Act.8  乗り越えるべきこと ...11

 部屋に戻って夕食の時間を確認すると、7時からになってた。まだ1時間ちょっとあるということで、篠宮さんが「風呂に入るぞ」と、何だかとても楽しそうに言った。
「え、まさか一緒に……ですか?」
「当たり前だろうが。せっかく旅行にまで来たんだ、今まで出来なかったことをするぞ」
 さ、さっきまでの穏やかな雰囲気は、どこ行っちゃったんですか!? うう……やっぱり篠宮さんは篠宮さんでした。
 あたしは後から……なんて思ってたら、先に入るように言われちゃって。しょうがなく、服を脱いで部屋のお風呂に入った。
 ふわー! 檜のお風呂ですよ! しかも源泉掛け流し。ちょっと熱めのお湯だけど、お風呂好きのあたしにはちょうどいいかも。シャワーを浴びて体を綺麗にして、ゆったり湯船に浸かっていたら、ついに篠宮さんが入ってきた!
 うわぁ……二人でお風呂に入るなんて初めてだから、すごい緊張しちゃう。
 慌てて窓の方を向くと、露天風呂が目に入った。海の見える露天風呂かぁ、朝に入ったら気持ちいいだろうなぁ……。
 なんて思っていたら、後ろからシャワーを使う音が聞こえてきて、しばらくすると静かになって、それからお風呂のお湯が波立った。
 篠宮さんが湯船に入ったんだ。ど、ど、どうしよう、あたしはどうしたらいいの?
 湯船の縁を右手で掴んで左手は胸を隠すようにして窓を向いて、あたしの頭の中ではグルグル変な考えが巡ってる。うわぁーん、どうしよう!?
「ひゃあ!」
 篠宮さんの両手があたしのお腹を抱えて、縁から引き剥がされた。背中に当たるのは、篠宮さんの胸ですか!?
「し、愁介っやっ」
 ひえぇ、篠宮さんの手が太腿の間に!
「ま、ま、待って下さい」
「待たねぇよ。久しぶりなんだ、少しくらいいいだろうが」
「よくないです。あたしは温泉を楽しみたいです」
 こういう時の篠宮さんは、もう何を言っても聞いてくれないけど、言っておかないと逆に本当に何でもされちゃうから。
「あっ……こ、これから夜のご飯じゃないですかっん……ご、ご飯終わってからでも」
 必死にバタバタ暴れながらそう言ってたら、色んなところをまさぐってた篠宮さんが、ピタッと止めてくれた。
「ふん、その言葉忘れんなよ」
 い、今すぐ忘れたいです。
 ぐすっとしながらそそくさと篠宮さんの腕の中から出ようとしたら、胸とお腹をガッチリ抱きこまれてしまった。
「し、愁介!?」
「手は出さねぇから、くっついてろ」
「で、でも」
 いろいろと離れたいことがあるんですけど……なんて口に出したら最後、絶対手を出されちゃうから、大人しくする。
 うえーん、檜のお風呂、堪能したかったのに……。今夜は眠らせてくれないなんて言ってたから、きっと色んな恥ずかしいことされちゃうんだ。
 篠宮さんは、なんだかんだ言ってもやっぱり篠宮さんだ。そして、あたしが好きになったのも篠宮さん。
 抱かれるのは嫌じゃないけど、こういう時は何もなく静かに話しながらお湯に浸かりたい。
「ひゃんっ! な、なにするんですか!?」
 うなじにキスされた。手は出さないって言ったのに!
「ああ、後れ毛が色っぽかった」
「やっ!」
 今度は舐められた! もうこのままでいたら、絶対に手を出される。
「あ、あたし、露天風呂に行ってきます」
 大きな窓の端にドアがあって、外にある露天風呂に行けるようになってる。もうそこに逃げるしかなかった。外は寒いけど、体は十分に温まったから大丈夫だと思う。
「ああ、じゃあ俺も」
「ダメダメダメ、一人で行きたいんです!」
「ちっ、しょうがねぇな、行って来い」
 篠宮さんがついて来たら、露天風呂に逃げる意味がなくなっちゃう。必死に叫んだら、舌打ちしながらも、篠宮さんはあたしが離れるのを許してくれた。ホッとして窓際の縁に掴まって湯船から出ようとする。ハタと気付いて後ろに目をやったら、篠宮さんがバッチリあたしの方を見ていた。
「愁介、向こう向いてて下さい!」
「お互い裸なんか見慣れてるだろ。何回セックスしたと思ってんだ」
「それとこれとは違うんです! もう、いいからあっち向いてて下さい」
 手ですくったお湯を篠宮さんにバシャバシャ掛けてたら、やっと反対の方を向いてくれた。でも油断は出来ないから、チラチラと篠宮さんを見ながら薄手のタオルを持ってドアを開ける。
 タオルで体の前を押さえて外に出ると、波の音が聞こえてきた。でも……
「さ、さぶ……」
 やっぱりお風呂で温まっていても、3月の夜はまだ寒い。露天風呂も総檜で、絶え間なく出ているお湯でいっぱいの湯船からは、もうもうと湯気が立っていた。あたしは急いでお湯に浸かる。
「はぁ〜、気持ちいい〜」
 屋根もないし壁もない。あるのは、部屋のお風呂が見えるガラス窓に宿の建物だけ。開けた視界には、すっかり日が暮れた空に星とお月様。月明かりが海に映って、長い光りの矢みたいになってる。
 露天風呂の下にはさっき歩いた遊歩道が見えるけど、そこには高い垣根が連なっていて、ここは見えないようになってる。こちらも少しばかり柵が出来ていて、景色の邪魔にならない程度に囲まれているし。うん、これなら人から見られる心配もなく、海と空を見ながらお風呂に入れて、すっごくいい。
 やっぱり明日の朝は、露天風呂に浸かりながら日の出を見よう!
 贅沢だなぁと感動にひたりながら、ガラス越しに内風呂を覗いたら、篠宮さんが一人ポツンと湯船に入ってた。
 一人なのはあたしも同じなのに、篠宮さんは何だか寂しそう……っていうかあの顔は、すねてる?
 ええー? あたしよりも7つも年上なのに、すねたりするの? ……やだ、なんか可愛いって思っちゃった。うわわ、ヤバイ。可愛いって思ったなんて篠宮さんに知られたら、今夜なにをされるか!
 慌てて今見た光景を忘れようとしてブンブン頭を振ったけど、なかなか消えてくれない。
 しょうがないと諦めて、窓の中を見る。一人になった篠宮さんがどうするのか、やっぱりちょっと興味あるし。
 あ、お湯に潜っちゃった。
 なにしてるんだろ? って思ってたら、反対側の縁から顔を出した。そのまま下向きで肘を縁に掛けて、そこに顎を乗せた。
 髪の先から水滴が落ちるのが、見ていてドキッとした。水も滴るいい男って言葉があるけど、あれって本当なんだ。
 でも、その表情はあんまり冴えない。何だか一人で入ってる篠宮さんが気の毒になってきて、あたしは露天風呂を出た。
 ドアを開けると、外の冷気を感じたのか、篠宮さんがこっちを見たから、慌てて湯船に入った。
「どうした? 響子」
「えと、やっぱり一人は寂しいので、一緒に入っていいですか?」
 なんて言ったらいいか、色々頭で考えた言葉を口にしたら、ちょっと驚いたような顔をした。
「いいのか? 俺は手を出すぞ」
「えと……く、くっつくくらいなら」
 そう返ってくるとは思わなかったから、しどろもどろになっちゃった。やっぱりというか、篠宮さんはそんなあたしを笑ってる。
「冗談だ。お前が嫌がるなら、今はやらねぇよ。後の楽しみに取っとく」
 お、お手柔らかにお願いします。心の中でそう言ったら、篠宮さんがおかしそうに笑う。ま、また顔に出ちゃったかな。
「あたし、最近はあんまり顔に出なくなったんですけど……」
「らしいな。洸史から聞いてる。この短期間でその癖をつけたってことは、相当努力したんだろ。やっぱお前はスゲェよ」
「そ、そんな……そんなことないです」
 うわぁ、篠宮さんに面と向かって言われると、照れるとかいう前に恐れ多いわ。お湯に浸かって下を向いてると、隣りにいた篠宮さんが体の向きを変えた。
 縁に背中を預けて、濡れた髪をかき揚げてる。じっと見てたら篠宮さんと目が合っちゃって、慌てて下を向いた。
 隣りから小さな笑い声が聞こえてきたけど、それだけで何も言われなかった。
 それからは特に何か話すことはなかったけど、一緒にお風呂に入るって何だかホワッとした幸せみたいのを感じられた。
 やっぱり、こうして一緒の時間を過ごすっていいな。
 先に篠宮さんが出て、あたしはもう少しゆっくり温泉に浸かってから出た。
 浴衣に着替えて部屋に戻ると、灯台の見える部屋に夕食が準備されてた。すごーい、お部屋でご飯が食べられるなんて!
 テーブルいっぱいに置かれた献立は、とっても贅沢な物ばっかり。
 伊勢海老のお刺身に焼いた伊勢海老、アワビもあるし、フグのお刺身も。定番なお刺身はドーンと船盛り。こんなに食べられるの? あ、篠宮さんなら心配ないかな。
 まだ火のついてないお鍋には海の幸が贅沢に入っているし、もう至れり尽くせりって感じ。
 仲居さんたちは、準備を終えると丁寧にお辞儀して出て行った。
 うわぁ、こんなに豪華なお食事を、篠宮さんと二人きりで!? 今まで二人きりの食事は何度かあったけど、浴衣を着てのご飯は初めてだわ!
 篠宮さんの浴衣姿は何というか……着てるのは普通に旅館の浴衣なのに、篠宮さんが着るとちゃんと仕立てられた物のように見えるから不思議。着る物を選ばないっていうのかな。外のお散歩から戻ってきて、篠宮さんのジャケットをハンガーに掛けた時に、ユニクロのロゴを見付けてビックリしたし。訊いてみたら、今日の服はみんなユニクロだって。本当にそうは見えなかったよ。
 熱燗をお猪口で乾杯して、ご飯を美味しく頂きました。伊勢海老も良かったけど、あたしとしてはアワビが一番良かった! 初めて食べたアワビは、柔らかくて、でも歯応えはあって美味しかったよ〜。
 あの、ドーンとあったお刺身の船盛りは、予想通りみんな篠宮さんのお腹に入りました。あたしも少し頂いたけど、新鮮なお刺身は味も全然違うんだって、感動した。

 
 

 お食事をしてる間に隣りの部屋にお布団が二つ、仲良さそうに並べて敷かれていた。枕元の間に古風なランプが置いてあって、雰囲気は抜群。チラッと篠宮さんを見たら、満足そうな顔をしてた。
 さすがにご飯食べてすぐは体に悪いってことで、一時間くらいテレビを見たりしてのんびり過ごしたけれど。
 そういえば、篠宮さんと一緒にテレビを見るなんて、初めてことだわ。バラエティ番組を見ていてもあんまり笑うことがなくて、「これのどこが面白いんだ?」って首を捻ってた。
 芸人さんがコントのバトルをする番組に変えたら、面白いコントには笑っていたけれど、あたしでも面白いと思えない物には容赦なく「こんなんでよくこいつら金を稼いでるな」なんて言ってるし。
 はっきり言って、番組のチョイスを間違えました。普段から世界のニュースしか見ない人が、バラエティやお笑い番組を理解するのは難しいことなんだと、今回のことでよく分かった。娯楽はないのかなって思って訊いたら、映画は見るとは言ってた。もちろんDVDでしか見られないけれど。
 そんなこんなで、今まで知らなかった篠宮さんの一面を見られて楽しかった。
 もちろんその後は、篠宮さんの宣言通り容赦なく襲われちゃいました。
 お布団で抱かれるなんて初めての経験。下が畳だから多少痛いかなぁと覚悟してたけど、かなり厚めの敷布団が二重になっていて、寝てみるとかなりフカフカ。ベッドと同じ、という訳にはいかなかったけど、思ってたよりは痛くなかった。
 ただ久しぶりのえっちだったから、篠宮さんのテンションが上がりまくっちゃって、あたしはちょっと大変だった。バレンタインの後、一度だけ篠宮さんがマンションに来て抱かれたことがあったけど、それきりだったから。あたしも生理になっちゃったりして、タイミングが合わないこともあったのだけど。
 気が付いた時には、温かい羽根布団の中で篠宮さんと裸で抱き合って眠ってた。あたしの場合、寝てたというより気絶してたって感じ。
 篠宮さんを起こさないように注意して、枕元の携帯を見た。まだ深夜の2時。篠宮さんはぐっすり眠ってる。昼間は「今夜は眠らせない」って言ってたけど、考えてみたら3時間も車の運転をして、その前にはお仕事もしてた訳だから、疲れてないはずないのよね。
 あたしは篠宮さんの頬にそっとキスして、大きな体に抱き付いて目を瞑った。耳を済ますと波の音、それにあたしと篠宮さんの心臓の鼓動が聞こえてくる。こういうの幸せっていうんだ。
 つらつらとそんなことを思いながら、あたしはまた眠りに落ちていった。
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