イギリス滞在中はフォスター家、つまりセシルさんの本宅に宿泊することになっている。どう考えてもセシルさんの陰謀だろうけど、抵抗しても無駄と悟っているのか、愁介は何も言わなかった。ただ憮然としている。
「愁介?」
「あのタヌキ親父、一体なにを企んでやがる? 未だに式の日取りも教えねぇし」
そう、事ここに至っても、私たちには何日に式を挙げるのか知らされていない。私の両親にはちゃんと知らせてあるというから一応は安心だけど、なんで私たちには教えてくれないんだろ?
「あっほら、凄い! お城みたいなお家ですよ!?」
到着した空港から迎えにきたのは何とヘリコプターで、それに揺られて約20分。ロンドン郊外の広大な緑の土地に、映画に出て来そうな大きな洋館が見えて、そこに到着した。
愁介には悪いけど、私はようやく地に足を付けたことにホッとした。
総帥専用のプライベートジェットというものに初めて乗った私は、普通の旅客機ではあり得ない広さに眩暈がするほどだった。秘書時代、出張で旅客機を使う時にはファーストクラスを使わせてもらっていたけど、そんなもの目じゃありません!
一緒に行くスタッフの人たちとはドアで仕切られていて、でも飛行機の中なのに開放感が抜群で、私たちのいるスペースには席が6つくらいしかない。しかもその席の間を、自由に歩いて移動出来るし。同席出来るのは、マギーとレオンとクリスだけ。今回レオンはギリギリまで本部で仕事をしているから、一緒に来たのはマギーとクリス。
4年前から銀髪に戻したクリスは、最近になってようやく英語を使えるようになってきた。下手と言ってしまえば発音は酷いんだけど、大分聞き取りが出来るようになったとかで、エインズワースのスタッフとも英語で話している姿を時々見掛けるようになった。
マギーやクリスと共にヘリを降りると、セシルさん自ら出迎えてくれた。マギーが物凄く驚いているから、きっと珍しいことなんだと思う。
天井の高い回廊……廊下とはとても言えない大きな廊下を歩いて案内してくれた部屋は、前庭を一望出来る大きな窓のついた、日当たりのいい部屋だった。愁介のホテルのロイヤルスウィートくらいの広さがある。
[滞在中はここを使うといい。屋敷の者たちは君たちのことは心得ているから、何にでも使っていいよ]
いつものニッコリした笑顔でサラッと言ってますが、ここまで来る廊下でだって、すれ違ったメイドたちは数知れず。他に執事やフットマン、ドアマンに…… もう、訳が分からなくなるくらいの使用人たちがいる。
こういう環境で育ったなら、マギーがちょっとズレているのも頷けるかも。凄いお嬢様だよ! 私には雪絵一人だって勿体無いもの。
マギーは自分の部屋で、クリスはこの隣の部屋に滞在することになり、セシルさんは何故か二人を部屋から追い出した。
広い室内に三人きりになる。一体なにが始まるの!?
[愁介は、明日からまた執務だろう? 今日は二人でゆっくり過ごしなさい。後で夕食を一緒にとろう]
[それよりも、式の日取りを教えろよ。結婚するのは俺たちだぞ!]
[そんなことは気にする必要は無い。君たちが主役なんだから、周囲の流れに身を任せていればいいんだよ。それこそ、ふんぞり返ってね]
[…………]
冗談のような言葉に、愁介が肩を落として溜め息をつく。
[いつ日本に帰してくれんだよ?]
[そうだね……一月くらい滞在する気でいれば、ちょうどいいんじゃないかな?]
[…………]
さっきの無言とは愁介の表情が違っていた。剣呑な雰囲気というのかしら、そんな感じでセシルさんを睨みつけている。
セシルさんはそんな彼を見て、ふっと相好を崩した。とても優しい微笑みだった。
[お前は私の意図を理解していると思うがね。エイズワースの本拠地は、あくまでイギリスだよ]
そう言って愁介の肩をポンと叩いて、セシルさんは部屋を出て行った。
ドアの閉まる音がして、愁介が締めていたネクタイを緩めながら、ベッドにボスッと腰を下ろす。天蓋付きのベッド……それも愁介のホテルの部屋にあるのとは違って、すんごく豪華な天蓋だわ! これでこれから一ヶ月寝るの? 愁介と!? ひえー!!
「ったく、セシルめ、やりやがったな!」
スーツの上着も脱いで床に放り投げた。本気で怒っている声に、私でも怖くなるくらい。額に右手を当ててうな垂れている彼の隣りに座って、肩に手を置いた。
「愁介? どうしたの?」
「響子、覚悟しておけ」
「はい?」
「下手すると俺が引退するまで、日本には帰れねぇぞ」
「え……」
言ってる意味が分からなくて、私を覗き込む彼をボケた顔で見返した。
「でも、披露宴は……」
「それは問題ねぇよ。そういう意味じゃなく、エインズワースの本部をイギリスに戻す気だってことだ。ここに一ヶ月滞在なんて、いくら何でも長過ぎる。その間に日本に置いてある本部機能をこっちに移すんだろう。ここに来るまで、それを見抜けなかったとはな」
盛大に息を吐いて、愁介は仰向けに寝転がった。
「ったく、してやられたぜ」
「考え過ぎじゃないの? 7年も日本でやって来たのに、今更なんて」
「自分が健在な内にエインズワースを元の姿に戻そうって魂胆なんだろ。元々の本拠地はイギリスだ。それを、俺のためにわざわざ日本に移していたんだ。このまま行けば、総帥が変わる度に本拠地が変わる可能性も出る。それは長い目で見れば、組織にとってはよくないからな」
どんなに悪態をついても、結局は、自分のことよりも組織のことを優先するのよね、愁介って。そういう性格だから、総帥に選ばれたんだよね。二年前、愁介のお父さんが亡くなった時に日本に来たセシルさんが、そっと私に教えてくれた。
[何故彼を総帥に選んだのかというとね、彼はマジョリティのためにマイノリティを斬り捨てることの出来る人間だからだよ]
あの時は単純に、大勢の人々のために少数の人々を犠牲に出来ることって思っていたけど、今はそれに別の意味があったことが分かる。マジョリティは組織と世界の人々、そしてマイノリティは彼と彼の周りで生きる人たち。でもそれは、決して自己犠牲とかいうことではなくて……。
「愁介」
声を掛けると、寝そべったままの彼が私を見る。
「お前は……」
呟く愁介に覆いかぶさるようにして、そっとキスをした。チュッと音を立てて唇を離す。
「響子?」
怪訝な表情で見上げる彼にもう一度キス。今度は少し時間を掛けて愛しむように……。愁介の左手が私の後頭部を押さえて、柔らかく触れた唇から吐息がもれる。彼の右手が背中を撫でた。
「響子、お前はいいのか?」
「私は、あなたに付いていくって決めたから。それに、二度と日本に帰れない訳じゃないでしょ? だから、大丈夫です」
本当に心の底からそう思っているから、自信を持って笑って言えた。愁介はとても満足そうに微笑んでいる。
それからはフカフカのベッドの上で、夕食の時間になるまで甘い時間を過ごした。
フォスター家のお屋敷はとーっても広くて部屋数も多く、私たちが滞在している間はここがエインズワースの本部となった。今あるイギリス支部は、元々本部で使っていた建物をそのまま使っているということで、実際に本部がここに移動してきたら、私たちの住まいもそこになるという話だった。
一体どんなところなのか、セシルさんに訊いてみたところ、愁介には内緒で連れて行ってもらえた。
着いた先は、フォスター家よりもずっとロンドン寄りで、フォスター家よりも更にデカイお屋敷……というよりもうお城だった。
[彼から、就任当時の話は聞いたかな?]
芝生が綺麗に整った中庭を散歩ながら、セシルさんが尋ねてきた。
[はい、簡単にですが]
[ここは愁介にとっては、あまりいい思い出の場所ではない。だが、君が一緒にいれば大丈夫だろう。彼をよろしく頼むよ]
[はい……]
まるで父親みたいなセシルさんの言葉に、ちょっと笑っちゃった。
**********
イギリスに滞在して二週間が経った14日、つまり私の誕生日の前日。
彼とベッドですやすや眠っていると、[響子様、起きて下さい]と耳元で英語で囁かれ、ビックリして目が覚めた。
[おはようございます、響子様]
[うぅん……おはようマギー。えと、なに?]
目をこすりながら起き上がると、彼女の視線がちょっと下に向く。つられて見てみると裸の胸が丸見えで、慌ててお布団を引き上げた。
[どうしたの?]
[式の準備を致しますので、起きて下さい]
[は? 式?]
頭が働かない起き抜けの状態で、ベッド脇に置かれたアンティークの豪奢な時計を見ると、まだ5時だった。思わず欠伸が出る。
[これから?]
[ええ]
私たちの会話に起こされたのか、隣りで寝ていた愁介がモゾモゾ動いた。
「う……んっ、なんだ? うるせぇぞ」
うつ伏せの体を起こそうとしたから、慌てて布団を頭から被せました!
「いきなり何すんだ!」
「なんでもいいですから、そのままでいて下さい」
女の人に彼の裸を見られるって、何だか嫌だったんだもん。愁介は全然平気みたいだけど、私は嫌。
[7時30分にはここを出る予定ですので、先ずお風呂で体を流して下さい]
マギーが自分の腕時計を見ながら言った。
[あと2時間半もあるじゃない。なんでそんなに急ぐの?]
[ここで着替えて行きますから]
[…………]
つまりここでウェディングドレスを着ていくってこと?
[式は何時からだ?]
もこっと顔だけを出した愁介が、ベッドに頬杖ついて訊いた。昨日は遅くまで仕事で、その後で抱かれたから実質睡眠時間は2時間くらい。まさか今日こんなに早く起こされるとは、思ってもいなかったもの。
[11時からですが、10時前には城に着いてないといけませんので、早く準備しませんと。愁介様は隣りのクリスの部屋で、シャワーと着替えを済ませて下さい。響子様はメイドたちが全て行いますので、立って寝ていても構いませんよ]
うわー、それってお風呂もよね。私の顔を見て苦笑するマギー。
[髪も含めて全身を綺麗にしませんと。女同士ですから問題ありませんし、さすがに二週間も経てば響子様も慣れましたでしょう?]
全然慣れていません!! この二週間、雪絵との暮らしとは比較にならないくらいセレブな生活をさせられてきたけれど、こんなのには一生慣れたくないと思う。最初はセシルさんの冗談かと思ったくらいよ!
でも、私がそうやって愚図愚図している間に、愁介がベッドから抜け出して裸の体にガウンを着た。
「え、愁介?」
「どうせ今日の結婚式もセシルの陰謀だろ、抵抗しても無駄だ。とっとと式を終わらせようぜ」
大きな欠伸をしながら、愁介は部屋を出て行っちゃった。しょうがない、私も諦めて、マギーの言う通りにすることにした。