Act.4 EXTRA 難儀な内にも一興あり、しかして……2

 何とも言えない複雑な表情でそれを見送ったクリスは、彼に引き続き退出しようと頭を垂れた。
「では愁介様、私はこれで」
「お前もいろ」
「…… は?」
「何だよ、用事でもあるのか?」
 けったいそうに片眉を上げる愁介に、クリスは戸惑いつつマギーとレオンを見る。彼らの自分を見る目は温かい。
「あの……でも俺……わ、私は」
「ヒューズがいなけりゃ、いつもの口調でいい」
「で、でも」
「お前は俺の執事だろ。だったら俺に従ってヒューズの代わりをしろ」
「は!?」
 それは自分にとっては、とってもプレッシャーが強い!
 クリスは思わず声を上げて愁介を見た。
「まぁ代わりっつうかな、お前はいつものお前で俺の傍にいればいい。ヒューズの仕事はマギーとレオンがやる」
「はあ……」
 では自分は何のためにいる必要があるのだろう? クリスは首を捻ったが、勝手に退出は出来ないので、その場に止まった。
「マギー、レオン」
「「はい」」
「今言った通り、今後はお前たちがヒューズの代わりをしろ。国王から会食の打診があったのは知ってるな?」
「存じておりますが、詳細は聞いておりません」
 レオンの返答に愁介は一つ頷くと、マギーに視線を転じた。
「マギーは知ってるな」
「ああ。国王陛下自ら連絡してきた。今から一時間後に王宮待っているとのことだ」
 マギーは左手首にはめた時計を確認し、スラスラと答えていった。レオンは胡論気に彼女を見ている。
 マギー・フォスターは、5年前からエインズワースで総帥の秘書として働いている。クリスとは2年程の付き合いしかないため、見た目は美人でお嬢様然としているマギーから、ぞんざいな男言葉が出ることに彼は未だに慣れず、複雑な表情をしている。
 彼女は愁介を手本に日本語を勉強したため、こんな言葉でしか話せないのだ。日本語で会話するのは愁介とクリスくらいなので、大した問題にはなっていないのだが……。
「ご苦労さん、マギー」
「いや」
 愁介と彼女の間でだけで伝わる会話に、レオンが少々気を荒立てた。
「愁介様、どういうことです? 何故マギーがそこまで知っているんですか?」
「そりゃな、国王の気を変えさせたのはマギーだろ」
 レオンが息を飲んで彼女を見た。愁介は革張りの椅子にゆったりと腰掛け、足を組んで3人を見た。
「マギーはセシルの娘だ。セシル独自のネットワークを知っててもおかしくない。独断で使うことは出来ないだろうが、あのセシルのことだから、俺の秘書になってる娘のために、緊急時のアクセス回線くらいは教えてあるだろう」
 クリスとレオンはポカンと口を開けている。二人の間抜け面を前にして、愁介は呆れた。
「お前ら、どこに驚いてそんなアホ面をさらしてんだ?」
「どこにって……全部です!」
 クリスが叫ぶように言い、レオンもコクコクと頷いている。
「マギーがセシル様のご息女なんて初耳ですよ!」
「そりゃお前、『セシルの娘です』、なんつってエインズワースで働けるかよ。セシルも徹底して、マギーを下っ端部下として扱っていたからな。知ってんのは、俺とヒューズくらいだ」
「マギーが……」
 レオンが複雑な目で彼女を見る。マギーは溜め息を隠さなかった。
「そういう目で見られるから、秘密にしてたんだ。親父の傍で仕事するのが夢だったんだよ」
「親父……せめて父とか……」
 クリスはマギーの言葉遣いに頭がクラクラした。
「クリス? どうした、酔っ払ってんのか?」
 女性らしいソプラノボイスでなければ、愁介と話しているように聞こえる。
「あの……せめて英語で話しませんか?」
「は? お前しゃべれねぇだろ」
 そうだった……。今更だが自分の間抜けさ加減に気付く。
 セシルは娘のこんな話し方をどう思っているのだろう? と考え、すぐに阿呆なことを考えた自分に自己嫌悪した。セシルは日本語が話せないから、娘のこんな言葉遣いを知る由もないのだ。
「マギー、クリスは放っとけ。お前と話してると肩凝らなくていいな」
「ありがとうございます」
 そうやってお辞儀する姿は、洗練された上流階級のレディなのに……。クリスは肩を落として息を吐いた。
「では愁介様、今後如何しましょう?」
 レオンは、クリスのそんな感慨など微塵も感じていないらしい。
 彼……レオン・インベルグは8年前から、エイズワースのスタッフとして働いていた。愁介がエインズワースの総帥となった際、自分の秘書にと格上げされたのだ。愁介は英語に不自由することはないが、人目のない執務室でまで英語漬けなのは肩が凝る。そのため、自前で勉強していたという彼を秘書にさせたのだ。独学という割りには正確な日本語を話すため、愁介は彼を重宝している。
「ヒューズは一週間の謹慎だ。あいつが自分の言動に気付けばな」
「……どういうことです?」
 首を傾げたのはクリスだった。マギーとレオンには思い当たることがあるらしい。
「エドウィン・ヒューズは矜持があり過ぎます。本人にもそうですが、エインズワースの総帥に対しては過剰とも言える程です。それが、今回国王陛下には煩わしく映ったのでしょう」
 レオンがサラリと言ってのけた。クリスはその内容よりも、レオンの高レベルな日本語能力に驚く。矜持だの過剰だの、自分でも普段は使わないのに……。
「ヒューズは親父を神聖視していた。異常とも取れる程だった。総帥の座が愁介様に代わっても、それだけは変わらなかったから、愁介様を虐待した。俺はあいつが嫌いだ」
 ……だからせめて『あたし』とか。しかも虐待って……言葉が過激過ぎる。
 いちいち心の中で突っ込むクリスだったが、愁介はそんな言葉を使った彼女に苦笑しただけで、訂正はさせなかった。
「セシルならそれでも良かったけどな。ヒューズが筆頭秘書に指名された時、セシルはもういい歳だったし、エインズワースの総帥になって10年は経ってた。だが、俺に代わってからも同じじゃな……」
 愁介は息を吐く。大儀そうなその様子は年寄り臭く見えるが、誰もそのことは指摘しない。
「私は、ヒューズの態度は彼の身に余るものだと思っていました。対外的にだけではなく、愁介様に対しても」
 苦々しい表情を隠さずに話すレオンに、愁介は意外そうに目を見張った。
 それを目にしたレオンが、ムッと顔をしかめる。
「何ですか?」
「いや……」
 憮然として言葉を濁すのは、照れているのだろう。愁介にしては珍しく感情がストレートに出ている。
「俺も同意見だな。ヒューズは愁介様に厳し過ぎる。あれ以上どうしろっつんだよ。親父なんて、自分が総帥を引き継いだ時より10歳近くも若いのに、愁介は優秀だって褒めてんのにさ!」
 そのセシルは現在、完全に隠居を決め込んでおり、滅多なことでは表舞台に出て来ない。彼の生声が聞けるのは、娘であるマギーと愁介だけだ。
「親父は、ヒューズもその内分かると言ってたが、あの調子じゃ死んでも分からないんじゃないか?」
「あの歳になると、なかなか意思は曲げられないでしょう」
 本人がいないので、二人共言いたい放題だ。愁介も殊更それを止めようとはしない。
「セシルがそう言ってくれんのはありがたいが、そもそも俺を選ばなけりゃ、ヒューズも大人しく従ったろうさ」
 迷惑そうに手を振る愁介に、マギーとレオンは食ってかかった。
「「それは違います! あなた程の人間が他にいると思っているんですか!?」」
 二人のこの凄い剣幕には、さすがの愁介もたじろいだ。
「ああ〜ああああ、分かった分かった。こんなことで、二人してハモるなよ、ったく。……まぁ、誰かがやんなきゃならねぇことだからな、仕方ねぇ」
「仕方ない、でここまで出来る 29歳はいらっしゃらないですよ」
 レオンが感嘆しながら言う。
「ま、セシルは後継者に成り得る奴を、5年間探してたって言ってたからな。俺以外にいないって言われても、そりゃ納得するしかねぇが……」
 そのために愁介は夢を諦めた経緯がある。簡単に納得出来ることでもなかった。
 愁介は口を閉ざし、目の前の部下たちから自身を逸らすように、座っている椅子を横を向けた。マギーとレオンは、それまでの多弁が嘘のように口を閉ざし、主人の横顔を静かに見守る。
 ほんの一時瞼を閉じた愁介は、一つ大きく息を吐いて、目を開ける。そしてゆっくりと椅子を回して、正面を向いた。
「マギー」
 愁介の声は変わっていない。表情もそう変わらない。だが、彼女はまるで寒気にでも襲われたように体を震わせ、ビシッと背筋を伸ばした。
 レオンやクリスも同様に、緊張した表情でピンと背筋を伸ばした。
「今後、会談等の交渉役はお前に任せる。スケジュールの調整も、全てお前の采配でいい」
「承知しました」
 マギーは震える声で、興奮を抑えるように言った。彼の会談の窓口を担当するということは、ある意味エインズワースの顔になる、という意味も含まれる。今まで下っ端だった彼女には過ぎる役職だ。興奮するのも無理はなかった。
「レオン」
「はい」
「お前はマギーの補佐をしてやれ。それと、俺の補佐も頼む。結局お前に一番負担が掛かるが」
「滅相もありません。喜んで!」
 レオンとマギーは顔を輝かせ、一礼して出て行った。
 クリスは呆然と突っ立っていたが、一人残されているのに気付いて慌てた。
「え……あ、し、愁介様? 私は……」
「お前はここにいろ」
「は? しかし……何か仕事は……」
「しなくてもいい、って訳にはいかねぇな。今まで通り、執事っぽい仕事してりゃいい。マギーとレオンは話しやすいが、あいつらにとって俺はどこまでも『エインズワースの総帥』だからな。お前がいてくれると、精神的に楽なんだよ」
 中学2年でクリスが転校して来て以来の親友同士。愁介にとってクリスは、この上なくリラックス出来る相手だ。それを光栄に思いながらも、クリスにとっては今の状況はなかなかにプレッシャーがある。
 彼が溜め息を押し殺していると、愁介が携帯を取り出し、一つボタンを押して耳に当てた。
「ちっ、響子のやつ、出ねぇ」
 イライラした様子で呟く主人を見やって、地雷原に足を踏み入れる覚悟で、クリスは訊いた。
「いい加減、響子様への気持ちに気付いては如何です?」
「お前に言われるまでもねぇ」
 憮然と応える愁介に、クリスは目を丸くする。今までそんな素振りは見せていなかったが、やはり自分の気持ちには気付いていたようだ。しかしクリスは納得がいかない。
「なら、もう少し優しくして差し上げればいいじゃないですか」
「ヒューズもいねぇのに、馬鹿丁寧な言葉はやめろよ」
 そう言ったきり口を噤んでしまったので、クリスは先を促した。
「で、答えは?」
「あ? なんのだ?」
 また携帯を耳に当て、「ちっまだ出ねぇ」とブツブツ言っている。
「ですから、響子様が好きなら、もう少し優しく接したらどうかと」
「…………」
 無言で返す愁介の顔は、何故か不満顔。
「愁介?」
「なんだ?」
「いや、なんだじゃなくて」
「響子のことだろ」
 分かっているなら答えろよ!
 そう言いたくなる気持ちを懸命に抑え、クリスの口元が引きつった。
 ふうっと溜め息をついた愁介は椅子にもたれて、それを左右に振り始めた。
「お前も洸史も、響子が本命だと思ってるだろ」
「杉本さんや渡辺さんもですよ。いい加減、認めたらどうです?」
「……そこまでバレてて、認めるのは癪だ」
「そんな子供みたいなこと言ってないで」
 はあっと呆れた溜め息をついたクリスは、愁介の顔を見て唖然とした。
「愁介?」
「あいつ、からかうと面白ぇじゃん」
 クックックッと声を忍ばせて笑う愁介には、クリスも呆れて何も言えなかった。
「そんな風に笑っていると、今に手痛いしっぺ返しが来ますよ」
「ふん……」
 あまり深く考えている様ではない愁介は、またしても繋がらない携帯に舌打ちした。
「まあいいけどね。その時に後悔しても遅いんじゃないか?」
 だが、ありがたい忠告も愁介には届いていないようだ。
 クリスは肩をすくめて、主人にお茶を淹れるため、その場を離れた。<
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