真夜中の訪問者 1

2009年響子誕生日企画で初出したお話です。その後、東日本大震災オンライン作家によるチャリティ電子書籍「One for All , All for One ……and We are the One」に当小説で参加のため撤去しておりました。
2013年1月1日より再掲載解禁となりましたので、サイトにアップしました。
チャリティ掲載のため若干の加筆修正を行いました。サイト掲載時とは若干変わっていますが、お話の内容は変わっていません。
現在掲載しているものは、加筆修正したものになります。
尚、本編とは展開が若干変わっております。番外編としてお楽しみ下さい♪

 

 誕生日を翌日に迎えたその夜、島谷響子は一人暮らしをしているアパートの部屋にいた。いつでも寝られるようパジャマに着替え、ベッドに腰掛けて手に持った携帯電話をじっと見つめている。
 響子の恋人である篠宮愁介は今は日本にいない。恋人が出来て初めての誕生日に、その肝心の恋人が不在とは……。親友の加奈子は「恋人の誕生日に出張するなんて酷い!」と怒っていたが、響子は彼の立場を知っているだけに仕方がないと諦めている。
 それに彼は、誕生日に日付が変わったら「おめでとうメール」を送ってくれると約束してくれた。もちろん日本時間でだ。時差を考えれば、それがどんなに大変なことか。
 響子は時間にこだわるつもりはなかったが、誕生日が来るまであと1時間に迫った今、ついつい携帯片手にそわそわしてしまっているのだ。
 驚いたことに、愁介は携帯のメールアドレスを使っていなかった。海外でも通話可能な携帯電話だが、彼にとって大事だったのは場所を選ばす電話が出来る機能であって、わざわざあの小さな端末でチマチマと文字を打ってメールするなど、思い付きもしなかった。
 しかし響子はメールの方が使いやすいし、直接声を聞かなくても済むので色んなことが書ける。かくして、正社員となったお祝いにと愁介が新機種の携帯をプレゼントしてくれた折、彼の携帯メールアドレスを響子が決め、二人だけのメールのやり取りをするようになったのである。
 とはいえ、使い慣れていないためか、愁介からメールが来ることは稀で、もっぱら響子が送り、それに対して短い返信が来るという状態だ。そんな彼が、忙しい合間を縫って時差もあるのに、おめでとうメールを送ってくれるのだ。嬉しくないはずがない。
 響子はベッドに腰掛けた足をブラブラさせながら、携帯を開けては閉じるを繰り返している。誕生日にはまだ40分も先だ。だが、その40分がとてつもなく永遠の時間のように感じられる。
 逸る気持ちを抑えつつ、何度目かになる携帯を開いた時……。
 ピンポーン。
 玄関の呼び鈴が鳴った。
 ベッドの上で響子は飛び上がって驚いた。こんな深夜に訪ねてくる者の心当たりなどない。まさか変質者!?
 響子は狭い室内で、奥の隅にそそくさと移動して体を丸めた。たとえ変質者だとしても、ドアを開けなければ大丈夫。そう自分に言い聞かせ、恐怖に身を震わせながら携帯電話をギュッと握った。
 再度呼び鈴が鳴る。
「ひっ」
 加奈子に電話をした方がいいだろうか……。そう思って携帯を見た途端、着信を知らせる着うたが鳴った。涙でぼやけた視界に見えるディスプレイには、恋人である「篠宮愁介」の文字。
 何というタイミングだろう。響子は急いで通話ボタンを押した。
「篠宮さん!」
 半泣き状態で彼を呼んだ響子だったが、電話の向こうにいる彼は機嫌悪そうだ。
『響子。名前で呼ぶって約束はどうした』
 そんなことを言っていられる状態ではない。誰か知れない人間が外にいるのだ。響子はボロボロ涙を流して今の状況を伝えようとした。
「だって……誰か外に……こんな夜遅くて……うっ」
『ああ、早く開けろ』
「は!?」
 耳を疑う言葉に響子の声が裏返る。すると、コンコンとドアがノックされた。
『開けろって言ってんだ、響子』
「…………」
 ノックの音と同時に携帯からもコンコン叩く音が聞こえる。
「え……しのっ愁介さん?」
『ああ、開けろ』
 またコンコンと音がする。涙の跡を残したままのボケた顔で、響子はドアを見つめた。
「え……外にいるの、しの…愁介さんですか?」
『そう言ってんだろ。早く開けろ』
「ええええ!? だって今ベルギーに」
『話は後だ。早く開けろ』
「あっはい!」
 慌てて立ち上がり、玄関に向かおうとした響子は、ハタと自分の格好に気付く。
 パジャマ姿だ。ピンクのチェック柄は可愛いと言えば可愛いが、しかしパジャマである。しかも寝る準備はバッチリなのでスッピンだ。その上ここは狭いアパートの部屋。
「あ……ち、ちょっと待ってて下さい! あたしパジャマでっ」
『んなもん気にするな。服着てなくたって俺は構わねぇぞ』
「かっ、構ってください!」
『もういい、蹴り開ける』
 プツッと切られた通話に、響子は慌てふためく。
 今の声は本気だった。こんな時間にそんなことをされたら、絶対にご近所さんが通報してしまう。警察が来ても愁介は困らないだろうが、響子は大いに困る。今後、住みづらくなるのは必然だった。
「開けます! 今開けますから、蹴らないでぇ!」
 二つある鍵を回し、チェーンを外してドアを開けた。
「遅ぇぞ」
 ご機嫌ななめな声でそう言い、愁介は自分からドアを開いて玄関に入って来た。
「え……あの、愁介さん?」
 本物だ。彼にしては地味なグレーのスーツだが、紛うことなき篠宮愁介である。
「あの、オランダとベルギーに行ってるんですよね?」
 一週間前に会った時、視察と会談で12日間の予定で行くと聞いた。予定では今日はベルギーにいるはずだ。
 愁介は響子の問いには答えず、玄関の扉を閉めて鍵を掛けると響子の正面に向いた。持っていた白い小さな箱は、靴箱の上に置く。
 狭い玄関は二人でいると殆ど密着状態だ。パジャマ一枚しか着てないためか、距離感ゼロに感じる。胸が彼のスーツに当たっているようで恥ずかしい。響子はやや頬を赤らめて彼を見上げた。
「しゅう……んっ」
 名前を口にした途端、ガッと肩を掴まれてキスされた。酷く直情的で、口腔を彼の舌が隅々まで愛撫していく。突然のことで響子は訳も分からず、だが抵抗することなくされるがままになっていた。くぐもった甘い声を出しつつ、舌の蹂躙に足がガクガクと揺れる。
 ようやく唇が解放された時、響子は自分の力で立つこともままならなかった。
「あ……しゅ…すけさん、急に…どうして?」
 肩にしがみついて赤く火照った顔で見上げてくるのを満足そうに眺め、彼は響子を抱き上げた。
「きゃっ」
 突然体が浮いたため、とっさに愁介の首にしがみついた。間近に見る彼の端整な顔に、響子の頬が更に赤く染まる。
 そして彼は靴を脱いで部屋に上がり、腕には響子を抱えたままベッドに腰掛けた。
 自分の狭い部屋に愁介がいる。しかも膝の上に抱えられたまま。あまりにもシュールな状況に、響子は頭が真っ白になっている。
「あの……愁介さん、部屋狭いのに……」
「気にするな、俺はお前がいりゃどこでもいい」
 その言葉に耳まで真っ赤にした響子の額にキスをする。
「あの……降ろして下さい」
 喘ぐ様に話す響子を見下して、愁介は意地の悪そうな表情を見せた。
「降ろしたらセックスするぞ」
「こ、ここでですか!?」
「別に構わねぇだろ」
「構います!! こんな狭い部屋で……ベッドだって」
 二人で会うのはいつも外か、彼のオフィス兼住居。自分の部屋で男と二人っきりになったこともないのだ。それなのにせっかくの誕生日に、自分の部屋で恋人に抱かれるとは、響子にとっては羞恥プレイのようなものだ。
 慌てて言葉を並べる彼女に対して、愁介は平然としている。否、彼女の反応を面白そうに眺めている。
「お前といられりゃどこでもいいっつったろ。それに5時には日本を発たなきゃならねぇからな」
「え……5時って朝の、ですか?」
「当然だろ。丸一日時間が空いたんでな、ちょうど響子の誕生日だし、どうせなら直接祝った方がいいだろうと思って、帰って来た」
 ニヤッと笑ったその顔は、間近で見ている響子には眩しいくらいだ。
「あたしの誕生日のために?」
「たまたま時間が空いただけだ。だが、さすがにベルギーは遠いな。ギリギリで5時間しかいられねぇとは」
 プライベートジェットでも片道10時間は掛かる道のり。立場上、世界中を飛び回ることの多い彼でも、世界は広いのだ。特にこういう時にはその広さが恨めしく感じる。今まではそんなことを感じたりはしなかったのだが、やはり恋人が出来ると違うものらしい。
「あの……でも、大丈夫なんですか? お仕事は」
「人と会う予定さえなきゃ、レオンやマギーでも代わりは務まる」
 自信満々に、有能な秘書たちの名前を挙げる。それだけ彼らを信頼している証拠だが、それでも愁介本人でなければ決裁出来ないものがあるのは、響子も知っている。
「じゃあ、帰ったら愁介さん、お仕事大変なんじゃないですか?」
「お前が気にすることじゃねぇよ。一日書類とにらめっこしてるよりはずっといい。それに移動中は休めるからな」
 海外視察中は限られた時間の中で執務をこなすために、睡眠時間が極端に削られてしまう。現地にいれば、たとえオフでも雑務に忙殺されるが、こちらに来れば往復の時間は体を休めることが出来るのだ。
 実感のこもった言葉に、響子は胸がキュンとなった。手が自然に愁介の頬を撫でる。
 想いのこもった瞳で見つめられ、愁介の中で何かが切れる音がした。
「きゃ、んぅっ」
 膝の上からベッドに乱暴に下ろされ、響子の唇がキスによって塞がれる。激しい舌の動きだった。響子はそれを受け止めるのに必死だ。彼の手が太腿を撫でると体を捩ってそれに応えていたが、パジャマのボタンを外されるに至ってさすがに抵抗した。
「あっ…愁介さん、ここじゃやっ」
 しかしそんな彼女の懇願も虚しく、愁介の行為は止まらなかった。
 パジャマのボタンを全部外され、無防備な胸を揉まれて響子の体から力が抜ける。欲情した男を扱う術など、初心な響子が知っているはずもなく、あとはされるがままだった。
 
 

**********

 
 
「うう……ここじゃやだって言ったのに……」
 夏用の毛布に全裸でくるまっている響子は、同じく全裸の愁介の腕の中で泣き言を並べていた。これまでに何度か彼に抱かれていたが、今回はいつになく激しかった。しかも自分の部屋の、こんな狭いベッドの上で。
「俺はどこでもいいんだがな。ここも嫌いじゃないぜ」
「うそ! 愁介さんの寝室より狭いじゃないですか」
「広けりゃいいってもんでもねぇだろ」
「あ…やだっ…愁介さん!」
 毛布の中にもぐった彼が、細い首筋にキスをする。響子が必死にジタバタもがいたため、それ以上はちょっかいを出さず、すぐに顔を出した。
 鼻先がつくほどの距離で見詰め合う二人。響子はいたたまれず、うつむいた。抱かれながら何度も声が上がってしまった。途中で彼が口を塞いでくれたが、遅きに失した感はぬぐえない。
「あたし、明日からどんな顔してここで暮らしたらいいんですか? あんな声を出しちゃって」
「気になるなら、引っ越すか? 部屋くらいすぐに用意出来るぜ」
 その言葉で響子の頭の浮かんだのは、自分が勤める会社の上……エインズワースの本部になっているという場所の、愁介の居住階。あんなところからどうやって会社に通えというのだろう?
「い、いいいです。普通に会社に行きたいですから」
 真っ赤な顔でしどろもどろに言う響子を見て、彼がおかいしそうに笑う。
「くっくっくっ、俺んとこに来たいってんならそりゃいつでもいいが、俺が言ったのは新しい部屋を買ってやるってことだぜ」
「い、いいですよ。あたしのお給料じゃ、一生掛かっても返せません!」
 やはり彼の思考は、庶民である自分の感覚とは違うようだ。何しろ世界の半分を支配しているといってもいい、財閥の総帥である。響子は感じた一抹の寂しさを胸中にしまった。
「お前に買えとは言ってねぇだろ」
「でもそんな、新しい部屋を買ってもらうなんて、あたしには……」
「俺が好きでやることだ。それに、たまには別の場所で抱くのもいい」
「は?」
 言っている意味が分からず響子が顔を上げると、愁介は思いのほか真剣な眼差しで彼女を見ていた。
「愁介さん?」
「お前と外で会ってると、解放されてる気分になるんだよ。あそこは所詮エインズワースのオフィスだからな」
「…………」
 響子は彼の執事が言っていたことを思い出した。
 愁介にとって、住居とオフィスが一緒の場所にあるのは、確かに便利だ。だからといって、心身が休まるわけではない。オフの時間でも、仕事の方が彼を追ってくるのだ。レオンやマギーがどんなに手を尽くしても、彼らでは決裁出来ないことが山のようにある。総帥をやらされている限り、愁介にプライベートな時間は、殆ど無いといっても過言ではない。
 そんな彼を想う響子の頭に、あることが閃いた。
「愁介さん」
「なんだ?」
 響子は彼の頬を両手で包み、そして優しくキスをした。軽く唇が触れ合うくらいのキス。だが、響子はそのキスに万感の想いを込めた。
 滅多にない、彼女からのキス。愁介やや呆然と彼女の行為を眺めていたが、すぐに我に返り響子の体を掻き抱く。
「響子……」
「愁介さん、じゃあ会社のすぐ近くにマンションを買って下さい。そうしたら、愁介さんも一緒に住めるでしょ? 近くならいつでもオフィスに行けますから、それならあたしも気兼ねしないで済みます」
 普段の彼女らしくない落ち着いた物言いとその内容に、愁介は怪訝そうに響子を見る。だが、響子は微笑んだまま。
 しばらく無言で響子の真意を探るように見ていた愁介は、調子を取り戻したか意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ふん、その言葉、あとで取り消すじゃねぇぞ」
「ええと……たぶん」
 急に自信なさ気な表情で首をすくめる響子に、愁介は堪らず笑い出した。
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