Act.10  支える存在 ...2

 ため息が尽きない状態でも時間はしっかり過ぎていく。
 私はすぐにお風呂に入り、明日に備えて早く寝ることにした。
 愁介がいない時は、寝室のベッドは寂しい。二年も経つと慣れるものだって言われたけど、こう広いとやっぱりまだまだ。かと言って、愁介がいる時は殆ど問答無用で抱かれちゃう。それは嫌じゃないけれど、滅多に一緒に夜は過ごせないから、ゆっくり話したりしたいのに……。
 男の人と女の子の意識の違いなのかな。
 ちなみに私のアパートから持ってきたシングルベッドは、去年ご臨終になりました。
 新しく買ってまだ5年だったのに、「一度狭いベッドでやってみたい」と愁介がのたまって、見事に壊してくれました。その時は私も人事不省に陥っちゃったけど。
 はぁ、やめやめ! 眠れなくなっちゃう。明日はホントに忙しいんだから、ちゃんと眠らなきゃ……。
 
 

**********

 
 
 翌日、いつもより30分早くクリスが迎えにきた。
 私のお泊まり荷物と雪絵の荷物を持ってくれて、しかも私だけじゃなく、雪絵が車に乗る時もエスコートしていた。この徹底振りは、外人そのものって感じなのにねぇ。
 車は私の知らない道を通って、自動で開く門を抜けていく。映画に出てくるような立派な門。それからちょっと走ると、正にお屋敷! という風情の建物の前に出た。
 前庭っていうの? には、お約束のように噴水が。建物は二階建ての洋館。部屋がいくつあるの? ってくらい窓がたくさんある。これを一代で築くって凄いわ。
 車を停めたクリスがこちらを見て言う。
「響子様はそのまま乗っていて下さい。顔など出されませんように願います」
「分かりました」
 何でか分からないけど、クリスの目が真剣そのものだったから、訊くのはやめた。
「では響子様、行って参ります。お休みを下さいまして、本当にありがとうございます」
 雪絵が隣りに座ったままで頭を下げる。
「そんなの気にしないで。お母さんを大事にね」
「はい」
 彼女は自分でドア開けて車を降りた。クリスは運転席に座ったまま。乗る時はエスコートしたのに、降りる時は何もしないの? 雪絵も当たり前のように自分でやったし。
「クリス? エスコートしなくていいの?」
「雪絵さんが降りたらすぐに出発しますので」
「え……なん、わっ」
 彼女がドアを閉めた途端、本当にいきなり発進しちゃった。
 後ろの窓を振り向くと、お屋敷から数人の男の人たちが駆け足で出て来た。雪絵がその人たちに何か話しているのが見えたけど、すぐに小さくなって分からなくなった。
「クリス? どうして?」
「雪絵さんだけですと、どうしても降りなくてはなりません。響子様が同乗していれば、響子様を優先することになりますので。申し訳ございません、詳細は後ほど」
 そんなに慌てて言わなくても、っていうくらいクリスは焦ってる。そんなんで雪絵は大丈夫なの?

 
 

 結局事情は話してくれず、無言のまま会社に着いた。
 地下駐車場でいつものように降ろしてくれたクリスに、ちょっと視線を投げ掛けてみる。
「な、何ですか? 響子様」
 ええと、そんなに慌てなくてもいいですから。ちょっと非難ぽい視線になっちゃったのかな?
「あんな男の人たちに囲まれて、雪絵は大丈夫なんですか?」
「ああ……それは心配いりません。彼らは私を狙って出て来ただけですから」
 どういうこと? 意味がさっぱりです。
「愁介様が今朝こちらに戻ってしまわれたので、私を掴まえれば愁介様を呼び出せると思っているんですよ」
「ちょっと訊きにくいことですけど……もしかして愁介は、お父さんと仲悪かったんですか?」
「そうですね、なんと言いましょうか……その通りではあるのですが……」
 何だか言いにくそう。クリス、目が泳いでいるし。
「じゃあ、後で愁介に訊いてみます」
「それがよろしいでしょう」
 ホッと安堵してるクリスを見ていると、何だか深刻そうだわ。
 クリスと一緒にエレベーターに乗って、私だけ50階で降りる。お泊り用の荷物は、クリスが持って行ってくれた。
 朝のご挨拶をしながら秘書室に入ると、受話器を持って話していた清水さんに呼ばれた。当然のことながらというか、まだ就業時間には30分くらい早い。一体いつ出社しているんだろう?
「おはよう、島谷さん。来て早々に悪いけど、社長室に行ってくれる? お話があるそうよ」
「分かりました」
 うわぁ、何だろう? 呼び出しなんて久しぶりだわ。っていうか社長、いつもこんなに早く出社していたの? 秘書室に顔を出すのは大抵10時頃なのに……。あ、もしかして愁介のお父さんのことかな? この会社の創業者だもんね。それで早く来ているのかも。
 バッグをロッカーに入れてから、社長室のドアをノックした。
「どうぞ、入って下さい」
 いつもの声より、ちょっと緊張してそうな感じがするかも。入室の断りを言ってドアを開けると、社長がデスクについてこちらを見ていた。扉を閉めて、社長の元に行く。
「社長、おはようございます」
「おはようございます、島谷さん。早速ですが、愁介の父親の訃報はご存知ですね?」
「はい、存じておりますが……」
 な、なんでしょうか? 大きなため息をつかれて。
 睫毛の長い瞼を伏目がちにして、社長はデスクに両肘を立てた。
「愁介がどんなに嫌悪を示すとしても、我が社にとっては創始者ですから葬儀に出ない訳にはいきません。本来なら社葬をしなければいけませんが、それは愁介が許しませんので、明後日の本家葬儀に私を始め主だった役員が出席します」
「はい」
 社葬って確か会社が喪主になるお葬式よね。それを許さないなんて、愁介と愁介のお父さんて仲が悪いなんて言葉じゃ足りないくらいなの?
「そこで島谷さんにお願いがあるのですが」
「はい?」
 ニッコリと極上の微笑みを浮かべる社長に、ゾクッと悪寒が走る。こういう笑顔を浮かべる時は、大抵無理難題とか試練とかが言い渡されるということを、研修時代に嫌と言うほど思い知らされた。
 社員はみんな、社長の極上の微笑みを見て頬を染めたりやる気を出したりするけど、私にとっては要注意で。……というか誰にでも要注意なんだけど、みんなは試練を試練と思わないみたいで、喜んで難しい業務に就いていく。思い込みというのは凄いパワーを生み出すと思う。
 もちろん社長も闇雲に試練を与える訳じゃないことは、私もよく理解している。それをクリアした後は、ビックリするくらい自分が成長しているって分かるもの。でも、それを言い渡される瞬間というのはやはり身構えてしまうもので……。
 今日も密かに身構えて待っていたら、言い渡されたのはおかしな内容だった。
「今日からしばらく秘書の業務は休んで構いませんので、愁介の傍についていて下さい」
「…………」
 俄かに「はい」とは言えず、戸惑いながら社長を見下ろしてしまう私。
「島谷さん?」
「あ、あの……今日はドイツ人のお客様をお迎えしないといけないのでは……」
「それは私がいれば心配いりません。しかし愁介の方には、島谷さんが付いているのがいいでしょう」
「え……今日一日ずっと、ですか?」
「いえ、今日から し ば ら く ずっとです」
 しばらくを強調して社長が私の疑問を言い直した。もちろん、あの笑顔付きで。ずっとってずっと?
「あの……どのくらい、ですか?」
「ですから、しばらくの間です。彼は要らないと言うでしょうが、今回のことで相当にストレスを受けているはずです。実家は、愁介にとって鬼門なので」
 話している間に、社長の表情が少し変わった。話題は愁介のことなのに、ちょっとつらそうに見える。更にもう一度ため息をついて私を見た社長は、「愁介をお願いしますよ」と念を押すように真顔で言った。
「は、はい……」
 社長に反抗する気なんて全くないけれど、嫌とは言わせない雰囲気がその表情にはあった。こんな真顔の社長は、初めて見た気がする。
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