Act.8  乗り越えるべきこと ...12

 意識の奥で携帯のアラームが鳴ってるのが聞こえる。
 ハッと気付いて、慌ててそれを止めた。時間を見ると5時50分。昨日確認した今日の日の出は6時くらいだった。
 『朝日を見ながら温泉』の望みを捨ててないあたし。
 篠宮さんは、うつ伏せの姿勢で熟睡してる。あたしはその篠宮さんに抱き付く格好だった。そうっと起こさないように腕を外して、冷気が入らないように細心の注意を払って、軽くて暖かい羽根布団から出る。
「さ、さ、さぶい!!」
 裸なんだから当たり前だけど、ガタガタ震えるくらい寒い。畳の上に散らばってる浴衣と帯を掴んで、お風呂に直行。内風呂で体にお湯を掛けて慣れさせてから、すっと湯船に入った。
「うーん、極楽〜」
 お風呂がこんなに身に沁みるほどありがたいと思うなんて、生まれて初めてだわ。
 ふと窓の外を見ると、暗い空が紫色をしてる。日の出が近いんだ!
 慌ててタオルを掴んで内風呂を出た。
「さ、さぶいー!!」
 昨夜の寒さなんて比較にならない。堪らずに露天風呂に飛び込んだ。
「はぁ、ちょっと落ち着いた」
 もうもうと湯気を出す露天風呂は、冷えた体を徐々に温めてくれる。海の方を見ると、少しずつ空が明るくなってる。あたしは肩までお湯に浸かりながら、じっと太陽が昇るのを待った。
 水平線には雲が掛かってない。水平線の空は、紫色からグラデーションが掛かったみたいに、だんだんと明るくなっていって、キラッと光った瞬間、丸い太陽の頭が見えた。
 少しずつ丸い姿を見せてくれる太陽は、あっという間に全身を現して、しばらく昇ってから雲に隠れてしまった。
 うわぁ……初めて日の出を見たよ! あんな風に水平線から上がってくるんだ。地球は丸いって改めて感じた。しかも、あんなに大きな太陽なのに、全身が出るまではあんなに時間が短いなんて。ちょっと驚き。
「はぁ、いいもの見れた〜」
 海岸には何人かの人影が見えた。やっぱり日の出を見に、外に出たのね。あたしは露天風呂に入りながらなんて、すっごい贅沢しちゃった。
「う〜ん、極楽極楽」
 ほうっと息をついて温泉を堪能していたら、バターンと凄い音を立てて内風呂とを隔てるドアが開いた。
 な、な、なにごと!?
 ビックリしてそっちを見たら、篠宮さんが青褪めた顔でそこにいた。
「あ、愁介。おはようございます」
「おは……くそ……」
 何故かヘタヘタとその場に膝をつく篠宮さん。え、あの、全裸でそれは寒くないですか? いえ、肝心なところは微妙に目を逸らしてます。
「あの……どうかしましたか?」
「…………」
 無言のまま篠宮さんは立ち上がって、露天風呂に入ってきた。それから、あたしの腕を引っ張って、胸の中に抱きしめた。篠宮さんの体がかなり冷たくて、せっかく温まった体がまた寒く感じちゃう。
「え……愁介?」
「ったく、黙っていなくなるな。驚くだろうが」
「あ、す、すみません。でも疲れてそうだったから、起こすと悪いなと思って」
 声を掛けたら「一緒に入る」なんて言って、またちょっかいを出されるんじゃないかと、思ったのもあるけど。
「声を掛けるくらいはしろよ。眠っていても声は聞こえてる」
「わ、分かりました」
 素直にそう言ったら、すんなり解放してくれた。それからリラックスしたように、露天風呂の中で長い足を伸ばしてる。
「日の出は見られたか?」
「はい! すごい感動でした!」
「ふん、そりゃよかったな」
 そんな風に笑っている顔は、優しげなんだけどなぁ……。篠宮さんは日の出を見たかったか訊いたら、「俺は外国行った時は大抵見てる」なんて言われて、慌てて謝った。
「だが、響子と海を見ながら日の出を見るのもいいな。もう一泊するか」
「ええ!? でも、お仕事は……」
「冗談だ。さっきレオンから連絡があった。今日中に何としても帰れ、とさ。俺が目覚めたのは、その連絡のせいだ」
 連絡って、朝の6時なのに……レオンさんがもう起きてお仕事してることに、ビックリだわ。
 
 

**********

 
 
 朝のお風呂タイムをまったり過ごして、朝食は旅館のレストランで摂ってから、チェックアウトした。着物の女将さんやスーツを着た中年のおじさんに見送られて、篠宮さんの車は房総半島を南に走る。
 アクアラインを通りたい、という篠宮さんの希望でドライブを楽しみながら、ゆったりと東京に帰る。行きたいところは? って訊かれたけど、レオンさんを気にしながら見ても楽しいとは思えないと思って。それに、篠宮さんと一緒にいるだけで、あたしには十分だし。
 それでも、通りすがりの観光名所にちょっと寄ったりしていたら、マンションに着いたのは3時を回ってた。そこであたしだけ降ろされて、篠宮さんは仕事に向かう。
 一緒に上がってくれる、とは言ってくれたけど、雪絵さんとはあたし一人で会わなくちゃ。これからも一緒に住むんだもん。
「ただいま帰りました」
 そう言って玄関に入ると、雪絵さんがパタパタと駆け足で姿を見せた。その表情は、とても優しそうな笑顔。そういえば、いつもこういう顔であたしを出迎えてくれた。
「まぁまぁ、お帰りなさいませ、響子様。愁介様とは、ゆっくりお過ごしになられましたか?」
「はい、荷物を作ってくれて、ありがとうございます。色々助かりました」
 バッグを持ってニコッと笑って言ったら、雪絵さんは深々と頭を下げた。え、なんで?
「勝手に響子様の持ち物を物色してしまい、申し訳ございませんでした。お咎めはいかようにも」
 ええ!? そんなことは全然ないのに!
 雪絵さんの態度にビックリしたけど、立場としては色々面倒なことがあるのかも。
 あたしがリビングに行くと、「お茶を用意してきます」なんて言うから、そのまま留まってもらった。怪訝な顔をしてる雪絵さんに、あたしは今までのことを謝った。万感の思いを込めて頭を下げたけど、通じたかな……。
「雪絵、あたし今まで雪絵の言うこと、全然真剣に聞いてなかった。ううん、聞いてはいたけど、あたしのことを全然分かってくれないって、ずっと思ってたの。でも愁介から、雪絵があたしのことを知らせてくれたって聞いた時に、あたしのことをちゃんと見てくれてるんだって分かった。だから今までのこと、ごめんなさい。そして、これからもあたしのことを見てくれますか?」
 雪絵さんは、目に涙を溜めていた。
「いいえ、いいえ、わたくしも少々言い過ぎてしまったと、反省しております。愁介様から解雇されると、覚悟しておりましたのに……。わたくしには勿体無いお言葉でございます」
 むせび泣くって、こういうことを言うのかな。あたしも、いつの間にか泣いちゃってた。
「この一両日、これまでのわたくしの言動を省みて、恥ずかしい思いで過ごしておりました。クビを覚悟しておりましたのに、そのわたくしに、このように寛大なお言葉を下さるとは……響子様は、しっかりした女性です。愁介様に釣り合う方は、響子様以上にはおりません。これからは、響子様を愁介様の奥様として、改めて仕えさせて頂きます」
 えっと……篠宮さんの奥様としてってのは、まだ早いと思うんだけど……。でも、こういうのを含めての雪絵さんだもんね。
 今日から、改めて雪絵さんとの二人暮しが始まるんだ。
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