Act.8  乗り越えるべきこと ...2

 それから3時間掛けて、全身を隈なく綺麗にされた。ここってエステサロンだったんだ。
 服を脱がされてバスローブみたいのを着せられ、足には靴の代わりにふわふわのスリッパ。顔から始まって足まで、これでもか! ってくらいオイルを塗ってマッサージされて、凄く気持ちよかった。あんまりにも気持ちよくて、途中ちょっとウトウトしちゃったし。
 受付で会った女の人がみんなやってくれて、他の従業員の人たちは全員がその人に頭を下げてるから、きっと偉い人なんだと思う。
 全部終わって鏡を見たら、あたしの顔ってこんなにツヤツヤしてたっけ? と思うくらい綺麗になってた。
「如何でしたか? 島谷様」
「あ、はい。とても気持ちよかったです。エステするだけで、こんなに顔が綺麗になるんですね」
 正直な感想を言ったら、ニコッと微笑まれた。
「元々の島谷様のお顔はお綺麗でございますよ。多少お肌がお疲れのご様子でしたが、お勤めによるストレスでしょう」
 ま、まだ研修ですけど……ストレスと言ったら、やっぱり伊藤さんかな。
 それからバスローブを着たままフロアを移動した。え!? と思ったけど、廊下もエレベーターでも、他のお客さんと会うことはなかった。篠宮さんと上がってきた時のエレベーターとは内装が違うから、お客さん専用のなのかも。
 時々ピンク色の制服を着た従業員のお姉さんとすれ違ったりして、みんな丁寧に頭を下げて歩いていく。それに合わせて、あたしもその度にお辞儀をしていたら、「島谷様は大切なお客様ですから、頭を下げる必要はございませんよ」と、やんわりたしなめられてしまった。
 はぁ……やっぱりこういうのは慣れないなぁ。
 移動した先は美容室で、そこで髪を洗ってもらってセットされた。横に流れてる髪を後ろに束ねて、そこから伸びてる髪をクルクルに巻かれた。これがヘアアイロンというやつね。初めて見た。
 爪も綺麗にしてもらえたし。短い爪なのに、ちゃんとクリームとかでケアしてくれて、マニキュアも薄めに塗ってくれた。こんなに短くても、プロの人にマニキュアを塗ってもらうと、ちゃんと綺麗に仕上がるんだ。
 それから同じ場所でお化粧もしてくれた。エステを受けた時にスキンケアしてもらったからか、ファンデーションのノリが全然違う。クリームファンデっていうのも初めて使ったし。薄付きであたしの好みに合ってるかも。今度お給料が入ったら、こういうお化粧品を買おう。
 メイクが終わった自分の顔を見て、何だかあたしじゃないみたいだった。全体にナチュラルメイクなんだけど、睫毛とアイラインがビシバシ入ってる。それだけで、目に凄いインパクトを与えて何だか凄い美人に見える。
 これ、あたし……だよね? やっぱりプロの人にやってもらうと、全然違うんだ。
 そんな感慨に浸る暇もなく、次の場所に移動。凄い量の服がある、芸能人の衣裳部屋みたいなところだった。
 ズラッとドレスがハンガーに掛かっていて、靴も何だか折れそうなピンヒールが並んでる。ドレスの上の壁にあるロゴマークを見て、ギョッとした。あたしでも知ってるブランドのロゴだった。
 こ、こんな凄いところの着るの!? っていうか今更だけど、ここって今話題の、なんとかタワーってところ!?
「本日の島谷様のご衣裳は、私が選ばさせて頂きました」
 そう言って女の人が持ってきたドレスは、淡いすみれ色のシンプルなロングドレスで、オーガンジーのバラの花が腰の辺りに付いてる。肩紐は細いし胸のところがかなり開いているみたいで、あたしにこれが着られるのか、凄く不安。
「どうぞこちらへ」
 声を掛けられてついて行くと、カーテンで仕切られた場所に入った。3人くらい入れそうな空間で、大きな姿見が置いてある。試着室みたいなところかな。床がちょっと高めになっていて、女の人が靴を脱いだから、あたしもスリッパを脱いで上がった。
「下着もご用意させて頂きました。こちらをお召し下さい。ドレスは背中にファスナーがありますので、お手伝いさせて頂きます」
「え……あ、あの、し、下着は自分で……」
 下着を付けてるところを人に見られるなんて、絶対嫌だもん。
「では、外でお待ちしておりますね」
 そう言ってカーテンの外に行ってくれてホッとした。鏡の傍に置いてある小さな籠に下着が入ってるみたい。中身を見て、あたしは固まった。ショーツの方は、最近はいてるのに似てるからいいとしても、この肌色のペラペラなのは何?
 しばらく考えてから、とりあえずバスローブを着たままでショーツをはいた。それからカーテンの外にいる女の人を呼んだ。
「あの、これ、なんですか?」
 多分オマヌケな質問だと思うんだけど、女の人は笑わずに説明してくれた。ヌーブラっていうんだって。話だけは聞いたことあったけど、実物を見るのは初めて。どうやって付けるのかも知らないし。でも付けてもらうにはバスローブを脱がなきゃいけなくて、それにはかなり勇気が必要だった。女の人はそんなあたしに、ちょっと笑って言った。
「先ほどのエステの際に、島谷様のお体は全て拝見させて頂きましたので、恥ずかしがることはありませんよ」
 ひえー! そうだったんですか! あたしの胸とかも見られちゃってたんだ。それじゃもう、今更だよね。それでも、ベルトを解く時は手が震えた。
「前を少し開いて頂くだけで結構ですよ」
 そう言ってもらえてホッとした。言う通りにしたら、すぐにそのヌーブラを貼り付けてくれた。ちょっと冷たくてゾクッとしたけど、すぐになじんで付けてる感じがなくなった。
 それからドレスを着せてもらった。胸がかなり開いていて、普通のブラジャーなんて付けられるデザインじゃなかった。背中もかなり開いていて、自分じゃファスナーを上げるのも下げるのも大変。
 ドレスを身に付けた自分を鏡で見てギョッとした。こ、これ……凄く体に張り付くようになっていて、腰周りとか形がそのまんま出ちゃうんですけど!? 更に、凄く長くて足首を覆うくらいまで裾があって、更に大きなスリットまで入ってる。唯一の救いはスカートの部分がタイトでなく、裾が少し広がるように出来てること。
「まぁ、とてもよくお似合いですわ」
 女の人は手放しで喜んでいるけど、あたしはとてもとても正視することが出来なかった。
「どうしました? お顔をお上げ下さいな」
「いえ……あの、このドレス……は、恥ずかしいんですけど……ひゃあ!」
 消え入りそうな声で言ったら、腰のところをピタッと両手で触られた。
「大丈夫ですよ。島谷様はとてもスマートですし、プロポーションも素晴らしいです。これをお見せにならないなんて、とても勿体無いことですわ」
「で、でも……」
「このようなドレスをお召しになるのは、初めてでございましょう」
「そ、そうです! あたしにはとても……」
 これはチャンスだと思って一所懸命訴えたのに、女の人は優しく笑うだけ。
「おそらく島谷様は、今後このようなドレスをお召しになられる機会が増えるでしょう。今から慣れておくのが得策でございますよ」
「で、でも……」
「そうですね……では」
 少し考えた女の人はカーテンを出て行って、しばらくしてから大判のカタログみたいのを持ってきた。
「こちらをご覧下さい」
 開いて見せてくれたのは、あたしが着てるドレスが出てるページ。モデルさんが着てポーズを取っている写真があった。顔は女の人の手で隠れていて見えないけど、体は凄く締まっていて綺麗だった。
「ご自分の鏡に映られた姿を見比べて、如何です? 試しに同じポーズを取ってみられては?」
 言われて、本当に試しに……と思って写真の通り、体をちょっと斜めにして左手を腰に当ててみた。
 …………ビックリした。鏡の中のあたしの体は写真と全く同じで、そのまんま抜けて出てきたみたい。えー!? 写真の人はモデルさんだよね? あたしってこんなに細かったの!?
「ご納得されたようですね」
 ニッコリ笑って女の人が言う。
「驚きました」
「ふふ、それは私も同じですわ」
「え!?」
「大抵のお客様の場合、胸や腰周り、裾の長さを直されるのですが、島谷様に限っては全く直す必要がございません。今後も今日のようなプロポーションを維持されると、どんなドレスでも完璧に着こなせますよ」
 それはちょっと褒め過ぎだと思う。
「メイクも、篠宮様のご要望に沿いまして薄付きではございますが、島谷様のお顔立ちが良いおかげで、大変美しい仕上がりとなっております。このような美女は、そういらっしゃいませんよ」
 その言葉を聞いていて、何だか変な感じがした。自分なのにあたしじゃないような、そんな感じ。
「如何なさいました?」
「あ、いえ……その、魔法に掛けられてるみたいな気分なので……なんだか不思議で。あたしは、周りの人から綺麗とか美人とか言われても、なかなか信じられなくて。最近は、ちょっとだけ自分がそうだって信じられるようになってはきましたけど、でもそんなにすぐには意識も変えられないし……」
 先月お母さんから「誰よりも美人だ」って言われてから、少しは意識が変わったと思うけど、だからってあたしが……例えば碧さんよりも美人とは思えないし、伊藤さんだって綺麗だと思う。
 そうしたら、女の人がふっと笑った。
「そうすぐに変わるよう思い込む必要はございませんよ。そうやって、人からチヤホヤされてもしっかりご自分を持っていらっしゃる島谷様は素晴らしい方です。そのような人間性も、外見ににじみ出てくるものなのですよ。ですから、ご自分の容姿に惑わされることなく、島谷様の思うようにされればよろしいのです」
 そんな風に言われて、何だか心が軽くなったような気がした。やっぱりこの人の言葉は魔法なんだ。

 
 

 最後に10センチくらいありそうな、薄い紫色のピンヒールをはいて、最初の受付に戻ってきた。歩くのに最初は物凄く苦労したけど、慣れると転ぶ心配はなさそう。いつもみたいにスタスタとは歩けないけど。
 受付のソファには篠宮さんが長い足を組んで座っていて、待っている数人のお客さんたちの注目の的だった。篠宮さんはそんな女性からの視線にも、堂々としてる。カッコイイなんて言葉だけじゃ足りないくらい。
 傍にいた女の人に背中を押されるようにして篠宮さんの前に進み出ると、あたしにも視線がガンガン来て、正直足が震えそうだった。でも、篠宮さんの満足そうな顔を見たら、何故か足に力が入った。
「ふん、いい具合に化けたじゃねぇか。少しは自覚を持てたかよ」
「え、えと……ちょっとだけ……」
 それでも「はい」と言える自信はまだなくて、曖昧に言ったら「それもお前らしいな」って笑われた。やっぱりあたしって、一生こんな感じかも。
 篠宮さんの服は、アパートの廊下で見た時とは全然違う風に見えた。黒一色だと思ってたスーツは、生地の方はうっすら赤い色が入っていて、全体にバラみたいな柄が黒く入ってる。遠くから見るとただの黒だけど、明るいところでよく見ると柄が入っていて、とってもゴージャス。シャツには赤と黒で細いストライプが入っているし、ネクタイはバーガンディな色にやっぱり同系色で模様が入っていて、凄くシックな感じ。
 あたしに近付いてきた篠宮さんの手が腰に回って、ピタッと添えられた。うわわ、ドレスと薄い下着だけだから、まるで直接触られてるみたい。恥ずかしいし、ちょっとくすぐったい。
「じゃあ行くか」
「あ、少々お待ち下さい」
 どこにですか? と訊く間もなく、女の人が何だか凄くゴージャスなコートを持って来た。真っ白な毛皮ですよ!?
「こちらをお召し下さい。このままでは寒いですから」
 そうだった。ビルの中は暖房が効いているけど、これで外に出たら凍えちゃう!
 ファサッと肩から掛けられて、その肌触りの良さに驚いた。膝くらいまでの長さのコートは、見た目と違って軽いし。
「行くぞ。世話になったな」
 女の人にそう言って、腰に当たってる篠宮さんの手に力が入った。半分引きずられるような感じで歩き出した。ピンヒールが不安定で、転びそう……。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
 後ろからそんな声が聞こえて、頭だけ振り向いて「ありがとうございました!」って言ったら、女の人はちょっと面食らったような顔をして、それから嬉しそうに微笑んだ。
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