Act.8  乗り越えるべきこと ...3

 再び篠宮さんの車に乗ってやってきたのは、以前碧さんにデートを勧められて食事に来た、六本木ヒルズだった。
 えと……ここからもしかして歩くんですか!? この格好で!? コートを着てるとはいえ、そのコートは真っ白な毛皮で、こんな夜じゃすごく目立っちゃいますよ!?
 あたしが一人で蒼くなってるのに、篠宮さんはこの前と同じ駐車場に車を停めて、さっさと降りちゃった。え……置いてっちゃうの? って不安になっていたら、助手席に回ってドアを開けてくれた。
「どうした? 変な顔になってるぞ」
「だ、だって……あの、この格好で歩くんですか?」
「コート着てるんだ、寒くねぇだろ」
 …………そういう問題じゃないんですけど。って言っても、きっと分かってもらえないんだろうな。あたしは諦めて車から降りた。
 篠宮さんの手が、あたしの腰に回される。コートを着ていても、一瞬ゾクッとしてくすぐったかった。でも、篠宮さんの手だと思ったら何だか嬉しい。こんなこと思うなんて、変な感じ。
「どこに行くんですか?」
「腹減っただろ」
「え! ご飯食べるんですか!?」
 つい驚いて訊いちゃったら、怪訝な顔をされちゃった。
「なんだ、響子。夕飯いらねぇのか?」
「え……そうじゃないですけど……」
「じゃあ、なんだよ」
 このドレス、お腹と腰の形が丸分かりで、このままご飯なんて食べたらどうなっちゃうか! 考えただけでも怖ろしい……。でも、こんなこと篠宮さんの前で言えないし……。
 
 

**********

 
 
 結局なにも言えずに篠宮さんに連れて来られた場所は、去年碧さんの勧めで食事に来たあの高級レストランだった。
 お店までの道のりは、ずっと注目の的。白い毛皮のコートなんてたぶん滅多にないし、隣りで歩いてるのは篠宮さんだし、ヒルズの広場にいる人たちみんなに見られてるような気がして、落ち着かなかった。今日はバレンタインだからカップルもいっぱいいる。女の人も男の人も、特に近くを通った人たちは、足を止めてポカンとしてあたしたちを見てるし……。うう、恥ずかしいよ。
 お店に着いた時は、本当にホッとした。前に来た時は入るのも躊躇しちゃってたけど、今は早く入って周囲の視線から逃れたい!
 篠宮さんがドアを開けると、以前に会った支配人の敷島さんが待っていて、あたしたちに深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました、愁介様、島谷様」
「ああ、今日は無理を言って悪かったな」
「そのようなことは……愁介様のためならば多少の無理は厭いません」
 恐縮そうな表情で言った敷島さんは、篠宮さんとあたしのコートを脱がせてくれて、傍に控えてたボーイさんに渡した。
 こんなドレス姿を他の人に見られちゃうなんて、やっぱり恥ずかしい。そう思ってうつむいていたら、敷島さんの朗らかな声が聞こえた。
「本日は素敵なお召し物ですね。島谷様によくお似合いです」
 う、うわぁ……なんか、敷島さんみたいな人にそう言われると、本当にそう思えてくるから不思議。さっきの女の人の時といい、あたし、どこか変わってきたのかな……。
 それから敷島さんは、この前とは違う通路にあたしたちを案内してくれた。そこは一番奥にある部屋で、そんなに広くないけど二人で食事をするには十分なところだった。落ち着いた感じで派手な装飾がなくて、篠宮さんが好きそうな部屋だと思った。
 敷島さんは先にあたしを座らせてくれて、それから篠宮さんがあたしの向かいに座る。うわぁ……なんていうか、外のお店でこうして向かい合わせで食事するのって、同じ二人きりでも篠宮さんの部屋で食べる時とは、全然違う。
 ボーイさんがお水とおしぼりを持ってきてくれたけど、メニューはなかった。あれ? と思っていたら、篠宮さんが事前に全部頼んでおいたんだって。フランス料理のフルコースなんて、メニューを見てもあたしには全然分からないもん。これでよかったかも。
 車で来たからワインやアルコールはなし。あたしは飲んでもいいって篠宮さんが言ってくれたけど、それはしなかった。飲めるのに飲まない人の前で飲むなんて、そんなこと出来ないもん。
 さすがに篠宮さんだからなのか、席についてから殆ど待たずに前菜が出てきた。こんな凄いドレスを着てご飯を食べる日が来るなんて想像もしてなかったけど、食べようと思えば食べられるものなんだって思った。
 本当のフルコースだからお魚もお肉も出てくる。でも、よく見るとあたしの前に出されるお料理は、篠宮さんのよりも量が少なめで、全部綺麗に食べられた。残すのは悪いし食べ過ぎたらお腹が出ちゃうし……っていう心配は全然いりませんでした。
 これも敷島さんの配慮なのかな?
 デザートも食べ終わって、篠宮さんはコーヒー、あたしは紅茶を飲んでいると、敷島さんがやってきた。
「島谷様、愁介様、今宵のお食事は美味しくお召し上がり頂けましたでしょか?」
「はい、とっても美味しかったです」
「それはよろしゅうございました」
 にこやかな敷島さんにつられて、あたしも笑顔で言っちゃった。こんな風に言ったら拙いかなって思って篠宮さんを見たら、おかしそうに笑ってる。
 敷島さんはもう一度あたしに向かって微笑んでから、篠宮さんの傍に行って何か話をした。凄く小さい声であたしには何を言ってるのか聞こえないけど、こういう敷島さんの姿を見てると、何だか垣崎さんを思い出した。
 お話を終えて篠宮さんから離れた敷島さんに、思い切って訊いてみることにした。
「あの……前に訊いた時は、し愁介は厳密にはオーナーじゃないって言ってましたけど、あれってどういうことなんですか? あたしには十分オーナーに見えるんですけど」
 危ない危ない! うっかり「篠宮さん」って言いそうになっちゃった。今のは何とかセーフよね!?
 敷島さんはちょっと篠宮さんに視線を向けた。篠宮さんは、仕方ないっていう様な顔でうなずいてる。ま、拙いこと訊いちゃったかな……。
「当店は篠宮グループの傘下にあります。直轄しているのは篁殿ですが、その篁殿が愁介様に全て任せてしまっていますので」
「あ……」
 篠宮さんはグループの会長だから、『オーナーと同じ立場』ってことだったんだ。
「別にこんなことは言わなくてもいいだろう。上手いメシが食えりゃ、俺はどこだっていいしな。ただ、今回はスケジュール的に無理を言ったから、ここにしただけのことだ」
「こうおっしゃっていますが、大事な会食の際には当店をご利用下さっておりますよ」
「その方がクリスやレオンが安心するからな。以前はヒューズもだったが」
 笑いながら教えてくれた敷島さんに、篠宮さんは憮然とした顔で言った。
 それを聞いててあたし分かった。篠宮さんは、特別扱いされるのが嫌なんだ。そういえば垣崎さんも言ってたっけ。「オーナーとしてじゃなく、お客さんとして部屋を取った」って。
「ん、なんだ?」
「い、いいえ! なんでもないです!」
 知らない内に篠宮さんをジッと見つめちゃってたみたい。慌てて視線を逸らしたら、また意地悪そうに笑われちゃった。
 いつの間にか敷島さんは部屋を出ていて、篠宮さんとあたしだけ。真正面から見ることが出来なくて、視線の端に篠宮さんを映していたら、ジャケットのポケットから何かを取り出した。
「お前に渡しておく物がある」
 ひえぇ、なんでしょうか?
 コトンとテーブルの上に置いた物は、赤茶色をしたビロードの小さな箱だった。え……この形、もしかして……。声も出せないで見てるあたしの前で、篠宮さんはその蓋を開けた。
 ひえー! やっぱり!
 中身は小さな石を付けた指輪でした。
 篠宮さんて……今更だけど、行動が物凄く早い!! あたし、付いて行けるかな……心配。なんて思っていたら、信じられない言葉が飛び出した。
「お前の虫除けだ」
「は!?」
 なんで指輪が虫除け?
「会社で告白されたって言ってたろうが。指輪でもしてりゃ、誰かのモンだって分かるだろ。そうすりゃ、もうお前に告白しようなんて野郎はいなくなる」
 そ、そういうものですか? よく分からないけど。
「はめてやるよ。手を出しな」
「ええ!? い、いいですよ! 後で自分でやります」
「いいから出せ!」
 うう……そんなに強く言わなくても……。オズオズと右手を出したら、盛大な溜め息をつかれてしまった。
「左手に決まってんだろ」
「す、すみません」
 下を向いて左手を篠宮さんの前に突き出したら、大きな手があたしの手を包み込んだ。
 うわーうわー! す、凄い! 恥ずかしいっていうかくすぐったいっていうか、ひええ! 指輪が薬指をスルスルと……え!? 薬指!?
 まさかと思って顔を上げたら、あたしの左手の薬指の根元に指輪がはまったところでした。
「え、あの、し、し、愁介?」
「正式な婚約指輪は、お前がもう少し成長してからな。虫除けだから、この程度で十分だろう」
 篠宮さん、すごく満足そうな顔してる。そっと篠宮さんの手が離れて、あたしは左手にはまった指輪を、目の前でシゲシゲと見つめた。
 指輪をはめるなんて初めて。銀色のリングが細めだからか、付けてるって感じがあまりしない。小さな石はちょっと青み掛かった透明な物で、とってもキラキラ光ってる。
「えと……これ」
「ブルーダイヤだ。この前でかいのをイギリスで手に入れた。これはその一部を使って作った」
「はぁ……」
 説明してくれてもよく分からない。今度ネットで調べてよう。
「これ、すごくピッタリですけど……指輪って確かサイズありましたよね?」
「ああ、そりゃ、さっきの店で計ってもらったに決まってんだろ」
「え!?」
 い、いつの間に……もしかしてウトウトしちゃった時!? え? あれ? でも、そうしたらこの指輪、いつ作ったの!?
 頭の中でグルグルしていたら、篠宮さんに思いっきり笑われた。
「お前、考えてることが丸分かりだぞ」
「うぐ……じゃ、じゃあ、あたしの問いに答えて下さい」
 ヤケクソになって言ったら、篠宮さんは澄ました顔で話し始めた。
「先ず、その指輪自体は日本に戻ってきてからすぐに作らせた。で、お前がエステをやってる間にサイズを直してきたって訳だ」
「ず、ずっとあそこにいたんじゃないんですか?」
「3時間も女共の視線に晒されてたまるか! 適当にその辺をブラついてた。こういう時でもなきゃ、昼間自由に動けることは滅多にねぇからな」
 やっぱり、篠宮さんの立場って色々難しいんだ。
 でもこれ……会社に付けて行かなきゃいけないんだよね。はぁ、また伊藤さんが目ざとく指摘しそう。もうどうでもいいけど……やっぱりパトロンていうのは、訂正してほしいな。今度言ってみよう。
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