Act.7  試練、再び!? ...13

 思いっ切りシャワーを浴びて体と髪を洗って、思う存分湯船に浸かって、また熱いシャワーを浴びてバスルームを出た。本当に広いよね、ちょっとした温泉施設みたい。今日は入り口のところにある棚に籠が置いてあって、タオルが二枚とバスタオルとバスローブが入ってた。
 慣れないけどしょうがない、バスローブを着てレストルームに入った。
 マギーさんが言った通り、洗面台の横に棚には物凄くたくさんの化粧水とか美容液とかクリームが並んでる。その中に綺麗なブルーのビンがあって、目につられてそれを手に取ってみた。
「…………」
 アルファベットで書いてあるブランド名は、あたしの知らないところだった。物は分からないから、何でもいいよね。とりあえず、同じブランド名のローションとクリームを使ってみた。うーん……いつも使っているのよりは、お肌が潤っていくような感覚は、あるかな?
 それから髪を乾かして、下着の入っている引き出しを開けた。好きなのを選んでいいと言われても、あたしには選択肢の幅が狭すぎます。しょうがないから、ベージュで控え目なデザインの物を選んだ。
 ブラジャーとショーツの他に、サスペンダーみたいな留め金のついた変な細いベルトみたいな物も入ってる。何だろ? これ。広げてみて、何となく見たことがあるような……。
 うん? 引き出しの中に下着とは違う物が、箱に区切られて入ってる。取り出してみるとストッキングだった。広げてみて、何だかいつもはいてるのとは違うのに気付いた。普通にストッキングの長いのが二本、あるだけ。
「え、なにこれ?」
 よく分からなかったから、とりあえずブラとショーツだけ付ける事にした。サイズはピッタリで凄く驚いた。でも、やっぱり薄過ぎるのがとっても心細い。
 でも、しょうがないか……。問題はこの細いベルトみたいなやつよ。
 ふと思いついて、留め金のついた部分を下にして、広げてみた。
「……いやぁー! これ、これ……ガーターベルトってやつ?」
 外国の映画とかで女の人が付けてるの、見たことがある。こ、こんなのをあたしに付けろと!? 無理です、絶対無理!
 あ、さっき見付けたストッキング……確か足を入れる部分が太いレース柄だったと思う。試しにはいてみたら、太腿のところでしっかり留まってくれた。歩いたりしてもずり落ちることがない。
「あ……よかった。こんなガーターベルトなんて、あたしは絶対付けられないよ!」
 でも、出しちゃったこれ、どうしよう? ……悩んだ挙句、ブラとショーツの入っていた袋に入れ直して、引き出しの元のところに入れておいた。
 うう……でもこの格好で寝室に出るの?
 恐る恐るドアを開けて外を見たら、寝室に篠宮さんの姿はなかった。ホッ、よかった。暖房が効いているのか、全然寒くない。
 後ろ手にドアを閉めて寝室を見回すと、広い壁の目に付くところにスーツが一着掛かっていた。あんまり目にしたことがない形のジャケットで、スカートは裾が斜めにカットされてて、何だか凄く高そう。淡いピンクのスーツに合わせたのか、ブラウスも薄いピンクで光沢があってとても綺麗なものだった。
 スーツの真下には、ストラップの付いたパンプスがちょこんとある。トータルコーディネイトってこと? その徹底振りに頭がクラクラしながら、スーツの掛かっているところまで移動する。
 壁と思っていたのは大きな観音扉で、引いてみると最初に姿見が出てきた。下着姿のあたしが映ってる。こんな薄い下着を着た自分を鏡で見るのは初めて。うわぁ……なんか妙にセクシーな感じで、あたしじゃないみたい。
「ふん、なかなか似合うじゃねぇか」
「きゃー!!」
 突然背後から篠宮さんの声が聞こえて、慌ててその場にしゃがんだ。
 半分泣きたい気分で声のした方を向いたら、篠宮さんが寝室のドアを開けた姿勢で立っていた。グレーのスーツを着ていて、もう身支度は整ってるみたい。
「し、し、しの……愁介……ゲホッゲホッ」
 篠宮さんというのを何とか防いで、『さん』と付けるのを何とか飲み込んだら、その拍子に唾も飲み込んじゃって、それが気管に入っちゃった。
「お前な、裸でセックスした相手に下着姿を見られて悲鳴を上げるとは、どういう了見だ?」
「だ、だ、だって、し、しゅう……いきなり声を掛けるから! ノックくらいして下さい」
 とても名前を呼び捨てに出来なくて途中でやめたら、ツカツカと篠宮さんが近付いてきて、ベシッと頭を叩かれた。
「痛い、何をするんですか!?」
「途中まで名前を言ってて止めるじゃねぇ! マヌケに聞こえるだろうが!」
「だって、だって……まだ慣れてませんもん。別に『さん』付けでもいいじゃないですか」
 本格的に涙目になって篠宮さんを見上げたら、溜め息をつきながら叩いたところを撫でてくれた。それが思ったよりずっと温かくて、本当に涙が出そうになった。
「俺のことを『篠宮さん』なんて呼んだら、お前が舐められちまうんだよ。『愁介さん』じゃ媚びてるように聞こえるしな。こっちの世界じゃハッタリっても大事なんだ。お前が俺をファーストネームで呼べる存在だってことを知れば、外野の連中はお前をそれ相応の立場の人間として扱う。だが、そんなことがお前にいきなり出来るか?」
「…………」
「だから、練習しろっつってんだ。分かったな」
「…………」
 声を出すと泣き出しちゃいそうだから、黙ってうなずいた。
「クリスの朝食が待ってるぜ。身支度出来たら、ダイニングルームに来い」
 ポンと頭を軽く撫でて、篠宮さんは出て行った。ドアの閉まる音が聞こえた時、自分でも知らない内に小さな嗚咽がもれてた。
「……うっ……えっ……」
 篠宮さんの言うことは分かったけど、女の子として男の人を好きなだけなのに、そのためにはこんなこともしなきゃいけないなんて……。
「でも……やらなきゃいけないんだ……」
 立ち上がって涙を拭いた。

 
 

 ブラウスとスーツを着て、パンプスをはく。髪はいつものように、軽くまとめてバレッタで留めた。さっきの姿見に映ったあたしは、いつもと服が違うだけなのに、何だかちょっと大人っぽく見える。あの下着のせいかも。服の上からじゃ見えないけど、どうしても意識しちゃうから。
 寝室を出て、覚えている道順でダイニングルームに向かった。
 見覚えのあるドアを開けると、お味噌汁の美味しそうな匂いが漂ってきた。テーブルには他に、ほうれん草のおひたしと焼き鮭、温泉卵みたいな半熟卵に白菜の漬物があった。クリスさんのご飯て美味しいから、今から楽しみ。口に出す時に『さん』と取ればいいよね。心の中で思ってるのは、あたししか聞こえないんだし。
 今日はよく晴れていて、遠くの方に富士山が見えた。ここが会社の52階だってすぐに忘れちゃうのは、きっと内装のせいね。普通にマンションとかホテルみたいだもん。でも、朝から富士山が見られるなんて、少しだけ気持ちが晴れた感じがした。
「やっと来たか。どうやら覚悟は決めたみてぇだな」
 あたしの顔を見て篠宮さんが、満足そうに微笑んだ。湯気の立つご飯やお味噌汁を前にして、お茶を飲んでいた。お茶碗をテーブルに置いて、マジマジとあたしを見る。あんな下着を着けているだけに、ただ見られているだけなのに、凄く恥ずかしく感じる。
「ふん、マギーの見立てだが、よく似合ってるじゃねぇか。お前に用意した物は、ここに置いておく分以外は、全部お前のアパートに持っていかせる」
「え…… でも、部屋の鍵は……」
「お前が帰る時に持っていくんだよ。クリスが手配しているから、心配するな」
「あ、はい……」
 何だか、どんどん大事になっていくような気がする。でも、もう諦めるしかないみたい……。
 
 

**********

 
 
 クリスさんの美味しい朝ご飯を食べて、歯磨きとお化粧を済ませたら、時刻は8時20分になってた。こんなに時間が掛かったのはクリスさんのご飯が美味しかったのと、マギーさんから『綺麗に仕上げるメイクの方法』を教えてもらっていたから。いつものあたしのメイクとはやり方が全然違ってて、ちょっと面倒臭いと思っちゃった。
 でも仕上がったあたしの顔は、いつもより数段綺麗に見えた。テレビとかで見る女優さんとかモデルさんみたいで、メイク一つでこんなに変身するのかって感心しちゃった。ああいう人たちは、こういう手間を惜しまずに綺麗になっているのね。
 化けたあたしの顔を見て篠宮さんは「塗りたくり過ぎだな」なんて言ってた。あたしもそう思う。でも外国の女性から見たら、これくらい塗るのは当たり前みたい。篠宮さんに言われたマギーさんは、とても不思議そうな顔していたから。
 その後、篠宮さんからはバッグとコートを渡された。バッグはあたしでも知ってるルイ・ヴィトンですよ! 白いコートはどこのか分からないけど、カシミヤ 100%でパッと見はガウンみたいな、凄く軽くて暖かい。しかも二枚重ねになっていて、一枚だけだと本当にガウンみたいだけど、二枚重ねて着るとオシャレなコートに見えるから不思議。
 スーツとパンプスとバッグとコートで、一体いくらになるんだろう? 想像するだけで怖ろしいから、考えるのはやめた。
 コートを羽織って……暖房効いてて暑いから脱ごう。コートを腕に掛けてバッグを持った自分を鏡で見てみる。
 カッコイイOLのお姉さんが立っているって感じで、あたしじゃないみたい。でも、正真正銘あたしなんだよね? なんだか信じられない、これがあたしなんて……。
 伊藤さんに会ったら、また何か言われちゃうかな……。はぁ、今日会うのはちょっと嫌。
 篠宮さんは後から出るってことで、またエレベーターまであたしの見送りに来た。クリスさんが呼んでくれたエレベーターが着いて乗り込もうとしたら、篠宮さんまで一緒に付いて来て。え? と思っていたら背中をエレベーターの壁に押し付けられて、当然のようにキスされた。すぐに唇は解放されから、口紅が取れる心配はなかったけど……。
「今回はスケジュールがぎちぎちだ。向こうに着いたらおそらく電話も出来ねぇ。連絡するのは帰ってからだ、響子」
 うわわっ、篠宮さんの言葉と一緒に息が顔に当たって、心臓がバクバクしちゃう。篠宮さん総帥モードの格好しているから、いつも以上にカッコよくて……。ドキドキして見上げていたら、急にご機嫌斜めになっちゃった。
「え? しの……愁介っ」
 何とか名前を呼べても、つい『さん』を付けたくなっちゃう。あたしよりずっと年上なのに、名前を呼び捨てなんて……そのたんびに心臓が破裂しちゃいそう。
「ふん、まぁしばらくはそれでもしょうがねぇか。練習はしとけ」
 名前を呼び捨てにする練習なんて……はぁ、でもやらないとやっぱり口に出ちゃうよね。今みたいに。
「会議の通訳なんかお前にとっちゃ大した仕事じゃねぇ。必要以上に怖気づくんじゃねぇぞ。じゃあな、頑張れ」
「あ……しゅ、愁介っも、あの、気を付けて行って来て下さい。会議は大変だと思いますけど」
「ありがとう。響子もな、伊藤美華とは比べるべくもねぇ。自信持ってやってこい」
 そう言って、あたしの額にキスしてエレベーターを降りていった。おでこが凄く熱い気がする。多分顔も真っ赤だと思う。
「はぁ……」
 溜め息をついた時には、もう50階に着いていた。出勤するのに移動距離はたったの2階分なんて……つくづく普通じゃない、と思った。
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