Act.12  SuperCelebrity-life ...1

 結婚式を終えてしばらく経った6月の終わり。私と愁介は、一ヶ月お世話になったフォスター家を後にして、エインズワースのお城に入った。
 セレブな生活と広いお屋敷にようやく慣れた頃だったのに、ちょっと残念。でもやっぱり居候には違いなく、新婚生活にはちょっぴり窮屈だったから、ちょうどいい頃合だったかもしれない。
 時間短縮のために、私たちの移動はヘリコプターで。こんな時でも、彼の総帥としての仕事に待ったはないのだから、過労なんて言葉が頭をよぎる。妻としての私の最大の仕事は、愁介の一日を疲れを、その日の内に取ってあげることよね。
 空から見るエインズワース城の敷地。眼下に見える景色のほぼ全部が、エインズワースの物だと言われても、やっぱりまだまだ実感が湧いてこない。でもそれでいいのかも。愁介は10年総帥やったら辞めるって言っているから、あと3年ってところよね。その期間だけ住まわせてもらうという訳で、長期滞在というのが私の感覚。
 お城の前庭にヘリコプターが着陸して、私と愁介、それにセシルさんが降りる。ロンドン郊外だから、それほど森深い感じはない。それでもお城はちょっとした高台にあるのだけど、敷地の端っこにある門は、もうここからは見えません。
 一度セシルさんに連れて来られたとはいえ、改めて見ると、エイズワースのお城はやっぱり大きい。テレビでしか見たことがなかった、ヨーロッパのお城に自分が住むなんて、愁介と結婚するよりもっと現実感がない。
 私たちがお城に向かって歩いていると、壁にそってたくさんの人が並んでいた。男の人は燕尾服のような服装で、女の人はいわゆるメイドさんの格好。ざっと数えただけでも30人くらいはいる。もしかしなくても、ここで働いている人たち、よね?
 思わず足が止まった。隣りを歩いていた愁介が、怪訝な顔で振り向く。
「響子? どうした」
「あ、えっと、あの人たちは……」
「ここの使用人たちだ」
 やっぱり! でも、よく思い出してみたら、フォスター家で働く人たちもこれくらいの人数だったかも。うん、これなら大丈夫かな、なんて思っていたらセシルさんの楽しそうな声が聞こえた。
[あれで全部じゃないよ]
[え!? まだいるんですか?]
[数えたことはねぇが、多分200人くらいはいるんじゃねぇか?]
 そんなに!? やっぱりこれだけ大きなお城だと、それだけの人数が必要ってこと? フォスター家での暮らしでセレブな生活には慣れたと思ったけど、エインズワースはもっと凄い……スーパーセレブなのね。
「はぁ……」
 思わず出ちゃった溜め息が聞こえたのか、愁介がそっと肩を抱いてくれた。そのままお城に向かって歩き出す。愁介の手はとても温かくて、不安な私の気持ちを和らげてくれた。
 とはいえ、少し不安は和らいでも、やっぱりこの状況には困っちゃう。私たちが歩くその横を、深々と頭を下げている人たち。こんなにたくさんいて、それでも全員じゃないんだから、一体どれだけの人が働いているのか想像も出来ない。
「あっ……」
 お辞儀をしているメイドたちの中に、知っている顔を見付けて思わず声が出た。足を止めようとすると、肩を抱く愁介の手に力が強く入って、そのまま歩かされた。
「愁介」
「前に言ったろ、特別扱いは逆にあいつを困らせる」
「でも……」
 歩きながら振り返ると、顔を上げた雪絵が少し微笑んだように見えた。白人に金髪や銀髪のメイドが多い中で、黒髪の雪絵は物凄く目立ってる。他にも黒い髪の人はいるけれど、どこか茶色掛かっていたり藍色っぽかったり。顔付きも見るからに欧州の人間ばかり。日本人、というより東洋人なのは雪絵だけだった。
「少しは安心したか?」
 大きな扉の前に立って開かれるのを待っていると、愁介のちょっと笑いを含んだ声が聞こえた。
「もしかして、愁介が呼んでくれたの?」
「そのつもりはなかったが、あいつの方が乗り込んできた」
「知ってたんなら、教えてくれればよかったのに」
 そうしたら、もう少し気持ちが落ち着いていられたかも。
 扉が開くと、そこは玄関にはとても見えない大きなホールみたいになっていた。セシルさんが言ったように、中で迎える人たちの方がずっと数は多かった。
 私たち3人の前に、初老の男の人とちょっと怖そうな中年の女の人が進み出る。このお城の家令とハウスキーパーで、家令は執事をまとめる役でハウスキーパーはメイド長なんだとか。特にメイド長は、おばさんとは思えないほど綺麗な人なんだけど、言葉の端々がキビキビしていて性格も厳しそう。
 一応私たちの住まいになるのだから、フォスター家のような肩身の狭い思いはしなくて済む。そう思っていたのに、どうもそういう雰囲気にはなりそうもない。甘い新婚生活というのにも憧れていたのになぁ。
 私は口に出そうになった溜め息を、心の中でついた。

 
 

 着いて早々、愁介は仕事へ行ってしまった。こういう時は、仕事のある愁介がちょっと羨ましく思う。私にはやることがないから。
 私はメイド長の案内で、お城の二階にある私たちが住む部屋に入った。部屋というより、もう家と呼んでいいと思う。何しろリビングに寝室、他に一人になりたい時に便利そうな小部屋があって、バスルームもレストルームも私たちのためだけに完備されてる。リビングから出られるバルコニーは広々していて、ここでパーティーでも開けるんじゃないかと思うくらい。
 お城にはちゃんとしたリビングがあるのに、私たちが住む部屋の中にも同じ様な部屋があるってところが、既に普通じゃないわよね。
 私たちの部屋からお城の居間へは、長い廊下を歩いて1階に降りてまたまた歩いて……という行程で行かないといけない。くつろぐための部屋に行くのに、そんな距離を移動するのも馬鹿げているから、私たちだけのリビングがあるのは、理に適ってはいる。でもこのお城、どんだけ広いのよ!
 やることのない私は、その私室のリビングで、メイドが淹れてくれた紅茶を飲んでいるところ。いわゆるアフタヌーンティというやつで、軽いサンドイッチなんかもあったりして美味しい。それはいいんだけど、ご飯以外に毎日こんな生活をしていたら絶対太っちゃう!
 私の前にはメイド長がいて、これからの私の生活を簡単に説明してくれている。トリシア・ヘイルウッドさんは、セシルさんの代からこのお城に入っている、御歳52歳の綺麗なおばさまっていう感じの人。私と愁介の事情を分かっていて、色々考慮してくれる人だとは、セシルさんが教えてくれたけど、今のところは厳しい面しか見えてこない。ちょっと不安。
 総帥夫人とはいえ、仕事という仕事は私にはなくて、やることといえば、エステとか英語を含めた外国語の勉強とかダンスの練習とか。
[えっ、ダンスの練習?]
 ダイエットの運動もしなきゃ、なんて考えていたら、いきなりそんな言葉が聞こえてきた。驚いてヘイルウッドさんを見ると、ちょっと呆れたような顔で私を見下ろしている。
[当然でございます。エインズワースの夫人となれば、パーティーに出席されることも多くなります。奥様はダンスのご経験がおありでないとお聞きしておりますので、午後はその練習に時間を割くことにしております]
 うわぁついに来ちゃった、って感じ。日本にいた頃、レオンとマギーからそれとなく言われてはいたけれど、秘書の仕事と英語の勉強で手一杯だったから、結婚してからでもいい、なんてことになっていた。
 なんというか、一つクリアするとまた次の試練が待ち構えているような感じ。結婚式前は、出席者たちの顔と名前と肩書きを覚える、というものだったわね。これらを一気に持ってこないのが、きっとレオンたちの心遣いなんだと思う。
 まぁ、ここで生活するのに私には特にやることがないから、何かに集中して出来るのはいいことかもしれない。
 それから10人くらいのメイドを紹介された。私の身の回りのことをお世話してくれる人たちで、ぶっちゃけ裸を見られちゃったり、服を脱がされちゃったりなんてことも、されてしまうのだ。その辺はフォスター家で嫌というほど経験したから、もう諦めてる。
 ヘイルウッドさんはお城全体のメイドのトップなので、私のお世話をしてくれるメイドたちをまとめてくれるのは、タニアという30代の女性。金髪に碧眼の綺麗な女の人。そういえば、ズラッと並んでいた使用人たちは、男の人も含めてみんな見目がよかった。もしかして、顔の造形も採用の基準になっていたりして。
 外で見た雪絵のことが、思い出された。
[一つお訊きしますが]
 一通り説明を終えたヘイルウッドさんにそう声を掛けたら、眉をしかめて叱られてしまった。
[奥様がそのような敬語を使われる必要はございません。私共にはどうぞ、ご命令なさって下さって結構でございます。そうでなければ、他の者にも示しがつきません]
 はい、はい、そうですか。そういえば雪絵にもそんなことを言われたよね。ちょっと懐かしくなっちゃった。
[それじゃあ遠慮なく。外で迎えてくれた人たちの中に日本人がいたよね? 麻生雪絵という人。彼女はどこに配属されているの?]
 言われた通りに敬語を省いて訊いたのに、今度は不審そうな顔で見下ろされてしまった。
[奥様は、彼女をご存知でございますか?]
[うん。日本にいた頃に、一緒に住んでいたメイドなの]
 出来れば雪絵が傍にいてくれると嬉しい。顔には出さなかったけれど、言外に伝わるようには言ったつもり。するとヘイルウッドさんは難しい表情でしばらく考え込んだ。どういう経緯で雪絵がここに来たのか、愁介は教えてくれなかった。彼女の顔を見ていると、これは難しい問題なのかも。でも返ってきたのは意外な言葉だった。
[分かりました。すぐに、というのは難しいですが、なるべく早くあの者が奥様のお世話係になるよう、手配いたしましょう]
[本当に?]
[もちろんです。奥様に嘘を申すことはございません]
 別に疑った訳じゃないんだけど、あんまりにもすんなり希望が通っちゃったから、ちょっと驚いた。正直にそう話すと、これまた意外な答えが返ってきた。
[私共の仕事は、奥様と旦那様にこの城で快適にお暮らし頂くことでございます。奥様のご希望に添えるよう努力することも、私共の務めでございます故]
[ありがとう]
[礼をおっしゃる必要もないのですが]
[まぁ、それは私の気持ちだから、受け取ってくれると嬉しいかな。仕事だ仕事だってドライに構えているだけじゃ、窮屈だもの。主人と使用人でも、人間同士で暮らしているんだから、ね]
 別に意識して言った訳じゃないし、何を狙った訳でもないんだけど、この私の一言はヘイルウッドさんとタニア、そしてその場にいたメイドたちを偉く感動させちゃったみたい。別に普通のことだと思っていたから、これは私にはとても不思議なことだった。
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