Act.9  華の新入社員 ...2

「正社員になれた祝いだ。もらっとけ」
 4月に入って5日目、そう言って篠宮さんがあたしにくれた物は、発売されたばかりの携帯電話。しかも契約者は篠宮さんで、あたしはいくら使ってもいいって。それは勿体無いから、今自分が持ってる物を解約するって言ったら「2台持っとけ」なんて言われてしまった。
「でも、あたしは2台も必要ないですよ?」
「俺との連絡専用にすればいいだろ」
 そんな贅沢なことをあっさり言わないで下さい。こういうところはセレブだなぁって思う。
「でも、携帯電話を2台も持つのはちょっと……」
 あたしにはちょっと面倒臭い。絶対どっちかを忘れていきそうな気がする。
 ……って正直に言ったんだけど、あまり聞いてもらえなかった。
「だったらそういう習慣を付けろよ。俺も、これと同じの買った」
「え!? 愁介も機種変したんですか?」
「んな訳あるか! 響子との連絡専用の携帯だ。これなら俺が出られない時はレオンやクリスに預けておける」
 うわぁ、そこまでされちゃってたら持たない訳にはいかないよ。
「それに、俺が海外にいてもお前から連絡しやすいだろ。支払いするのは俺だ」
「それはダメです。そこまでお世話になるのは悪いですもん」
「いいから、全部俺に任せろ」
 急にご機嫌斜めになっちゃった。しょうがない、お言葉に甘えよう。あたしからあまり使わなければいいんだし。
 
 

**********

 
 
  ……なんて思っていたら、5月に社長の同行で一週間ドイツに行くことになっちゃって。しかも狙ってなのか偶然なのか、篠宮さんもエインズワースのお仕事でドイツにいて、この携帯が物凄く活躍することになってしまった。っていうか篠宮さん、社長が諸々事情を知っているからって、あんまり気軽にあたしをホテルに呼ばないで下さい。
 こっちに来てる秘書はあたし一人だから、仕事が半端なく多い。社長も色々出来る人だけど、やっぱり秘書は必要な訳で、それは夜になっても変わらない。翌日のスケジュールの確認とか書類の整理とか日本からの連絡を受けたり、とにかくやることが大量にあるのに篠宮さんてば「そんなの洸史にやらせろ」なんて……もう強引過ぎます。もちろん社長に頼むなんてことはせずに、自分の仕事は自分でやりました!
 幸いだったのは、あたしたちが泊まってるホテルと篠宮さんが使ってるホテルが、通りを挟んでご近所だったこと。だからって、時間に余裕がないのは変わりなかったけど。
 それにしても、こういう時の篠宮さんの周りにはエインズワースのスタッフがたくさんいて、そんな中にあたしが行っちゃっていいのか、ちょっと心配だった。
 もちろんレオンとマギーとクリスも同行している。普段、会社の上で会う時はこの三人しか顔を合わせないからいいだろうけど、こういうところではホテルの中を歩けば、いたるところにエインズワースのスタッフがいて、そんな中を部外者のあたしがウロウロしてるのは、はっきり言って目立つ。
 しかも毎週エステを受けてるせいか、最近妙に綺麗になってきちゃって、嫌でも他人の目があたしに集中してくる。それはドイツにいても同じで、しかも金髪の人が多い中であたしは黒髪だから余計に目立っちゃって。その上ドイツ語が出来ると分かると、次から次へとナンパの嵐。でも、あたしの左手薬指に指輪がはまってるのを見ると、しつこいナンパはしないでちょっと話をして去っていく。
 この指輪が外国でこんなに効力を発揮するなんて想像もしていなかった。こうしてみると日本の男の人って意外にしつこい、というか自分本位なんだなぁって思う。日本ではこの指輪を見せても、「そんな奴は置いといて今夜は俺と付き合えよ」なんて、臆面もなく言ってくるナンパに遭うことが多いから。
 もちろん、ウチの会社ではそういう人はいないけど。これからもそういう人が出てこないことを祈るばかりだわ。
 そうしてドイツ滞在最終日の前日夜、この一週間で3回目になる呼び出しで、あたしは篠宮さんのいるホテルに向かった。あたしと社長は明日ドイツを発つけど、篠宮さんはもう3日滞在していて、更にその後オーストリアとスイスに行くことになってる。少なくとも二週間は会えなくなる訳で、さすがにこの時はごねずに会いに行きました。最終日で仕事もあまりなかったし。

 
 

 何回来ても、豪華なホテルだわ。あたしと社長が泊まってるホテルも決して安くはないけど、こっちは桁が違う。まぁ、エインズワースの総帥となれば、ホテル側の方が「来てくれ」って言うんだよね、きっと。
 フロントで挨拶して、日本で言うところのプレジデンシャル・スウィートに向かう。さすがに高級ホテル、壁から調度品から高価そうなアンティークで埋め尽くされてる。篠宮さんはこういうゴテゴテとした装飾は嫌いなはずだけど……エインズワースの総帥が泊まるのにシンプルなお部屋じゃ、ホテルの沽券に関わるのかもしれない。それと、エインズワースのスタッフたちにも、それなりにプライドがあるだろうし。つくづく、篠宮さんて面倒臭い立場にいるんだなぁって思う。3年後にはあたしも!? ……あんまり考えたくない。
 エレベーターを降りて、篠宮さんのいる書斎を目指して歩いていると、「響子」と後ろから声を掛けられた。振り向かなくても分かる、篠宮さんの声。
 唐突に肩を抱かれて、いつも二人で歩く時のように寄り添って廊下を行く。
「愁介? いいんですか? こんなところでこんなことして」
 微妙に周りの視線が痛いんですけど。初めて見る顔ばっかり。エインズワースのスタッフの前で、こんな「特別な女だぞー」みたいな扱いしていいの?
「構わねぇよ。こうした方が口で説明するより簡単だ」
 それは確かにそうだけど、これじゃあ1年と経たずにあたしの噂は広がっちゃいそう。はぁ……。
 今日の篠宮さんは、黒っぽい地色に細かいストライプの入ったスーツを着てる。お仕事中だからきちっとした三つ揃いで、見た目にも質的にもゴージャスって感じ。
「今日はディオールのスーツか。着こなしもだいぶ慣れてきたな。自分でコーディネイトしたんだろ」
「ええ、まぁ……」
 とりあえず見た目が可愛いから持って来てたんだけど……これ、クリスチャン・ディオールだったんだ。相変わらずブランドはよく分からない。
 書斎に向かうのかと思ったら、着いた先はベッドルーム。
 え!? 電話では書斎に来いって言ってなかった!?
「愁介、お仕事は……」
「うん? もう終わった。響子を呼んだのに、待たせて仕事をするなんて野暮なマネを俺がすると思うか」
 うわぁ……明日は12時間旅客機に乗ってるから、この時間で書斎なら大丈夫ね、なんてルンルン思ってたのに……考えが甘かった。
 それから朝まで篠宮さんのいいように抱かれて、翌日、社長からの電話で目覚めると言う最悪の事態になっちゃった。
 朝の準備はマギーが色々と手伝ってくれた。秘書としての仕事もあるのに悪いなぁ……と思っていたら、あたしの着替える速さとマギーが服をくれるタイミングがまるで合わず、一人で着替えた方が早く済んだり。
 髪のブローをしてくれるって言うから恐縮しつつ頼んだのに、却って髪がグッチャグッチャになったり……。
「マギー、人にドライヤーを掛けたことってあります?」
「あん? あたしにあるわけないだろ。でも一度やってみたかったんだよな、こういうメイドみたいなこと」
 なんて笑顔で言うんだもん、開いた口が塞がらなかったわ。結局自分でやったけれど、倍の時間が掛かっちゃって、朝食は諦めるしかなかった。
「悪かったな、響子様」
「いえ……今度は時間のある時にお願いしますね」
 悪気があってやった訳じゃないし、半分本気、半分社交辞令のつもりで言ったら、物凄くやる気満々になっちゃった。
「よし、今度メイドにやり方を聞いておくからな」
 なんて言って、嬉しそうにはしゃいでる。彼女みたいなお嬢様は、きっと自分でやることの方が少ないんだろうな。雪絵にしてみれば、早いところあたしもそういう風になれ、って思ってるんだろうけど……。
 マギーと別れて、既に朝食を終えて書斎で書類に目を通してる篠宮さんに、挨拶に行った。
 デスクの隣りにはレオンがいて、書類のサインを待っているのか、知らない外人さんもいた。銀髪で緑色の瞳が凄く印象的。立ち姿はとても落ち着いた感じで、雰囲気とかはかなり歳を取ってそうだけど、あたしを見てニコッと笑った顔はそんなにお年寄りには見えなかった。日本人が若く見えるように、外人さんも意外と年齢不詳だもんね。
 あたしはその人にちょっと会釈して、難しい顔で書類を見てる篠宮さんに声を掛けた。
「愁介、おはようございます。すみません、時間がないのでもう出ますね」
「ああ、日本に着いたら連絡しろ。ろくに話す時間がなかったからな」
 それは、篠宮さんが昨日いっぱい色んな恥ずかしいことして、全然話をさせてくれなかったからです。……なんて、レオンや外人さんのいる前ではとても口に出せない。
「分かりました」
 複雑な気持ちで返事をすると、篠宮さんは満足そうな表情でうなずいて、再び書類に目を落とした。レオンも自分の仕事に没頭してるし、これ以上お邪魔しちゃ悪いよね。あたしも社長が待ってるし。
 書斎を退出しようとして、また外人さんと目が合った。なんか、すごく目に付く人なのよね。目立つというか、そんな感じ。その人に再度会釈して、静かに書斎を出た。
 急いでホテルに戻ると、ロビーでは既に社長が待っていた。しかも足元には、社長のスーツケースの他にあたしの荷物も!
「社長、すみません! あたしの分まで!」
「構いませんよ、どうせ愁介が昨夜無茶をやったんでしょう」
 うわぁ、そこまでお見通しですか。やっぱり社長は怖い人だ。
「その点は私も同類ですから、よく分かっていますよ」
 え!? えと……この社長が? ……もう考えるのよそう。
 そういうことを笑顔で…… それも黒い雰囲気ムンムンで言っちゃうところが、この社長の本性なのよね。
 それにしても、昨夜の内に荷物を全部準備しておいてよかった。本当に、ホテルに戻ったらそのまま荷物を持って出られるようにしていたから。きっと、こういう事態になるんだろうなぁって、何となく予想はしていたから……。

 
 
 

 帰国後、愁介に言われた通り携帯に電話した。わざわざああ言ったってことは、きっと何か話すことがあるのよね。
 ドイツ時間の夜遅くを狙って、会社に行く前にマンションで電話を掛ける。
『響子か』
「あ、はい。今大丈夫ですか?」
 お仕事中ならまた後で掛けようと思っていたら、何故か盛大なため息。
「愁介?」
『セシルがな』
「はい? セシルさんがどうかしたんですか?」
 先代の総帥よね。……ハッ、まさかあたしに会いたいとか言って来たんじゃ!?
「ダメ、ダメですよ! あたしまだ心の準備出来てません! まだずっと先でいいじゃないですか!」
 あと3年もあるんだから。
 携帯を抱えて必死にそう言ったら、またため息が返ってきた。
「愁介?」
『お前のことを随分気に入ってた』
「はぁ……えと、お会いしましたっけ?」
『帰る時に書斎で会ったろ。あれがセシルだ』
 ええええ!? 書斎で会ったって、あの年齢不詳の外人さん!?
「あ、あたしエインズワースのスタッフだと思ってましたよ!?」
『そう装ってたんだよ、あのタヌキ親父。朝っぱらからホテルに乗り込んできて、何事かと思ったら「正体を隠して響子に会いたい」だと。当然断ったがな、押し切られる形でああなった。情けねぇ話だが、セシルが本気になったら俺じゃ止めらんねぇ』
「あ、あたし、ちょっと会釈するしかしてないですよ!? すっごく失礼な挨拶で終わっちゃってますよ!?」
『それが良かったんだろ。変に媚びたりしてないのがいいとさ。顔も服装も態度も、全て気に入ったんだと』
 ひぇー! あんな挨拶の仕方しちゃって、あたしもう、この次どんな顔で会ったらいいんですかー!!
 うう、今日はドイツ支社視察のレポートを書かなきゃいけないのに、こんなに打ちひしがれていて、あたし大丈夫かなぁ……。

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