Act.11  これがあたしの生きる道 ...6

 暖炉の前のソファーには、脱ぎ散らかした服と毛布が、まだそのままになってる。後で片付けないと、管理人のお爺さんに見付かっちゃうのは、ちょっと恥ずかしい。
 バッグは毛布に隠れるように置いてあった。携帯を出して電源を入れると、メールが三通入っていた。一つは雪絵から、もう一つは加奈子から、そして最後はレオンからだった。
「うわぁ……レオンからメールが来てますよ」
「ちっ、あれほど呼び出すなっつったのに。あの野郎」
 レオンのメールは愁介宛てで、彼の携帯に電話するようにと書いてあった。雪絵のメールは、帰りは何時になるか、訊いてきてるだけ。加奈子はクリスマスを彼氏と楽しく過ごしていることが書いてあった。
 愁介を見ると、物凄く機嫌悪そうに暖炉の火を眺めている。炎に照らされている横顔には、諦めの表情も見えて、とても電話のことは言い出せなかった。
 とりあえず、雪絵には明日の午前中に帰ることをメールで送った。加奈子への返信は、明日帰ってからにしよう。でも、レオンの方はどうしよう。このまま言わずにいるのも、何だか愁介を裏切るようで嫌だった。それに、もし重大なことが起こっていて連絡が必要なら、私ではとても責任が取れない。
「あのぉ、レオンの携帯に電話するように、って書いてあるんですけど」
「しょうがねぇな。電話してくれ。俺が出ると、怒鳴り散らしちまう」
「分かりました」
 レオンの携帯番号を呼び出して通話ボタンを押すと、ワンコールもしない内に電話が通じた。
「あ、あの、響子です」
『響子様、愁介様はそこにいますね?』
「はい」
 言ってから、チラッと愁介を見た。ずっと暖炉を見つめている。睨んでいるようにも見えるのは、気のせいじゃないよね。
『では伝言をお願いします』
「はい」
 ゴクッと生唾を飲み込んで、レオンの言葉を聞き漏らすまいと緊張が高まる。
『明日以降の愁介様のスケジュールを調整しました。帰ってきましたら馬車馬のように働いて頂く条件で、明日一杯まで休暇を延ばすことが出来ました。26日の早朝までに帰ってきて頂ければ、執務に問題はありません』
「え!? あの、それって」
『まぁ、馬車馬というのは冗談ですが、時季的に会談や面会の数が少なくなりますので、多少の無理は利きます。本国では元日までクリスマス休暇が続きますが、さすがに愁介様にそこまで消息不明になられると困りますので、26日の朝までということで』
「ちょっと待って下さい。本当にいいんですか?」
 私の声が届いたのか、愁介が怪訝な顔で近付いてきた。
「なんだ、どうしたんだ? 響子」
「あの、レオンがですね」
『響子様、愁介様に換わられると色々と面倒ですので、そのままでお願いします』
「え、でも」
『帰るのは26 日早朝でいいと、おっしゃって頂ければそれでいいのです。では、よいクリスマスを』
「あのっ」
 言い掛けた時には、もう通話が切れていた。
「響子、なんだったんだ」
「えっとですね。レオンからの伝言で、愁介のスケジュールを調整したので、26日の早朝までに帰ってくればいいですってことです」
「…………」
 愁介の呆気に取られた顔って、多分そうそう見られるものじゃないと思う。
「どうしますか? レオンは、愁介には電話を換わらなくていいって言われちゃったんですけど」
「そういうことなら、それでいいだろ」
「それでって」
「レオンがそう言うなら、俺が連絡しなくてもいいってことだ。しかし、あの野郎」
 あの野郎? せっかく休暇を長くしてくれたのに、なんで「あの野郎?」。
「愁介?」
 でも愁介は、小さく舌打ちをしながら前髪をかき上げて、それ以上なにも言わずにキッチンの方に向かっていった。
「え、あの、愁介」
「晩メシ、早く作ってくれ。腹減った」
「ご飯は作りますけど、大丈夫ですか?」
「なにがだ? 明日の夜までここで過ごせるってことだろ。いいことじゃねぇか」
 口ではそう言ってるのに、顔はあんまり笑ってない。どうしても気になって訊いてみたら、「響子は気にしなくていい」なんて言われてしまった。意味が分からなかったけど、さっき暖炉を睨みつけているような時とは顔付きが違うから、大丈夫なのかな。私も、愁介と一緒にいる時間が増えるのは嬉しいし。
「あっ!」
「今度はなんだ」
「明日も休むことを、会社に連絡しないと」
「雪絵に頼んでおけ。これ以上レオンに連絡したら、ここを突き止められる」
「えっと、じゃあ雪絵にメールしておきます」
 うなずいて、愁介はキッチンの方に消えた。雪絵に、帰るのは26日になることを、メールで送った。でも会社をもう一日休むことは、支倉さんに直接メールすることにした。そのお詫びも書いて送信する。今度の日曜日は、お休み返上で仕事しなきゃいけないかな。それくらいはしないと、他のみんなに悪いものね。
 電源を切ってから携帯をバッグに入れ、キッチンへ向かった。

 
 

 クリスマス・イブだからターキーが食べたい、と愁介が言った時には、絶対に無理無理と慌てて首を振った。
「どうして無理なんだ?」
「作るの、凄く大変なんですよ!? 作ったこともないですし、私には無理です!」
「無理だと言う前に、冷蔵庫の中を見てみろ」
「は!?」
「これだろ」
 冷蔵庫を開けると、愁介が横から顔を覗かせて指差したところには、大小二つの白い箱があった。
「大きい方ですか?」
「ああ」
 取り出してみると、かなり重たい。調理台に乗せて箱を開ける。中にあったのは、パッキングされた調理済みのターキーが丸ごと入っていた。
「えっ愁介、これ」
「クリスに作れるかと訊いたら、作れないこともないが手間隙掛かって、響子には無理だと言っていた。だからここの爺さんに、出来合いのものを買っとくように頼んでおいたんだ。それなら切れば食えるだろ」
「そういうことは、先に言って下さい」
「昼メシ作った時に気付いてると思ってた。悪かったな」
 まぁ確かに、気付かなかった私が悪いと言えばそうだけど。
「これ、どうやって食べます?」
「足は食らい付きてぇ」
「くらっ……分かりました。じゃあ後は薄く切ってサラダにしますね。全部はかなりの量があるので、明日の朝ごはんでサンドイッチとかにします」
「それいいな。後は適当に作ってくれ」
「手伝ってくれるんじゃないんですか?」
 キッチンを去ろうとする愁介の背中に向かって言うと、渋々といった感じで戻ってきた。そんなにお料理が嫌いなのかしら。
「何を手伝えばいいんだ」
「このターキー、一人じゃ切るのは無理ですよ。これを切るのだけでいいですから」
「分かった」
 このターキーの切り分けで、愁介がいかにお料理に向いてないか、よく分かった。どこに強盗に入るのかと思うような包丁の持ち方で、とても危なっかしいし。力加減を知らないから、お肉に入った包丁がまな板まで一気にガツンと入って、腕をしびれされていた。
 かなりしびれだったのか、しばらく悶絶していた彼が気の毒になって、とりあえず足を切り分けて、手羽を食べやすい大きさに切ってもらうだけにした。色々と指示を出すのも、少し面倒に思ったし。本当に何にも出来ないんだもん。
 手伝いから解放されて、あからさまにホッとしている愁介をリビングに追い出し、サラダ作りに入った。
 キュウリにレタス、ルッコラ、それに新タマネギを薄切りにしたものを混ぜて、プチトマトを添える。細切りにした赤と黄色のパプリカを振り掛けて、彩りのいいサラダが出来た。ドレッシングは、絞ったレモン汁にマヨネーズを混ぜて、そこにちょっとだけハチミツを加えた。私好みのドレッシングだけど、愁介は好き嫌いがないから、多分大丈夫だと思う。
 このサラダに薄く切ったターキーのお肉を添えて、一品出来上がり。
 他にお野菜の具沢山スープを作って、ターキーの足はレンジで温めた。バケットが一本丸ごとあったので厚めに切り分け、サラダで残ったタマネギとターキー、それにチーズを乗せてオーブンで軽く焼いた。出来上がったものにルッコラを乗せて、即席トーストピザの出来上がり。
 こんなもんかな? 愁介には私より二倍の量で作った。これで足りないなんて言ったら、本物の食欲魔人だわ。それぞれを器に盛り付けると、少しだけクリスマスっぽくなる。
 エプロンを外して、リビングにいるはずの愁介を呼ぶと、返事がなかった。
 もしかして眠っちゃった?
 様子を見に行くと、彼は暖炉の前のソファーで眠っていた。やっぱり疲れるよね。二時間しか寝てなくて、車で高速飛ばしてきて、休む間もなくセックスしたんだから。
 それにしても、気持ち良さそうに寝てる。起こすのは悪い気がするけど、ご飯が冷めちゃうし、きっと起こさなかったらそれはそれで機嫌が悪くなりそう。
「愁介、ご飯できましたよ。起きて下さい」
 肩を揺り動かすと、ちょっと煩そうに身動ぎしただけで、起きる気配がなかった。どうしようか。私は少し考えて、せっかくの機会だから普段出来ないことをしてみることにした。
 スリッパを脱いで足音をさせないようにして、彼の顔の傍に寄っていく。膝をついて息を殺しながら、眠る愁介の顔に近付いて、そっと口付けした。
 面と向かって自分からキスなんて、恥ずかしくて絶対に出来ないもの。 いつかこんな機会があれば、と思いつつもなかなか出来なかったから、ものすごく勇気を振り絞ってキスしてみたのに。やっぱり心臓はドキドキしている。
 起こしちゃまずいと思って、すぐに離れた。でも、愁介はまだまだ起きそうにない。も、もう一回だけ。
 そうっと顔を近づけて、音も立てなかったし、息も止めていたのに。
「んぅ!」
 突然、愁介の手が後頭部に回されて、動けなくされてしまった。なまめかしく入ってくる彼の舌。慌てて引き離そうとすると、もう片方の腕が背中に回されて、寝ている彼の上に抱き込まれる形になってしまった。じたばたもがいている内に、口の中を隅々まで舐め取られ、体から力が抜けてしまう。ようやく解放された時には、息が上がっていた。
「しゅ、愁介っ、何をするんですか」
「それはこっちのセリフだぜ。寝込みを襲うとは、響子にしては大胆だな」
「えっ!? それはっ……そ、それよりも、起きてたんですか! 愁介」
「いや、寝てたぜ。響子からキスしてくれるなんて、初めてだからな。目が覚めるのは当然だろう」
 意地悪そうに笑った愁介の熱い吐息が、顔に当たる。絶対ウソだわ。一回目の時から起きてたのよ!
「しかし、組み敷かれるってのも、たまにはいいな」
「は?」
 ニヤニヤ笑いながら言われて気が付いた。ソファーに寝ている愁介の上に、私が覆いかぶさるような格好になっていた。慌てて降りようとしたけど、愁介の腕に背中とお尻をガッチリ拘束されていて、動くことも出来なかった。
「こ、これはっわざとじゃなくて。愁介、離して下さい」
「断る。せっかく響子が俺を襲ってくれたんだ。このままやろうぜ」
「ご、ご飯、冷めちゃいますよ!」
「ああ、冗談だ」
「じょっ」
 ああもう、好きに遊ばれてるわ、私。
「俺も、ここで出来ることをゆっくりしたい。レオンが一人カッコつけやがって、休暇を延ばしたからな」
「クリスマス・プレゼントじゃないですか? 私は、電話で話を聞いていて、そう思いましたけど」
「それが分かるから、気に入らねぇんだ」
 私には意味の分からないことを言ってから、あからさまに舌打ちをした。そういう粋なことを、さり気なく出来るレオンって、素敵だなと思うけど。また機嫌が悪くなりそうだから、それは黙っておいた。
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