Act.12  SuperCelebrity-life ...3

 く、くたびれた……。午後3時になって、ようやくダンスの練習から解放された。
 社交ダンスがこんなに体力を使うものだったなんて、想像もしていなかった。日本にいた時、テレビの特集で社交ダンスの競技会とか見たことはあったけど、優雅に踊っているように見えて、実はかなりの運動量なのね。
 去年のクリスマスで筋トレする愁介を見てから、自分でも簡単に腹筋とか腕の運動とかしていたから、少しは筋力がついているみたいで転ぶようなことはなかったのは幸いだったかも。
 足元を見ては行けないとか、背筋を伸ばしてとか、昔懐かしい篁さんから言われたセリフを聞きながら、ノーマンのリードでとりあえずダンスらしきものにはなった。けど、下が見られないせいで出す足を間違えてノーマンの足を踏んづけちゃうし、それでノーマンに衝突しそうになって、ステップだけで頭が一杯だからロボットみたいにぎこちない動きだった。
 これで本当にパーティーなんて開けるの!?
 更に驚いたのはノーマンよ! ダンスで触れた肩や背中からは愁介とは比べ物にならないくらい細っこかったのに、1時間もぶっ続けで踊っても息一つ乱れていなかった。貴族って、実は凄い体力を持っているとか!?
 やっぱり、人を見た目で判断しちゃいけないわ。
 
 

**********

 
 
[響子様、ダンスの練習は如何でしたか?]
[ダンスがこんなに疲れるものだって、初めて知ったわ]
 部屋に戻ると、タニアが白い陶器の器に紅茶を淹れてくれた。立ち上るほの甘いバニラの香りに、心が癒される。
 午前中のお茶の時間に、タニアがこの紅茶を淹れてくれて、私が気に入っちゃったので、またこの紅茶を淹れてくれたのね。香りは確かにバニラなのに、飲むと味はしっかり……というよりちょっと渋めの紅茶というのが面白かったから。ミルクを入れると不思議なほど渋みが消えて、とっても飲みやすくなるのもいい。
「はぁ〜、息つくわぁ」
 一口飲んで、思わずしみじみと日本語で言ってしまった。タニアはクスクスと笑ってる。
[あ、あれ? タニア日本語分かるの?]
[いいえ、私には分かりません。ですが、響子様のお顔を拝見していれば、大体のことは]
[やだ、私そんなに顔に出ていた?]
[今はとても。よほどお疲れなのですね]
 うわぁ……、久しぶりに穴があったら入りたい気分になったわ。恥ずかしくて、カップで顔を隠すようにして紅茶を飲んだ。
 落ち着いてくると、何だか周りにいるメイドの数が少ないように感じた。
[ねぇタニア。メイドたちが少ないようだけど、今は休憩時間なの?]
[いいえ、メイドの数は全てシフトを組んでおりますので、常時変わりません。ただ、響子様は傅かれる生活はあまり好まれないようでしたので、昼間のシフトを少し調整してみました]
[え……でも、みんな生活があるんでしょ? 仕事を減らして大丈夫なの?]
 身近にいるメイドの数が少なくなるのは嬉しいけど、私の我が儘でその人たちに仕事がなくなるのは嫌だわ。そんなことを思って言ったら、彼女はまたおかしそうに笑った。
[響子様が心配されることではありませんわ。それに、私には彼女たちを解雇する権限はありませんので、少し別の仕事をしているだけですから。トリシアさんにも了承されました]
[そう? それならいいんだけど]
 ホッとしながら残った紅茶を飲んでいると、タニアがじっと私を見ながら微笑んでいた。なんだろ、嫌な感じはまったくしないけど、何だか気になる微笑みだわ。
[タニア?]
[私は今まで、いくつかのお屋敷で雇われてきましたが]
[う、うん……]
 なんだろ? いやだぁ、ドキドキするよ。
[響子様にお仕え出来たのは、これまでにない僥倖(ぎょうこう)です]
 いぃやぁー! そんな心底嬉しそうな顔で言わないで。しかも僥倖ってなに!? は、恥ずかしい。そそくさと最後の紅茶を飲んで、手でパタパタと顔を扇いだ。顔が熱い。
[そ、そう思うのは早いんじゃない!? だってまだ二日目よ?]
[ええ、ですが私の正直な気持ちですので]
[いやいや、半年も経ったら絶対に変わっているから、その気持ち]
 そんな風に言われると、私のことが色々見えてしまった時の、彼女の失望感がすごく怖い。それを必死に訂正してもらおうとしたら、タニアはニッコリ笑って空になったカップをトレーに乗せた。
[ふふ、響子様は大丈夫です。新しいお茶を淹れてきますね]
 あああ〜、そんなサラッと言って行かないで。
 部屋の隅に置かれたワゴンで、手際よく紅茶を淹れていくタニア。彼女の後ろ姿からは、メイドのプロフェッショナルというプライドが感じられる。そんな彼女の私像は、簡単に壊せないじゃない! うう、またしても試練だわ。私の人生、試練からは逃れられない気がしてきた。
 二杯目のお茶は、なんだか妙なプレッシャーを感じてしまって、味も香りも全然分からなかった。

 
 

 小一時間ほどして、ダンスの練習再開。大して時間は経ってないのに、ノーマンは何だか凄く疲れているみたい。どうしたのかしら? 実はさっき、かなり疲れていたとか?
[ノーマン。疲れているようだけど、大丈夫?]
[お気遣い痛み入ります。ですが、どうぞ私のことはお構い無く……]
 スマートにサラッと言ってるけど、どこか怯えたような目をしているから気になった。
[でもさっきはあんなに元気だったのに]
[響子様、どうか私のことは本当にお構い無く! さぁ、先程の続きを始めましょう]
 そう言って、私に左手を差し出した。さっきは私の手を取ったのに、なんで今回は差し出すだけなの?
 不思議に思いながら右手を上げると、私を待っているのか、なかなか手を取ろうとしない。私がノーマンの手に自分の手を乗せると、ようやくさっきのように軽く握ってきた。彼の右手が脇の下を通って背中に添えられ、私はその上から彼の肩に左手を置いた。
[では、先程の復習から始めましょう。最初に三つカウントしますので。行きますよ、ワンツースリ]
 確か最初は右足を引くはずだった。記憶を総動員して右足を軽く後ろに退げると、ノーマンの左足が前に一歩出た。それで二人が自然に合ったように動けた。教えられた通りに、次は左足を斜め後ろに。今度もタイミングよくノーマンの右足が同じ方向に動く。最後に右足を左足に添えるように動いてパターン終了。
 再び同じ動作をしていく。何だか、さっきよりも自然に動けているような気がする。何とか下を見ずに出来ているし。
 直線でのステップを何回か繰り返した後で、今度は自分から動かずにノーマンの動きに合わせてみることにした。
 うん? なんだか動きやすいような気がする。もしかして、男性をリードに任せて動くってこういうことなのかしら。ステップの順番は確かに覚えないといけないけど、動き方なんかは男性に合わせていくと楽かも。
 さっきまでは直線移動だったのを、今度は長く続けていく。壁に激突しそうになると、ノーマンが巧みに回転して角度を変えてくれる。私はそれについていくだけ。ちょっと足元がもたついたけど、慌てずにノーマンに合わせていけば大丈夫みたい。
 いつの間にかノーマンのカウントがなくなっていた。でも頭の中では知ってる三拍子の曲が流れていて、自然に動けている。一通り躍り終えて、ノーマンが目を丸くして私を見下ろした。
[驚きました、響子様。たった二時間でコツを掴まれたようですね。すぐにでも人前で踊れますよ]
[そ、そう? ノーマンの動きに合わせてみただけなんだけど]
 半信半疑で話してみると、ニッコリ笑われた。
[さすがですね。では音楽に合わせてみましょう]
 そう言って、備え付けらしい豪華なオーディオセットにCDを入れて、再生ボタンを押した。私でも知ってる有名なクラシックのワルツが流れ出した。
 すると、私の前でノーマンが優雅にお辞儀をした。
[ミセス響子、私と踊って頂けますか?]
[え、えっと……]
 いきなりの展開で目を白黒させていると、体を戻したノーマンが説明してくれた。
[普通、ダンスを申し込まれた女性は余程の理由がなければ断ることは出来ません。が、響子様は特別ですから、気が乗らなければお断りしてもいいでしょう。それでも今回のパーティーは響子様のお披露目を兼ねていますので、極力お受けした方がよいかと存じます。その場合、男性が差し出した手を取り、会釈して下さい。男性の方が踊り場に連れていきますから]
[う……わ、分かりました]
 音楽が流れる中、ノーマンに連れられてフロアの中央に出た。
[私が適当なところで始めますから、響子様はついてきて下さい]
[え!?]
 もしかして、なし崩しに実践練習ですか!?
 あまりな展開に目を回していると、踊る態勢になったノーマンの呼吸が一瞬変わった。その瞬間、彼に合わせようという意識になって、自然に体が動いた。彼の動くタイミングが分かって、突然に始まったダンスにも対応出来る。それから音楽が終わるまで躍り続けられた。
 ノーマンはすっかり感嘆した様子で、満面の笑顔を見せた。やっぱりイケメンの笑顔って、凄い威力があるわぁ。
[さすがです、響子様。もう私が教えることはなさそうですね]
[ちょ、ちょっと待ってよ! まだワルツを一種類だけよ? それはまだ早すぎです]
[いえ、もう実践で踊っていくのが一番いいでしょう]
 そう言って今度は別の曲を流して、ノーマンと踊り続けた。
 なんだか彼、焦っているみたい。パーティーは一ヵ月後のはずなのに……と思っていて、ふと愁介の顔が頭をよぎった。もしかして愁介が彼に何かした?
 ……としたら、今日の夜にでも確かめておかなきゃ。
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