Act.11  これがあたしの生きる道 ...12

 エステよりも恥ずかしい、メイドにお世話されての入浴は、14日間経験してもちっとも慣れない。髪や体を洗うのに、一人では苦労する部分もあるにはあるけど、だからって毎回こういうのもねぇ……。
 バスローブを着せられ、レストルームに入ると椅子に座るよう指示される。髪を乾かしてくれるというのは状況を見て分かったけど、ドライヤーを持っているのは彼女ですよ!?
「え!? マギー出来るの!?」
 思わず日本語で言っちゃうくらい驚きました。マギーはニッコリ笑って[はい、あれから特訓しましたから!]と胸を張って言った。周りのメイドたちも止める気配がないから、本当に特訓したのかも。
[じゃあ、お願いします]
 呟くように言うと、すぐに熱風が髪の毛に当たった。手ですきながらドライヤーを操る腕は、まるで美容師さんにやってもらっているみたいだわ。
[凄ーい! 気持ちいいですよ、マギー]
[ここにいるメイドたちに、鍛えられましたからね]
 彼女がそう言うと、メイドたちがクスクス笑った。とっても嬉しそうな笑顔だから、鍛えられたというのは比喩じゃなくて本当のことかも。
 髪を乾かし終えると、今度はドレスを着るための下着。ここに来てから、パーティーの時に着るドレスを何度か着せられたから知っているけど、ちょっと抵抗あるのよね、これ……。スリーインワンとかいう下着で、胸から腰までを補正してくれるのはいいんだけど、ガーターベルトも一体化しているのがとっても恥ずかしい。
 ショーツもストッキングもメイドにはかせてもらうこの状況。自分で着けた方が早いような気がするのだけど、そうするとこのメイドたちの仕事がなくなっちゃう。フォスター家での生活で本物のセレブな生活を体験させられたから、その辺の線引きが重要なことは雪絵と生活している以上に分かった。でも、それでもやっぱり自分でやらせて下さいって思うことはある訳で……。セレブな生活って意外に窮屈なんだと実感。
 下着をつけた後は、いよいよドレス。式の日取りと同じくドレスも当日のお楽しみとかで、見せてももらえなかった。今も、ドレスを着た自分を見てみたかったのに、まだ鏡を見ちゃダメだって。
 その状態で椅子に座らされて、ポンチョみたいな形をした足元まで覆う長い布を首から掛けられた。何のため? と思っていたら、今度はヘアとメイクをしてもらうみたい。
 マギーがやりたそうにウズウズしているように見えたけど、これはさすがに専門の技術を持つメイドがやってくれた。どんな髪形になったのか興味津々。でも鏡がないから見られないわ。
 残念な溜め息をつくと、視界の隅で動いていたメイドたちが、慌てたようにおたおたし始めた。
[え? どうしたの?]
 まるで追い立てられたような動きにビックリした。髪をセットしてもらっているから、顔を動かそうにも出来なくて、彼女たちが何をやっているのか見当もつかない。
 すると、私の一番近くにいた年上のメイドが、お詫びするような顔で口を開いた。
[申し訳ございません、響子様。お腹が空きましたでしょう。今ご用意していますから、もう少しお待ち下さいませ]
[え、ご飯食べられるんですか?]
 嬉しい! 着替えたら移動って言ってたから、てっきり空腹のままかと思ってた。
[はい。あ、ちょうど出来たようですわ]
 その人が退いて、入れ替わるように若いメイドがトレーを持って私の前に座った。パンケーキみたいのが小さく切り分けられて、お皿に乗ってる。でも、先に喉を潤したいかな、と思っていたらコップに入ったストローの先が唇に当たる。
[どうぞ、先ずは喉を潤して下さい]
 さすがプロのメイドたち。痒いところに手が届くというか、本当に至れり尽くせりだわ。裸を見られたりするのは嫌だけど、こういうところは少し助かると思う。
 ストローで啜ったのは、冷たいお水。それからフォークの先に突き刺したパンケーキを、口元に運んでくれた。甘い味がお腹に染み渡るぅ……。
 私ってばよっぽどお腹が空いていたのか、用意してくれたパンケーキを全部食べちゃった。一口サイズで口に入れられるから、知らない内に結構な量になってたみたい。メイドがみんなビックリしてたもの。それでも、背に腹は変えられません。バージンロードをお父さんと歩いている時、指輪の交換をする時、誓いのキスをする時に、お腹が鳴るなんて失態は絶対に嫌だもん!
 ご飯に満足していると、今度は顔のメイク。こっちはメイク専用のメイドがやってくれたみたい。
 そんなこんなで、きっちり予定通り2時間30分掛かって、私の準備は完成した。
 ようやく鏡の前に立つことが出来て、その中から私を見つめる私は、どこかの国のお姫様みたいだった。
 実を言うと、ウェディングドレスを見るのも今日が初めて。上は胸元にレースの刺繍が施されたシンプルですっきりとしたノースリーブ、スカートの部分はプリンセスラインでとっても華やか。ふわっふわのフリルがスカートの上部を可愛く演出して、裾には贅沢なレースの刺繍があって、トレーンがメチャクチャ長い。
 移動する時は私の後ろにフォーマルなスーツを着た二人の女性がついて、トレーンを抱えて歩いてくれる。この人たちはエインズワースのスタッフ。お城にはメイドは連れて行けないからって。
 手にはシルクのロンググローブをはめて、ブーケは百合の生花。そして頭にはキラキラと光るティアラ。ダイヤモンドが散りばめられていて、とてもゴージャス。これがあるだけでお姫様に見えるんだから、ティアラの効果って凄いわ。ベールを掛けても、その輝きは全く色褪せない。マギーがそっと耳打ちしてくれたことには、式のために愁介が特別に作らせたんですって。
 もう愁介ってば、今日のために一体いくら掛けているの? ドレスだってどこかの有名デザイナーの一点物って話だし。嬉しくない訳じゃないけど、つい勿体無いって思っちゃう。たった一回の結婚式のために、こんなにお金を掛けるなんて……。

 
 

 イギリスでは、結婚式の前に新郎と新婦が顔を合わせるのはよくないと言われているってことで、愁介とは別々のリムジンで式場のあるお城に向かう。
 フォスター家のお屋敷から二時間掛けてようやく到着。窓から見ると、ガイドブックに乗っている写真そのもののが、そこに建っている。何だか不思議な感じだわ。
 式を挙げるという場所は、このお城の中にある教会。そして結婚式が終わったら、迎賓館のような場所でお食事会ですって! そんな話聞いてないよ! 知ってたら……せめて心の準備くらいは出来たのに。
 これから結婚式を挙げるというのに、気は重い。
 今いる場所は、お城の人に案内された控え室のような部屋。ここには私とトレーンを持ってくれる女性スタッフしかいない。
 本当に、式が始まるまでは愁介に会えないんだ……。
 こんな見知らぬ場所で、エインズワースのスタッフとはいえ会ったことのない人たちと一緒にいるって、すごく心細い。
 ふぅっと溜め息をついたところで、「響子」と聞き覚えのある声がして顔を上げると、父と母がそこにいた。母は薄いグリーンのドレス、父はモーニングを着ている。あんまり唐突だったから、一瞬、幻かと思っちゃった。
「え、お父さんお母さん、いつイギリスに来たの?」
「ふふ、一週間前よ。篠宮さんがね、せっかく来るんだから観光したらいいって、航空チケットにホテルに通訳まで手配してくれたの。飛行機はファーストクラスだし、ホテルはスウィートルームだし、お母さんこんな旅行は初めてよ!」
 楽しそうな母。でもその仕事、細やかな気配り度合いを見ると、愁介というよりレオンがやってくれたんじゃないかな。
「それにしてもまぁまぁ、綺麗になって。お姫様みたいよ」
「お母さんだって、素敵なドレス。どうしたの?」
「これ? 篠宮さんが送ってくれたのよ、この日のために。お父さんにはモーニングをね」
 そういえば父の声が聞こえないと思って目線を移すと、私を見下ろして涙ぐんでいた。
「もうあなた! あれほど響子の前では泣かないで下さいって言ったでしょう!」
「いや、しかしだな……当分は日本に帰ってこられないのだろう。これが……見納めということも……」
 正装してカッコイイ父なのに、こんなに弱々しく泣いちゃって……こういう人だったかしら? それとも花嫁の父ってみんなこうなの?
「晴れの結婚式に、縁起の悪いことを言わないで! 響子、式が終わったら、私たちは日本に帰ることになっているの。だから、式の前にこうして会う時間を作ってくれたのよ。何とかさんとか言う人が」
 何とかさんて誰? そういう時間を作れるとしたら、人は限られているけど、母の言い方じゃ全く見当もつかない。
「なんと言ったかしら……あ、そうそう! ジョディ・フォスターと同じ苗字の人!」
「セシルさん?」
「そんな名前だったかしら? あなたたちが今住んでいるところの人って聞いてるわよ」
「それセシル・フォスターさんだよ。でもどうして?」
 母が寂しそうに笑う。
「本当はね、バージンロードもお父さんが歩きたかったのだけど」
「え、ダメなの?」
「顔を覚えられると、後々厄介なことになるかもしれないって言うのよ」
 母が聞いた話はこうだった。もし父とバージンロードを歩いたら、名前はともかくとしても私の父として顔を覚えられてしまう可能性がある。ウチは普通の一般家庭。愁介やその身辺を狙うなら、こんな格好の標的はいない。だからといって四六時中護衛をつける訳にもいかない。結果、極力顔を出すのは避けよう、ということ。
「そんな……せっかくの結婚式なのに……」
「ええ、だからね。日本で披露宴をする時に、そういう機会を作って下さるって言ってるわ」
「…………」
「そんな顔をしないの。お父さんも納得したことだから」
 父を見ると、何とか涙は引っ込んだみたいで、力強い目で静かに頷いている。
 そうか、エインズワース総帥の妻になるっていうのは、一般人じゃなくなるってことなんだ。何だか寂しい。
「ほら、顔を上げなさい。響子は、私たちの自慢の娘よ。それは一生変わらないから」
「その通りだ。私もお母さんも、一生響子の味方だよ。苦しい時は帰ってきていい。顔を見れば、楽になることもある。人に頼ることは、なんの恥じ入る必要も無いんだ。親というのは、そういう存在なんだからな」
「うん……ありがとう。お父さん、お母さん」
 最後に両親と抱き合った。この温もりは、一生忘れない。
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