Act.7  試練、再び!? ...8

 予定より5分前に最初の会社に到着。ここは外資系の会社で、社長を始めとした役員の殆どが外人さんの会社。英語なんてあたし全然分からないのに、いいのかな……。
 篁さんの後ろについて受付を済ませ、応接室に通される。受付の人たち、ウチの会社の受付と比べると、ちょっと愛想が足りないような気がする。……ハッ! こういうのを比べちゃダメだよね。
 ソファに座った篁さんの後ろに立っていたら、隣りに座るように言われた。ソファに腰を下ろしてバッグから名刺入れと手帳を取り出した時、向かいのドアから外人の男の人が出て来た。ハリウッドの映画に出てきそうな男前な人で、支倉さんに見せてもらった社長さんの写真その人だった。後ろにいる東洋系の美人さんは秘書さん。こっちは韓国の女優さんみたいに、ストレートの髪が綺麗な人。
 篁さんがあの微笑を浮かべて立ち上がって、英語で話しながら社長さんと握手した。あたしも慌てて立ち上がる。何を話しているのか全然チンプンカンプンだけど、笑顔笑顔……と心の中で暗示を掛ける。篁さんがあたしを紹介するように手を出して「New secretary」って言ったから、知ってる英語で自己紹介した。
 そうしたら、急に篁さんの言葉がドイツ語に変わって
≪彼女はドイツに留学していたことがあるのです。ドイツ語は母国語のように話せるのですよ≫
 なんて言うからビックリした。別にあたしは『話せる』っていうだけで、それは誇張のし過ぎです篁さん! 相手の社長さんは何故か嬉しそうな顔をして、あたしに言った。
≪それはよかった。篁社長には以前に話しましたが、私はドイツ出身で実は英語はあまり得意ではないのです≫
 チラッと篁さんを見たら頷かれた。あたしの言葉で話していいってこと?
≪ あ、わたしも英語は出来ませんが、ドイツ語でしたら大体のことは分かります≫
≪ほう、綺麗な発音ですね。日本人でこれほどのドイツ語を聞けたのは、篁社長以外初めてですよ≫
≪ありがとうございます≫
 それからは篁さんと社長さんはドイツ語で話してくれたから、あたしにも内容が全部分かった。会話の内容で必要そうなことを手帳に書き留めていく。向こうの秘書さんは、ドイツ語は分からないみたいで、ちょっと戸惑っていたみたい。たぶん篁さんは、あたしのためにドイツ語にしてくれたのよね。悪いことをしちゃったな。
 会談は20分くらいで終了して、その後は社内の様々なところを案内されて、到着してから1時間でその会社を出た。
 車に乗ってから、篁さんが満足そうに言った。
「よかったですよ、島谷さん。その調子で今後もお願いしますよ」
「あの……でも先方の秘書さんは、ドイツ語が分からないみたいでした。その……あれで、いいんですか?」
「先方の社長は満足していましたからね、問題はありませんよ。他人の事を気遣うより、自分を大事になさい。すぐに次の会社に着きますよ、気持ちを切り換えて」
「あ、はい……」
 プリントは出さずに書いてあったことを思い出した。次の会社は、確か結構なおじさんだったはず。頭が半分以上禿げていて、何というか……ギラギラした目付きのおじさん。
 到着してみると、その通りのおじさんが応接室に入ってきた。話してみると見た目と違って、とっても誠実そうなおじさんだった。

 
 
 

 それから残りの3社を回って、ほぼ予定通り……といっても10分過ぎたけど、会社に戻ってきた。社長室に戻ると篁さんはすぐに会議室へ直行。清水さんがそれに付いて行った。
「島谷さん、お疲れ様」
 物凄く疲れた気分で自分の席につくと、支倉さんが声を掛けてくれた。
「あ、はい。ただいま……です。はぁー……」
「緊張した?」
「それはもう」
 篁さんの隣りにいるだけで疲れちゃうもの。それは口に出さなかったけど。
「そんなに難しいことはなかったでしょう?」
「それはそうなんですけど……」
 セクハラしてくるような人もいなかったし。ただ、やっぱり会社のトップの人と会うのって、神経が疲れる。
「たぶん、これから島谷さんが同行することが増えると思うよ」
「は、い……」
 もういいです……とは言えなくて、曖昧に返事しちゃった。何も言われなかったから、思うだけならいいのかも。
 支倉さんが席に戻ると、斜め後ろからチクチクと視線が。ちょっと後ろを見たら、パソコンを使ってる伊藤さんがプイッと横を向いた。まぁいいか、あからさまに睨まれるよりはいいかも。
「はぁ、明日の準備しなきゃ」
 ドイツ語の資料整理、全然出来てない。デスクの引き出しからノートと辞書を出して作業していると、電話が鳴った。取ったのは奈良橋くん。
「島谷さん、内線だよ」
「え!? あたし?」
 誰だろ? 国際管理部からかな。明日の会議の件ならあり得る。
「すごく偉そうな人だよ」
 え、偉そうって……まさか!? 震える手で受話器を取って、内線ボタンを押した。
「もしもし、島谷です」
『俺だ』
「しのっ」
 やっぱり! 思わず大声で言いそうになっちゃって、慌てて背を丸めた。
「な、なんで内線なんですか?」
『俺を誰だと思ってる』
「えと……か、会長です、けど」
 誰かに聞こえるとよくないと思って小声で言った。篠宮さんはグループの会長さんでもあるから内線使っても変じゃないけど、表には出てこない人じゃなかったの!?
 軽くパニクっていたら、勝手に話を進められた。
『お前、定時で終業だろ。6時になったらさっきのエレベーターで地下に降りろ』
「え、あの……今日は帰って明日の準備をしたいんですけど……」
 6時までになんて、きっと終わらない。明日は2回目の大仕事だから、万全で臨みたいんだもん。地下ってことは、どこかに行くってことよね? そんな暇はあたしにはありません。
『明日? ああ、ドイツとのテレビ会議か。お前に準備なんかいらねぇだろ』
「いります!」
 思わず大声で言っちゃった。だって篠宮さん、勝手に決め付けるんだもん!
 ハッとして後ろを見たら奈良橋くんと伊藤さんと辻村くんが、あたしに注目していた。特に伊藤さんなんか、凄く不審そうな目であたしを見てる。
「あの……明日じゃダメですか?」
 受話器を抱えるようにして小声で訴えたら、ご機嫌斜めな声が返って来た。
『明日から例の会議だ。しかも今回は本国でやることになってる。今日しかねぇんだよ』
「え、そんなっ」
『本当です、響子様』
 あ、レオンさんの声だ。
『明日の朝9時にはここを出なければいけませんので』
「ええ!? で、でも」
『でもは聞かねぇ。いいな、6時だ』
「え、ちょっと!」
 言うだけ言ってブツッと切られた。
 抱えた受話器から虚しい機械音が響いてる。え……と、マジですか? 時計を見たら6時まで後30分しかなかった。
 もう……しょうがないな。なるべく早く帰してもらおう。でも、辞書とノートをバッグに入れて篠宮さんとデートだなんて……。
「はぁー……」
 ダメダメ! 落ち込んでる暇はないよ。後30分で……お化粧直しもしなきゃいけないから、25分でやれることやっておかなきゃ。

 
 

 6時5分前になってノートと辞書を片付けた。
 自分でも信じられないくらいの集中力で、終わったと思ったらちょうど時間になってた。凄い、やれば出来るんだ、あたし。後は、これを明日の会議で生かせれば……。
 パソコンの電源を落として、支倉さんと奈良橋くんと辻村くんに挨拶して、コートとバッグを持って秘書室を出た。清水さんは、まだ戻ってきていなかった。会議はまだやってるんだ。本性はあんなだけど、篁さんてやっぱり凄い人なんだ。あれだけのスケジュールをこなしてるんだもん。
 伊藤さんの姿が見えなかったから、挨拶はしなかった。さっき支倉さんのところに行ってたから、何かお仕事してるのかも。
 エレベーターに乗る前にトイレに入った。お化粧直しておかなきゃ。やっぱり篠宮さんに会うのに、ちゃんとしておきたいもの。そう思ってトイレに入ったら、洗面所で伊藤さんとバッタリ会っちゃった。なんでこう…… タイミングよく会っちゃうのかな。コートとバッグを持ってるあたしを見て、機嫌悪そうに片方の眉毛を上げた。
「あら、これからデートにでも行く訳? さっきの内線の人と」
 はぁ……また嫌味が復活しちゃった。あたしのことが嫌いなら、無視してくれればいいのに。
「奈良橋くんが偉そうな人って言ってたわね。ふん、社長は狙っていなくても役員は狙っているって訳?」
「…………別に、伊藤さんになにか言われる筋合いは、ないと思うけど」
 黙っているのも何だか癪で小声で抗議したら、バカにしたような顔をされた。
「まぁ、せいぜい頑張って脂ぎったおじさんに媚を売ってきたら」
 自分の言ったセリフに優越感を持ったみたいで、伊藤さんは気分良さそうにトイレを出て行った。
 何だか勝手に想像されてるけど……まぁいいか。篠宮さんのことを説明するのは面倒だし、あたしに上手く説明出来るとは思えないもん。
 鏡の前でファンデーションと口紅を直して、エレベーターホールに向かった。
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