Act.10  支える存在 ...7

 懐かしそうに話しながら、マスターさんは注文のあったカクテルを作ってはボーイさんを呼んでいる。さすがにプロだわ。
 愁介はといえば、もう一度大きな溜め息をついていた。
「まぁな、響子からのプレゼントならありがたく受けておくぜ。で、何が飲みてぇ?」
「え、えっと……」
 せっかく愁介に作ってもらうんだからと、色々カクテルのことを調べてみたけど、結局なにがいいかは分からなかった。どうしよう? と思っていたら、愁介が背後の棚に置いてあったお酒の瓶から一つ選んで、それを手に取って言った。
「お前の好きそうな奴、作ってやるよ。それでどうだ?」
「あ、じゃあそれでお願いします」
 カウンターの上でペコッと頭を下げたら、ふっと笑って他に二つの瓶を探し出した。その笑い方が凄く優しくて、胸がきゅんっとなっちゃった。
 愁介はシェイカーを手にして、少しの間ひっくり返したり周囲を握り込んだりしている。感覚を思い出しているのかな? って思っていたら、おもむろに氷をシェイカーに入れて、三つの瓶から分量も量らずに次々と液体を放り込んだ。それからシェイカーに蓋みたいのをして、シャカシャカ振り始めた。
 凄い、愁介の目が真剣そのもの。こんな表情、滅多に見ないよ。
 それから、三角形の小さなカクテルグラスに、シェイカーから注いでいく。目分量で入れたから、こんな小さいグラスじゃ零れちゃうんじゃないかって、息を止めて見ていた。すると、奇跡のようにグラスの縁のちょうどいいところで、ピタッと注ぎ終わる。
 すごーい! 余計な心配は要りませんでした!
 マスターさんも一部始終を見ていて、「なるほど、岡崎が褒めるわけですな」なんて、感心した口調で言った。
「ほら、飲めよ」
 そういって私の前に置かれたカクテルは、半透明のオレンジっぽい色でとてもいい香りのするものだった。
「いただきます」
 一口飲むと、甘い味が口いっぱいに広がる。とっても濃厚で甘いんだけど、嫌な感じの甘さじゃない。あんまり甘いお酒は飲んだことがなかったけど、これはいける!
「すごい、美味しいです! こんなに甘いの飲んだことがないのに、何故だか私好みですよ?」
「ブランデーをベースに、チョコレート・リキュールとクレーム・ド・バナーヌが入ってる。要するにチョコレートとバナナを加えたブランデーだ。チョコレートが好きな響子なら、いけると思った」
「すごい、正解です! バーテンダーってそんなことも分かっちゃうんですか?」
 きっと私、目をキラキラさせて訊いてたんだろうなって思う。愁介の横にいたマスターさんが、苦笑しながら「それは、その人の好みを熟知しているからこそですよ」と言っていた。
 なるほど、って納得すると同時に、それだけ私のことが愁介には筒抜けなんだよね。私も最近は愁介の好みとか、ああ今はこうしてほしいのかな? っていうのが、少しは分かるようになってきたけど。
 甘いカクテルを飲み終える頃、ボーイさんがソルティドッグの注文をいれてきた。マスターさんが、ふと思い付いたように愁介を見る。
「オーナー、作ってみますか?」
「いいのか? 客の注文だぞ」
「バーテンダーとしての腕ならば、先程のを拝見しておりますから、問題はございませんよ」
「ふん」
 愁介はマスターさんの差し出したお酒の瓶を受け取ると、サクッとグラスをスノースタイルにして、そこに氷とウォッカとグレープフルーツジュースを注いで、バースプーンで軽くかき混ぜた。
 すごい、あっという間に出来ちゃった。ボーイさんは事情を知らないのか、ポカンとして愁介を見ている。マスターさんが声を掛けてからようやく正気付いて、愁介の作ったソルティドッグをトレイに乗せて行った。
 その背中を見送りながら、マスターさんが嬉しそうに言う。
「ここにも若いバーテンダーがいますが、オーナーには敵いません。如何です? 今後、時間を見付けてやってみては」
 棚からボタモチみたいなセリフに、さすがの愁介もちょっと戸惑ったみたいに目を丸くした。でも、すぐに首を横に振る。
「いや、やめておく。んなことしたら、その若い奴の仕事を取っちまうだろうが。それに、今の俺にはまだまだ無理だぜ」
「無理ということは」
「腕のことじゃねぇよ」
 ピシャリとした口調で言葉を遮られて、マスターさんが押し黙る。セシルさんもこんな感じだったよね。雰囲気がセシルさんとそっくり。愁介も、やっぱりエインズワースの総帥なんだ。きっと総帥でいる時の彼は、こんな感じなのね。
「今日は響子からのプレゼントだから受けた。だが、たとえ仕事じゃないとしても、ここに立つのは後数年はお預けだな」
 普段の彼を見ていないと、その口調が少し寂しげなのは分からないと思う。でも、マスターさんはそれ以上は勧めずに「いずれ、その時が来るのを待っていますよ」と静かに言った。

 
 

 その後も愁介が作ってくれたカクテルを頂いて、時間はあっという間に過ぎた。
 彼のジャケットを持った垣崎さんが迎えに来て、三人でバーを出る。
「如何でしたか? オーナー」
「響子の気持ちも、垣崎の心遣いもありがたいが、今後は二度とするな。決心が鈍る」
 その言葉はちょっとショックではあったけれど、上着を羽織ながら素っ気無く言う愁介の背中を見ていて納得した。いずれはやれると分かっていても、今は夢でしかないから。
「ごめんなさい……」
 愁介の気持ちは考えなかった私の謝罪。でも、うなだれた私の頭を撫でる彼の手は、いつもと同じ温かさだった。
「謝るなよ。言ったろ、気持ちは嬉しいんだ。ただ、俺が未熟者なだけさ」
「オーナー……」
「ま、今回は腕が鈍ってないのを確認する、いい機会になった。あの感覚を忘れる前に出来たことはよかった。二人とも感謝するぜ」
 うわぁ、愁介から改めてお礼を言われると、何だか照れ臭いわ。言った本人もそうだったのか、「帰るぞ」ってわざと声高に言って、さっさと歩いて行っちゃった。
 私と垣崎さんは自然に目を合わせて笑い合う。愁介がああ言った以上、彼が総帥を辞めるまではバーテンダーはやらないだろうけど、それでも、愁介の作るカクテルが飲めたのは、私にとってもいい思い出になった。

 
 

 仕事があるからと、エレベーターで垣崎さんと別れて地下駐車場に降りてきた。
 もう夜の10時を回っている。本当なら会社のビルに戻るのがいいと思うけど、マンションにも行きたい。本当に愁介と二人っきりになれるのは、この時間だけだもの。
 愁介の車に乗って、すぐに発進する。どこに行くのかな、と思って彼の横顔を見たら、何故か無表情に押し黙っている。
「愁介? あの……これから帰るんですよね?」
「ああ、マンションにな」
「え!?」
「雪絵がいないこの機会に、二人っきりの夜ってのを過ごそうぜ。あのビルは所詮、エインズワースの本部だからな」
 同じことを考えていたことに驚いて、マンションに着くまでの間、窓の外をずっと見ていた。だって私の顔、絶対にやけていたもん。そんな顔を見られるのは、あんまりにも恥ずかしい。
 でもせっかく愁介から見られないようにしたのに、車の窓にはばっちり私の顔が映っていて、彼には丸見えだったみたい。後でそんな話を聞かされて、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
 マンションに着くと、エレベーターに乗った途端に濃厚なキスをされて、最上階に着くまでにもう足はフラフラ。そんな私をお姫様抱っこして、愁介は器用にカードキーで開錠した。
 薄暗いリビングのソファに体を横たえられて、そのままそこで抱かれた。
 何度も何度も強く抱かれて、頭がボーっとしている状態で今度は寝室に連れて行かれて、そこでも愁介のいいように抱かれて、ほとんど気絶したような状態で眠った。
 眠りに入る直前、私の中で果てた彼が言った。
「年が明けたら、正式にプロポーズするぞ。待ってろよ」
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