Act.7  試練、再び!? ...15

 ド緊張の中、ドイツとの会議が始まった。ただの緊張でなくド緊張なのは、始まる直前に伊藤さんが会議室に入ってきたから。
 え!? なんで!? って思っていたら清水さんも顔を出して皆の前で言った。
「新しく社長秘書として研修に来ている伊藤美華さんです。今後のために、会議を見学させて下さい」
 伊藤さんも朝のあたしへの睨みは幻かと思えるくらい、可愛い笑顔を浮かべて「島谷さんは色々勉強になる方なので、よろしくお願いします」って言って、深々と頭を下げた。本当にあたしといる時とは全然違う。表情だって柔らかいし、美人さんだから笑うととっても素敵な笑顔だし。どうして、あたしにはああいう顔をしてくれないんだろ。正直へこむ……。
 倉橋課長が何も言わないってことは、もう話は通ってたんだ。だから伊藤さんのスケジュールに『会議』ってあったのね。
 清水さんは、紹介だけするとお手本みたいなお辞儀をして出て行った。綺麗なお辞儀だったな、今度から真似してみよう。
 会議室の机はコの字型に並んでいて、机がない正面に大きなモニターが2台並んでる。
 伊藤さんはモニターとは逆の、みんなの後ろから見るような形で、壁の角に椅子を持っていって、そこに座った。
 あたしは全員の顔が見える奥側の一番端っこの席に座っていて、伊藤さんとはほとんど対角線にいるような感じ。だから、ずっと笑顔を絶やさない伊藤さんが、あたしと目が合った時だけ鼻で笑ったような顔をしたのが、ばっちり見えてしまった。
 こ、こんな状況で通訳するなんて、篁さんや篠宮さんから言い渡されたどんな試練よりも、ずっと罰ゲームみたいに感じた。
 倉橋課長が腕時計を見る。
「時間だ、島谷、よろしく頼むぞ」
「は、はい!」
 ダメダメ! 今は伊藤さんのことを考えずに、通訳のことだけに集中しなきゃ!
 真っ暗だったモニターのスイッチが入って、左側のモニターにあたしたちが、右側のモニターにドイツの人たちが映る。
 お互いに簡単な挨拶を済ませた後、すぐ議題に入っていった。

 
 
 

 2時間後、特に問題もなく会議は進んで、時間通り終わらせることが出来た。倉橋課長の綻んだ顔を見ると、ホッと安心する。
「島谷、ご苦労さん。今回も助かったぞ」
「は、は、はい。ありがとうございます」
 ポンと肩を叩いてくれて、それがとっても嬉しい。
 会議中はほとんど倉橋課長がしゃべって、成田さんと新谷さんと立野さんは、それをパソコンに入力したりしていた。
「日本語でもドイツ語でも、この前みたいに詰まることがあまりなかったな。勉強したのか?」
「あ、はい……一応は。使いそうな単語やフレーズをピックアップして、それでたくさん文章を作って色んなパターンを覚えたんです」
 今日もそれを書いたノートを持ってきていて、机の上に置いたのを無意識に摩っていたら、倉橋課長に見付かってしまった。あたしってバカ。
「それか、見せてみろ」
「え!? で、でも」
「社長に、島谷の出来も報告せんといかんからな」
「ええ!? あの……じゃあ」
 前回の会議が終わってから、コツコツやってきたノートを渡す。昨日は最後の最後に使おうと思って取っておいた資料で、あれがあったお陰でもあるけど、やっぱり毎日やってきた事が成果に繋がったのかな。あたし、少しは成長出来たかな……。
 ノートをめくっていた倉橋課長が他の人たちにも見せて、最後には伊藤さんのところに持ってって見せちゃって、もうどこかに隠れたい気分だった。
 そういえば伊藤さん、会議が始まってから何だか顔が青褪めてたように見えた。どこか気分が悪かったのかな。大丈夫かしら?
 あたしのノートを見せながら倉橋課長が伊藤さんに何か言ってる。なんでわざわざ課長が行くんだろ?
 不思議に思ってたところで、成田さんから声を掛けられた。
「凄いね、島谷さん。毎日あんなことやってたの?」
「え? そんな……全然すごくなんかないですよ。あんな風にしないと出来ないんですもん」
「いやいや、そんなことないぞ! 今日の通訳っぷりは凄かったぜ。俺たちは前のも見てるから分かるが、訳すスピードが全然違ってたぞ。的確かどうかは俺たちには分からないが、先方は舌を巻いたようだったぜ」
 立野さんが笑いながら言った。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、あたしに気を遣ってるんじゃないかな、って思っちゃう。
「そ、そうでしょうか……あたしはもう夢中でやっただけですけど」
「そういう謙虚なところが、島谷さんのいいところだよね」
 新谷さん、前にも同じこと言ってた。今思うと、あの時は何か別のニュアンスが込められてたように感じるけど、今の言葉は新谷さんの正直な言葉だって分かった。
「あ、ありがとうございます」
 3人に向かって頭を下げたら、倉橋課長がノートを持って戻ってきた。
「貸してくれてありがとうな」
「はい」
「島谷」
 ノートを受け取ったあたしの顔を覗き込むようにしてきたから、ビックリした。
「は、はい!?」
「お前はもっと自信を持って胸を張っていい。それに見合う努力をしてきたんだからな」
「は、はい……でも」
「勿論これで終わりじゃない。だが、今日のことに関しては、もっと自分を褒めてやっていいぞ。よくやった」
 倉橋課長の大きな手がポンと頭を撫でてくれて、何だかお父さんに褒められているような気分になった。思わず涙がウルッとしちゃった。
「あ、あ、ありがとうございます。あたし、まだ自信はあまりないですけど、これからも頑張ります」
「ああ、期待してる。この部屋は4時まで取ってある。伊藤と少し話をするといい」
「え……」
 なんでそういうことになるの? あたしが唖然としたら、倉橋課長は「伊藤の方が話があるようだからな」って笑いながら言って、みんなを連れて会議室を出て行った。
 残されたのは、あたしと伊藤さんだけ。い、一体どんな話があるというのでしょう? また緊張がぶり返してきた。伊藤さんを見ると、プイッと横を向いてしまった。その表情が何だか不貞腐れてるみたい。
 このまま二人でいる訳にもいかないから、仕方なくあたしは伊藤さんのところへ行った。
「伊藤さん、えと……倉橋課長から話があるって聞いたんだけど……」
「…………」
 無言でプイッとまた横を向かれちゃった。これじゃあ話が出来ない。あたしは溜め息を押し殺して、笑顔で言った。
「話はないみたいだから、あたしは先に戻ってるね」
 ノートと辞書とペンと、それから小さなポーチを持って会議室を出ようとしたら、「なに勝手に出て行くのよ!」って言われた。だって……伊藤さんが何も言わないから……しょうがないなぁ。
 ドアのところで振り向いたら、伊藤さんがムスッとした顔であたしを見ていた。
「えと……なに?」
「…………わね」
「え?」
 とっても伊藤さんらしくない小さな声だったから、他意はなく聞き返したのにギッと睨まれて……。早く碧さんのところに行きたいなって思っていたら、意外なことを口にした。
「今まで悪かったわねって言ったのよ! ちゃんと聞きなさいよ、このスカタン!」
 え……ええ!? 今まで悪かった、って急になに!?
「え、あの……伊藤さん、どうしたの?」
「私が素直に謝罪してんだから、素直に受けたらどうなのよ! 相変わらず鈍いわね!」
「え…… 謝罪って、なんで?」
 よく槍が降るとか天変地異の前触れ、なんて表現が使われるけど、正しくそんな感じでビックリした。伊藤さんは顔を真っ赤にして怒鳴ってる。
「あ、あ、あんたには勝てないって思ったから、素直に謝罪してんのに、なんでわざわざ聞き返すのよ! 全く忌々しい!!」
 ええ!? 伊藤さんがあたしに勝てないって、なんで?
「どうして? だって、伊藤さんは韓国語も中国語も出来るじゃない。あたし、凄いと思ってるよ? どっちもあたしには宇宙語みたいに聞こえるし」
 素直に言っただけなのに、今度は怒られちゃった。
「あんた私をバカにしてんの!?」
「し、し、してないよ。なんでそうなるの?」
「…………あんたね」
 伊藤さんは絶句してから、よろめいてテーブルに腰をぶつけて、ガクッと首を落としてそのテーブルに両手をついた。
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