Act.12  SuperCelebrity-life ...4

 午後の執務を終えて戻ってきた愁介との夕食時、夕方のノーマンの様子が気になったので、思い切って彼に訊いてみることにした。
「ねぇ愁介」
「ん、なんだ?」
「今日、二回目のダンス練習の時、ノーマンの様子が少しおかしかったんだけど、愁介なにかしました?」
 別にウケを狙った訳でも、笑わせる目的もなかったんだけど、愁介は飲んでいたミネラル・ウォーターを喉に詰まらせたみたいで、苦しそうに水の塊を飲み込んだ。変なタイミングで訊いちゃったみたい。
「なんで、そんなこと、訊くんだ?」
「えっと……ノーマンが焦っているように見えましたし、ちょっと怯えたような目もしていたので、もしかしたらと思ったんです」
 すると愁介は、ちょっと横を向いて小さく舌打ちしたように見えた。何かボソッと呟いたようだけど、私の位置からは聞こえなかった。
 ここは、エインズワース城のプライベートなダイニングルームで、城主に当たる愁介とその家族、要するに私が食事をする部屋。今後家族が増えるとしても、10人も座れそうなテーブルなんて絶対必要ないと思うんだけど、あと3年経ったらこのお城は別の人に渡る訳だから、あまり深く考えることもないわよね。
 いかにもお金が掛かっていそうな調度品や絵画とかが壁にあって、高い天井からも豪華なシャンデリアが釣り下がっている。周りにはメイドやボーイたちが控えていて、何かあればすぐに対処してくれる。大抵のことは自分で出来ることだけど、それは自分でしちゃいけないのが、何とももどかしい。
 若い白人のボーイがワインのソムリエのように、空になった愁介のグラスにミネラルウォーターを注いでいく。ここが自分の家ってことに、私はいつか慣れるのかしら。
 給仕の男性がやってきて、スープのお皿を私たちの前に置いた。
[ありがとう]
 にこっと笑ってお礼を言うと、恐縮したような表情をして[恐れ入ります]と恭しく頭を下げていった。
「響子」
「はい?」
 呼ばれて正面にいる愁介を見たら、何故か渋い顔をしていた。
「なんですか?」
「前にも言ったろうが。特別扱いはするなって」
「え、でも今のは……」
「お前、ここで働く全部の使用人に、いちいち礼を言うつもりか?」
 非難めいた口調に、ちょっと傷付いた。
「やってもらって感謝しているから言ったんです。ダメですか?」
「お前の気持ちは分からないでもないが、使用人たちの間で不公平感が出たら厄介だぞ」
「でも……だからって、お礼を言わないなんて出来ません」
 それに、今更やめるなんて、私には出来ないもの。別に会う人全員に言ってる訳じゃないし、私に何かしてくれた時だけだから。
 愁介がスープを飲み始めたので、胸にわくムカムカしたものを押し込めて、スプーンを手にとった。スープは温かい内に飲まなきゃ、シェフたちに悪いものね。
 今日の献立は確か、ジャガイモのポタージュスープにサーモンのマリネ、サラダに焼きたてのパン数種類、メインが白身魚のフライ中華風あんかけソースに牛のヒレステーキ和風ソースと、最後にフルーツの盛り合わせ。要するに高級レストランで食べる、まんまフルコースの夕食だった。
 毎日これだもの、絶対太っていくわよ、私! あの調子でダンスを毎日練習していたら、プラマイゼロにはなりそうだけど。
 それにしても、ここで出される食事はとにかく美味しい。さすがエインズワースというべきなのかな。愁介のため、というか総帥のために、きっと最高の食材とシェフを揃えているのよね。ああ……でも、こんなこと思ったらバチが当たるかもしれないけど、クリスや雪絵のご飯が懐かしい。
 空になったスープの器を見ながら、つい溜め息が出ちゃった。
 途端に、周りの空気が一変した。
 え!? なにごと!?
 顔を上げて見回すと、メイドや給仕たちが青褪めた表情で慌てている。不思議に思って愁介を見たら、何故か右手で額を押さえて、頭を左右に振っていた。
 な、何があったの!?
 身を乗り出して愁介に訊こうとしたら、さっきスープを出してくれた給仕の男性が私の横にすっ飛んで来た。せっかくのイケメンが、残念なくらい狼狽している。
[え!? あの、何かあったの?]
[奥様、今宵の料理に何かありましたでしょうか?]
 はい!? 何言ってんのこの人!? 驚いて、あんぐり口を開けてその人を見ちゃった。
[えっと、そんなことありませんでしたけど? あの、どういうことで]
「響子」
 言葉の途中で愁介に呼ばれて彼を見ると、今度は呆れた顔をしている。な、なによぉ。
「愁介、何なんですか?」
「他人の目があるところで溜め息をつくと、誤解されるからやめとけ」
「誤解って……?」
「例えば今の場合、お前つまんなさそうな顔で溜め息ついたろ。ありゃ、メシが不味かったって言ったようなもんだ」
 思ってもいなかったことを言われて、ビックリした。
「そんな!? 私はそんなつもりじゃ……」
「ああ、おそらくクリスの料理が食べてぇとか思ったんだろ」
「ちち、違います! クリスや雪絵のお料理が懐かしくなっちゃったんです!」
 急いで訂正してから、愁介が言ったことをハタと思い出した。
「え、あのっ……溜め息だけで、そんな風にとられちゃうんですか!?」
「雪絵に嫌というほど言われてただろうが。お前はそういう立場になるって」
「それは、そうですけど」
 まさか、こんな溜め息だけで、こんな大事になるとは思ってもいなかった。給仕の男性は青ざめたままだし、どうしたらいいの!?
 助けを求めて愁介を見たら、しょうがないっていう風にちょっと笑って、私の隣に立っている給仕の男性に視線を向けた。
[ニール・バントン、響子はお前やシェフに対して溜め息をついたんじゃない。気にしなくていい]
 ニールと呼ばれた男性は、心底ホッとしたように肩の力を抜いた。それから何かに気付いたような顔で愁介を伺う。
[マスター、私の名前をご存知だったのですか?]
[当然だろ。ここで働いている奴の名前は、全員把握してるぞ]
 ええ!? 愁介ってば凄い! 200人近い使用人たちの名前を把握しているなんて! ニールもとても感動しているみたい。
 そっか、愁介はお礼を言う代わりに、そういうことで気持ちを表現してるんだ。同じ事を私がやるのは無理っぽいから、私は自分のやり方でやってもいいよね。
[奥様]
[え!? あ、はい]
 急に呼ばれて顔を上げると、ニールが私に頭を下げたから、ビックリした。
[手前勝手に誤解をしてしまいまして、申し訳ございませんでした]
[ええ!? そんな、私こそ不用意に溜め息なんかついたりしちゃって、ごめ]
「響子!」
 愁介の殆ど大声のような呼び掛けで遮られて、ハッとなった。彼を見ると、今度こそ呆れた顔が待っていた。
「無闇に謝るなと、昔言ったのを忘れたのか?」
「でも今のは私が」
「誤解したそいつが悪い。そういう世界なんだよ。いい加減に慣れろ」
 そんなこと言われても……。
 ニールは急に日本語での会話に戸惑っているみたい。どうしよう。こういう場合は、どうしたらいいの?
 しばらく考えて、何とか無難な言葉を思い付いた。
[奥様……]
[何でもないわ、ニール。昼間、慣れないダンスの練習をしたから、ちょっと疲れちゃったの。大丈夫よ。溜め息はあなたのせいじゃないから、気にしないで]
 ニコッと笑って言うと、ニールは今度こそ安堵した顔で、深々とお辞儀をした。
[恐れ入ります、奥様]
[食事の続きをお願い出来る?]
[はい、只今]
 ニールが厨房のある方のドアから出て行って、他のメイドや給仕たちも、落ち着いて自分の仕事を再開した。
 ふう。
 このくらいの溜め息ならいいよね。そう思って愁介を見たら、笑いながら満足そうな顔をしていた。
「まあ、十分じゃねぇか。今後もそうやっていきゃ、いいだろう」
「でも、あんなで本当にいいんですか?」
「何がだ?」
「だって、なんだか偉そうじゃないですか」
 いくら愁介の奥さんになったと言っても、やっぱり私自身はそんな偉い人でも何でもないもの。
「ふん、俺は響子らしくていいと思ったぜ」
「そ、そうですか?」
 彼に誉められて、嬉しいような恥ずかしいような、そんな思いで顔が赤くなるのを感じた。
 それからのご飯は、溜め息とか出ないように注意して食べ進めた。セレブな人たちって、随分窮屈な生活をしているのね。
 
 

**********

 
 
 夕食後にも愁介は仕事があって、ネットでの会談といくつかの決裁を終わらせて戻ってきた時は9時を回っていた。
 それでも今日は早い方だと思う。昨日は遅かったけど、イギリスに来てからの方が仕事から解放される時間が、少し早くなったような気がする。やっぱり日本に本部があるっていうのは、エインズワースにとっては色々弊害があったのかも。
 私は部屋着に着替えて、私たちのリビングで英語の書物を読んでいた。少しでも英語の勉強になればと思ったけど、辞書引き引きでないと読めないのがつらいわ。10年くらい前は、こんな風にドイツ語を勉強していたけど、あの頃とは頭に入っていく量と速さが全然違う。やっぱりあの頃は若かったんだなぁと、しみじみ思ってしまう。
「愁介、おかえりなさい」
 読んでいた本と辞書を閉じて、彼を迎えた。ネクタイを緩めながら疲れた顔で帰ってきた愁介は、私に抱き付いてきた。
「やっと解放されたぜ」
 仕事終わりで抱き付かれるのは、さすがにもう慣れた。今では背中に回した手で、ヨシヨシと撫でられるくらいは出来るようになったから。まだちょっと照れるけど。
 こんな私たちに気付いて、タニアがメイドたちを下がらせてくれた。彼女自身も黙ったままお辞儀して、静かに部屋を出て行く。気を利かせてくれるのはありがたいけど、こういう事情が分かられてしまうのは、ちょっと複雑な気分だわ。
「愁介、疲れましっん」
 たか? という最後の言葉は、彼の唇に遮られた。何の前触れもなく、激しくキスされた。ちょ、どうしちゃったの!? 最近はこういうことなかったのに!
 必死に彼の胸を叩いて、散々口腔を舐め取られてから解放された。
 と思ったら、今度は抱き上げられて寝室に直行。天涯付きのベッドに投げ出され、軟らかい布団とマットレスが私の体を受け止めてくれる。愁介はといえば、上着を脱ぎ捨てシャツのボタンを外し、ネクタイをむしり取るようにして、私の上に覆い被さってきた。
「ちょっと愁介んぅ」
 再び激しく唇を吸われた。私の声なんか聞いてもくれない。こんな愁介は久しぶりだわ。
 ディープキスされたまま、ネグリジェの胸元を大きく開かれて直接胸を触られた。ゾクゾクする感覚に背筋をのけ反らせると、唇が解放される。
「もう、愁介! どうしちゃったんですか!?」
 すると、物凄く不機嫌そうな表情で彼が顔を上げた。思わず絶句しちゃったわ。
「え、愁介どうしたの?」
「響子は分からねぇだろう。俺が昼間どんだけ気を揉んでいたか!」
「ええ!? なにを言ってるんですか?」
「ノーマンの野郎にベタベタ触られただろうが!」
 ベタベタ……っていうか、社交ダンスってそういうものなんでしょ?
「え……それは、まぁお腹や腰の辺りをくっつけながら踊るのは、たまげましたけど」
「パーティーには必要とはいえ、お前が他の男に触られてんのを、俺がどんだけ我慢していたか分かるか!?」
「え……でも、愁介がノーマンに頼んだんですよね?」
「…………」
 黙っちゃった。昔から愁介って部が悪くなると黙っちゃっていたわね。男の人ってみんなこうなのかしら?
「休憩した後ノーマンの様子がおかしかったのは、やっぱり愁介が何かしたんですね?」
「ふん、響子とのダンス練習を終えたあいつが顔を緩ませて報告に来たから、ちょっと報復してやっただけだ」
 もう、呆れちゃう。それって職権乱用なんじゃないの?
「何をしたかは聞きませんけど、そんなことして大丈夫なんですか?」
「なんで響子があいつの心配をするんだ!」
「ノーマンの心配もそうですけど、私は愁介も心配してるんですよ?」
「……俺をか?」
「なんでそんな怪訝な顔をするんですか!? そんな私情を交えたことをしちゃって、今後ノーマンや他の人の愁介の見方が変わったら、どうするんですか?」
「ああ」
 愁介はようやく合点がいったという風にうなずいて、それからニヤニヤ笑いながら私を抱きすくめた。
「そんなこと響子は心配しなくてもいいぜ。その程度じゃ俺の支配力はヒビも入らねぇよ。だが、そういう心配されるってのもいいもんだな」
 全くもう、そんな嬉しそうな顔して言うなんて。
「私が好きなのは、愁介だけです」
「それは分かってるが、お前が他の男に触られるのは、やっぱり我慢ならねぇ」
「そんなこと言って、パーティーの時はダンスを申し込まれたら極力受けた方がいいって言われましたよ?」
「そん時ゃ我慢する」
 愁介ってば子供みたい。そんな彼が可愛く思えて、背中に腕を回してキュッと抱き締めちゃった。それでスイッチが入っちゃったみたいで、その夜は久しぶりに激しく抱かれてしまった。
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