Act.2 EXTRA 嵐の訪問者

 アポも取らず……(というか、自分と彼との関係ならば、アポがいらないのは分かっているが)
 いきなり執務室に現れて……(いや、いつものことだと分かっているが) ※執務室=社長室
 「明日の面接にこいつも入れろ」と、開口一番のたまって、決済していた書類の上に無造作に履歴書を置かれた……(まぁ、こんなことも「いつものこと」ではあるのだが)

 
 

 洸史は持っていたペンをデスクに置き、盛大な溜め息をつきながら、座っていた椅子に背中を預けた。
「愁介……」
「なんだ? お前がほしがってたドイツ語の出来る女だぜ」
 憮然とした表情で腕を組み、あからさまに尊大な態度でいるのは、自分の吐いた溜め息のせいだろう。自分よりも忙しい身の上の人間が、どうしてもこうも身軽にホイホイと、お目付け役の目をかすめて来られるのか。
 考えても詮無いことは思考の隅に追いやって、洸史はデスクに肘を乗せて頬杖をついた。視線は履歴書の内容を追っている。
「それで、彼女のドイツ語力はどの程度なのです?」
「俺が知るかよ」
 ある程度の予想はしていたが、愁介の彼らしい回答に、苦笑いは堪え切れない。
「知らないで、面接を斡旋したと言うのですか?」
「一年間ドイツに留学してる。……って、そこに書いてあるだろうが! 頼りない奴だが根性はあるからな、物にはなるだろ」
 彼の人を見る目を疑う訳ではないが、何の確信もなく、また予備情報もない状態で面接をすることなど出来ない。少なくとも、役員たちを立ち合わせなければならない、明日の現状では。
「せめて、愁介自身で彼女のドイツ語力を試してほしかったですね」
「ケッ! 出来りゃあやってるぜ! 明日お前がやりゃあいいだろうが」
 来月の終わりには29 歳になる目の前を男を、洸史は不憫そうに見上げた。
「……まったく、月の半分は世界中を飛び回っているのに、どうして英語しかしゃべれないんです?」
 彼をなじった訳ではないのだが、言い方がまずかったらしい。
「お前みてぇに、10カ国語、それもネイティブにしゃべれる奴の方が、おかしいんだよ!」
 指差されて怒られてしまった。だが、自分も好きで10カ国語の読み書き会話が出来るようになった訳ではない。
「仕方がないでしょう。やってみたら出来てしまったのですから」
「……ちっ、どこまでも腹の立つ奴だな」
「世間からすれば、あなたも十分『腹の立つ奴』ですよ」
「その慇懃なしゃべり方も、癇に障るし」

 

 これが、あと一年で三十路になる男の言葉だろうか。
 出るのは溜め息ばかりだが、この男らしい言動は洸史の秀麗過ぎる顔に、かすかな微笑みを浮かべさせた。

 

「三つ子の魂百まで、ですよ」
「あ?」
「この口調は、子供の頃からの癖です。あなたもご存知でしょう」
「んなこた分かってるよ」
 子供っぽい仕草でふいっと横を向く愁介を見て、洸史は微笑んだ。

 

 コンコン。
 愁介が入ってきたドアとは別の扉がノックされ、スーツを着た女性が一人、入ってきた。年の頃は洸史とそう変わらない。
「社長。開発部から上がって来ました報告書の件ですが……あ、」
 愁介の姿を見付け、慌てて丁寧にお辞儀をする。
「篠宮さま。いらっしゃっていたとは気付かず、失礼致しました」
「彼のことは気にせずに、続けて下さい」
「あ……はい」
 女性は愁介の存在に気後れしながらも、上司の傍に行き書類を見せて、二〜三言葉を交わす。いくつか指示を受けて、彼女は隣接する秘書室へと戻って行った。

 
 

「秘書は解雇したんじゃなかったのか?」
「いずれはしますよ。二人を残してね。ですが、今はその時期じゃありません」
「ふん、まぁお前の好きにすりゃあいいさ。お前の会社だからな」
「…………」
「なんだよ、その不満気な顔は」
「不満ではありませんが、私の会社と言うには多少抵抗はありますね」
「ふん、じゃあ俺と代わるか?」
 不敵な笑みでデスクに手を付き、身を乗り出してくる愁介を、洸史はニッコリ笑って牽制した。
「ご冗談を。私の代わりはいくらでもいますが、あなたの代わりが務まる者など、存在しませんよ」
 挑発に乗らない洸史に、愁介はあっさりと身を引いた。
「ちっ、つまんねぇ奴だな」
「つまらなくて結構です。大体、本気でおっしゃった訳ではないでしょう?」
 見透かしたような笑みを浮かべている洸史の視線をまともに受けて、愁介は居心地悪そうに肩をすくめた。

 
 

「んじゃ、それは渡したからな。もう行くぜ」
「いい息抜きになりましたか?」
「……相変わらず嫌味なくらいお見通しだな、お前は」
 一瞬絶句した愁介が髪をかき上げ、溜め息と共に吐いたのは、素直な賞賛の言葉だった。
「あなたが突然ここに来る時は、大抵そうでしょう。時間の許す限りは、私もお付き合い出来ますが」
「ま、今回は響子のこともあったしな。こいつ、変に卑屈なところはあるが、性根は据わってるぜ」
 言いながら指差すのは、履歴書に貼られた響子の写真。洸史はそれを目で追い、一つ相槌を打つ。
「あなたがそう言うなら、そうなのでしょうね。明日の面接では、あなたから履歴書を提出されたことは、役員に話しますよ。出所が不明では、彼らは納得しないでしょうから」
 手に持った響子の履歴書を愁介に見せ、洸史はデスクの引き出しにしまった。
「しょうがねぇだろな。あいつら相手じゃ針のムシロだろうが、上手くフォローしてやってくれ」
 言われなくてもそのつもりだったが、愁介からそんな言葉が出るとは、さすがに驚いた。
「随分と肩入れしていますね。そんなに気に入っているのですか? 彼女が」
「うるせぇよ」
 来た時同様、憮然とした表情でそっぽを向き、ボソッと呟いた愁介は、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 
 

「なるほど、彼女が本命ですか」
 そう一人納得し、洸史は書類の決裁を続けた。
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