いよ。そう言ったら、「まぁ、たまになら」と受け入れてくれた。男の子って扱いが難しいわね。
「アルベルトは、この後里帰り?」
「はい。一度姉のところに顔を出してから、イギリスに向かいます」
 それは里帰りとは言わないと思う。レオンのいるところが、彼にとってお里なんでしょうけど。
 レオンは現在、エインズワースの顧問という形で当代総帥の補佐をしている。今の愁介とそれ程変わらない年齢の人だけど、やはり職務としてのプレッシャーは相当のものよね。
 アルベルトの双子の姉であるエルヴィーラは、日本を代表する世界的モデル。生粋の北欧人なのに日本でデビューしたって、当時は騒がれたものよね。今は日本人の俳優と結婚したんだっけ。
「そういえばアルベルト、あなたはまだ結婚しないの?」
「…………」
 そこで絶句する意味が分からないわ。克己はおかしそうに笑いを堪えている。
「克己?」
「アルってすごい美形じゃん。だから、男にも女にも言い寄られるんだよね。それで誰か一人と付き合おうとすると、みんな足を引っ張り合って一人を選ばせてくれないわけ」
「あら、まぁ」
 美形すぎるのも苦労するのね。とは口には出せないけれど。
「母さんくらいの美女なら、誰も文句を言わないだろうけどさ」
「か、克己様!」
 笑いながら話す克己の口を、いつもは冷静なアルベルトが物凄い慌てぶりで塞ごうとしたのには、呆気に取られたわ。
 その理由は、彼と別れてから克己が教えてくれた。
「アルの理想の女性は、母さんなんだよ」
「それは光栄なことだけど、私は10歳も年上のおばさんよ?」
「理想と現実は違うって母さんも分かっていると思うけど……その天然なところが、母さんの欠点だね」
 思ったことを素直に言っただけなのに、14の息子に呆れられてしまった。

 
 

 空港から愁介のホテルに向かう。……と言っても、場所はお台場だから目と鼻の先。克己は面倒臭いからとスーツケースを持ったまま。まぁ、部屋に預けてしまえばいいものね。
 フロントでは総支配人となった垣崎さんが、嬉しそうに迎えてくれた。愁介は未だに自分のホテルを気軽に使わないのに、バーテンダーとして働いたりしているものだから、垣崎さんを始め従業員一同ヤキモキしているんだとか。
 ベルボーイに克己のスーツケースを預け、垣崎さんと別れたところで、珍しい人をロビーで見付けた。確か横浜に自分のホテルを持っていると聞いているけど、こっちに足を運ぶこともあるのね。
「母さん? 行かないの?」
「うん、ちょっと挨拶して行きましょう。向こうはあまり顔を合わせたくなかったでしょうけど」
「誰?」
 不審気な顔で付いてくる克己を伴って、その人物に近付いていくと向こうも気付いたみたい。あからさまに嫌そうな顔をされちゃったわ。それでも頭を下げてくれるのは、私を認めてくれているってことかしら。眩しいほどに美貌の女性も傍にいて、彼と腕を組んでいた。さくら色のイブニングドレスがとてもよく似合う、可憐な人だわ。
「こんばんは、あなたがここに来るなんて、珍しいこともあるのね」
「どうも、お久し振りです。こいつがどうしても来たいって言うもので」
「なによ。ここは東京一、女性に人気のあるホテルなのよ! しかも高いんだから、あんたと一緒じゃなきゃ泊まれないじゃない!」
 無遠慮に指を指された美女さんは、彼に食って掛かった。凄いわね、彼相手に物怖じしないなんて、同じ頃の私には到底真似出来なかったわ。その性格が、ちょっと羨ましい。
「初めてお会いするわね、篠宮響子です。あなたは藤野咲弥子さんでしょう?」
「あ、はい。初めまして。あたしのこと、ご存知なんですか?」
「もちろんよ、東海林グループの若き会長さんが、自ら選んだ女性だもの。噂に違わず、綺麗な方ね」
「あ、ありがとうございます。でも、響子さんの方がずっと綺麗ですよ。なんか憧れちゃいます!」
 右手を差し出すと握手を返してくれたけど、興奮したようにブンブン手を振られて、ちょっと意外だった。元ホステスと聞いていたから、もっとお高くとまっている人かと思っていたわ。噂だけじゃ、分からないこともあるのね。
 そんな彼女を様子を、渋い顔で見ている隆広さん。愁介とはそんなに仲が悪かったかしら。エインズワースとも良好な関係のはずだけど。
「もう行っていいですか?」
「あ、ちょっと待って。息子を紹介するわ。今はスウェーデンに留学しているの。クリスマスで帰って来たのよ」
 後ろに控えていたはずの克己を見ると、こっちは何だか挑戦的な表情。父親に向けた時の顔に似ているかも。まぁ、似ているといえば、隆広さんと愁介は似ているけれど。
「篠宮克己、です」
「東海林隆広だ」
「いい大人なんだから、もっと優しく言いなさいよ」
 ぶっきらぼうな克己の言い方に注意をする暇も無く、ご機嫌斜めな隆広さんに先を越され、私が呆気に取られている間に遠慮なく突っ込んだ咲弥子さんは、勇者だわ。
「なっ!? こいつが無礼な態度を取るから」
「それでもちゃんと礼を尽くすのが、大人の態度ってもんでしょうが。ごめんね、こんな奴で」
「あ、いえ、俺も生意気でした。すみません」
 咲弥子さんの口振りに、克己も毒気を抜かれたみたい。素直に頭を下げているわ。でも、後でちゃんと叱っておかなくちゃ。
 そんな私の思いは他所に、咲弥子さんは嬉々とした表情で口を開いた。
「ここのバーラウンジ、お酒が美味しいって評判なんですよね。イケメンのバーテンがいるって雑誌で紹介されてましたし」
「ええ、そうよ。私たちもこれからそこに行くの」
「わあっ、じゃあ上でも会えますね」
「冗談だろ! 俺は部屋でお前と」
 仰天した隆広さんが口走ったところで、咲弥子さんがすかさず頭を叩いた。
「こどもの前で何言ってんのよ!」
 凄いわね、東海林グループの会長の頭を叩くなんて。コントみたいなんて言ったら失礼だけど、面白いわ、この二人。
「まぁそれはともかく、バーラウンジには顔を出しておいた方がいいわよ」
「そうなんですか? よく分かりませんけど、そうさせます!」
 頼もしい咲弥子さんの言葉に、思わず笑っちゃったわ。仲睦まじく見える二人の後ろ姿を見送ってから、憮然とした息子に向き直った。
「克己」
「ごめんなさい」
「私に謝るくらいなら、きちんと丁寧に挨拶なさい。愁介だって、頭を下げるべき人にはちゃんとそうしているの。一緒にいて恥ずかしかったわ」
「…………」
 しおれた表情でうつむく克己の頭を撫でて、教育タイムは終了。愁介のいるバーラウンジに向かうことにした。
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