Act.7  試練、再び!? ...5

 物凄く不安になりながら、ラウンジに着いた。
 ちょうどお昼時なのもあって混雑していたけど、さすがに広いだけあってまだまだ席は空いていた。伊藤さんとトレイを持って並んでるなんて、やっぱり不思議な気分。
「無料で食事が出来るなんて、ここって本当に儲かってるのね。精々半額とかが相場なのに」
「あ、そうなんだ」
 あたしはそういうの初めて知った。感心したように呟いてた伊藤さんは、ジロッとあたしを見る。
「あんたって本当に世間知らずなのね。どこの金持ちのお嬢様よ?」
「えっと……お父さんは普通にサラリーマンだけど?」
「じゃあ、蝶よ花よと育てられたのね」
「そ、そうでもないけど……」
「ま、あんたの卑屈さを見てれば、金持ちのお嬢様じゃないわよね」
 こんなに露骨に卑屈って言われたの、初めて。何だか伊藤さんとは一生仲良くなんて、なれない気がしてきた。
 無料とはいっても先月のお給料明細を見たら、ある項目で少しだけ引かれていた。あの手取りの金額からしたら、本当に少しだけだけど。多分、そのお金をこういうところで社員に還元しているんだと思う。一カ月分の昼食があの金額で済むんだから、殆どタダみたいなものよね。
 あたしはオムライスにミニサラダとミルクティをトレイに乗せた。伊藤さんは、有機野菜の温野菜スープに小さなパンが一個だけ。後はミネラルウォーター。
「え、伊藤さんそれだけ?」
「私はあんたが信じられないわよ。オムライスなんて、高カロリーと高コレステロールの塊じゃない」
「そ、そうなの?」
「……もういいわ、あんたには突っ掛かるのもバカらしい」
 そう言ってさっさと空いている席を見付けて座っちゃった。あたしと一緒に食事なんてご免なんて言ってたのに、しっかりあたしを手招きしてる。清水さんの命令だから、かな。上司には逆らわないんだ。
 伊藤さんの向かいの席に座って、ご飯を食べ始めた。
 頭の中でさっき覚えたことを反芻しながら食べてるから、オムライスの味なんて全然分からないし、伊藤さんもなるべく視界に入れないようにした。行く先の社長の写真を思い浮かべて、その会社の事業内容とか思い出す。
「あんたね、言っとくけど」
「……え?」
「私が話してるのに、何ボケッとしてるのよ!」
「ご、ごめん。さっき覚えたことを確認してたから……」
 正直、今はなにも話し掛けないでくれるとありがたいんだけど、清水さんから『お互いを認め合うように』と言われた以上、何か話さないといけないのかも。
 スプーンを置いて顔を上げて、伊藤さんを見た。
「なに?」
 あたしはスプーンを置いたのに、伊藤さんはパンを千切っては口に入れてる。
「うん……」
 伊藤さんは時間を掛けてパンを飲み込んでから、あたしを真正面から見て人差し指で差した。
「言っとくけど、私の足を引っ張るようなことはしないでよ。清水さんに言われたから、仲良くはしなくても、あんたはあんたなりに認めてあげる。どんなに愚図でも嫌味を言うのはやめてあげる。でも、私をイライラさせないで!」
「……わ、分かった。努力……してあげる」
「なによ、その言い方」
 伊藤さんの話し方に合わせただけなんだけど……。これは言わない方がいいかも。
「まぁいいわ。清水さんも支倉さんも社長も、あんたのことを認めているのは納得いかないけどね!」
 また言うだけ言って、伊藤さんはスープを飲み始めた。時間がなくなっちゃうから、あたしもオムライスを口に運んだ。頭の中は、さっき覚えたことでいっぱいいっぱい。はっきり言って、伊藤さんと話している余裕なんかなかった。
 お互いに無言でご飯を食べていたら、ラウンジ全体が急にざわめいた。
 この感じ、もしかして……と思って周りを見たら、やっぱり篁さんが来ていた。
「社長! え……社長もここで食べるの!?」
 伊藤さんが信じられない! っていう顔で篁さんを凝視してる。
「うん、あたしも最初は驚いたけど、いつもそうみたいだよ」
 しょっちゅう顔を合わせる訳じゃないけど、先月も2〜3回は食堂で篁さんを見た。
 篁さんはいつも通り、社員から声を掛けられるとわざわざ足を止めて挨拶してる。凄いなぁ、そんなに時間のある人じゃないのに、ちゃんと社員一人一人に気を掛けてるんだもん。
 これが篠宮さんだったら……あ、ここに来ることもないか。こういう大勢人がいるところは苦手だって言ってたもんね。でも、篠宮さんが社長だったら、それなりに人気がありそうな気がする。
 篁さんは、あちこちから同席にと声を掛けられているけど、丁寧にお断りしているみたい。なんでだろ? と思っていたら、バッチリ目が合ってしまった。
「きゃっ、社長と目が合っちゃった」
 え? なに? 今、凄く可愛い声がした。この声、誰!?
 ……っていうか、位置的には伊藤さんしかいない。前を見たら、ポーッとした顔で篁さんを見ていた。両手を口に当てて感動してるみたいに目が潤んでる。こんな伊藤さん、初めて見た。ちょっと可愛いかも。
 篁さんは当然のようにこちらに来て、「隣りよろしいですか?」と、またもあたしに声を掛けた。お昼時にここで見掛けはしてたけど、声を掛けられたのはこれで2回目。なんか、また何かありそうな感じ。
「は、はい! どうぞ」
 って言ったのは伊藤さんで。……まぁいいか。
 篁さんはそれでもあたしの隣りの席に座った。またもざわつく周囲。そういえば、前もこんな感じだったよね。
 「今年の秘書はレベルが高い」とか「どっちが好み」とか「社長の隣りの部屋で仕事が出来て羨ましい」とか、周りから聞こえる声も、似たようなものだった。
 一人でご飯を食べていてもこういう声は聞こえてくるし、「隣りで食べてもいいですか?」なんて言ってくる若い男の人もいるから、さすがにこういうのは慣れてきた。
 でも……今日はこれから篁さんと同行しなくちゃいけなくて、覚えていなきゃいけないことがたくさんあるのに。出来れば静かにご飯を食べたかった……。
 今日の篁さんの献立は、親子丼。見掛ける度に丼物なのは、食べる時間を節約するためだって清水さんが言ってた。そうだよね、忙しい時は分刻みのスケジュールだし。
「いただきます」
 篁さんが手を合わせてそう言うと、「どうぞ」と伊藤さんが言った。
 なんでいちいち伊藤さんが言うのかよく分からない。伊藤さんの目は、親子丼を食べる篁さんに釘付けで、瞳は夢見心地って感じでほんわりしてる。こんな可愛い面もあるなんて、ビックリ。でも、なんで篁さんなの?
 ジッと伊藤さんを見ていたらあたしの視線に気付いたのか、ギッと睨んできた。面接の時もそうだったけど、この変わり身の速さは凄いと思う。これは、声を掛けない方がいいかも。あたしは自分のご飯を食べることに集中した。
 三人で無言の食事。周りはずっとざわついていたけど、今のあたしにはそれを煩わしいと思っている余裕はなかった。13時になったら、隣にいる篁さんと一緒に会社訪問しなきゃいけないんだから。失敗は許されないんだから! 支倉さんはしてもいいって言ってたけど、しない方がいいのは当然だもん。
「ご馳走様でした」
 あたしが最後のチキンライスを食べ終えて手を合わせると、篁さんもほぼ同時に食べ終わってた。あたしより遅く食べたのに、やっぱり早い。
 伊藤さんは……と見ると、全然減っていなかった。ずっと篁さんを見ていたみたい。えっと……なんで?
「伊藤さん、早く食べないと時間がなくなっちゃうよ」
 親切で声を掛けたのに、ギロッと睨まれた。まるで『邪魔しないで』って言われてるみたいだった。なんで??
 でも、さすがに時間がないと思ったのか、慌ててスープを飲み始める。
「島谷さん」
「は、はい!」
 きゅ、急に声を掛けないで下さい。心臓に悪いです!
「午後の準備は出来ていますか?」
 うう……さっき覚えたことを忘れていなければ……。篁さんは笑顔で訊いてきたけど、やっぱりあたしにはそれが鬼に見える。
「な、何とか……」
「期待していますよ」
 ひぇー! 期待なんかしないで下さい! もう、こっそりあのプリント持って行っちゃおう。でないと、絶対なにかやっちゃう!!
 伊藤さんは、あたしの変な答え方が耳に入っていないみたいで、視線はスープのお皿と篁さんを行ったり来たり。スプーンですくい切れなかったお皿の底に残ったスープを、千切ったパンで拭うようにして食べてる。そうか、そうやって食べればスープを残すことがないんだ。
 感心して見てると、伊藤さんの目は篁さんに向いているせいか、パンについたスープがほっぺたにちょっと付いた。美人な伊藤さんの顔にスープの跡がついて、妙に子供っぽくて可愛い。
 一週間彼女を見てきたけど、こんな一面があったなんて全然分からなかった。何だか新鮮な感じ。
 そうしたら、篁さんは「おや、伊藤さん。頬に付いていますよ」なんて言って、左手を伸ばしてほっぺたに付いたスープを指で取ってあげた。途端に「うわぁー」とか「きゃー!」とか、周りから驚きの声が聞こえた。そりゃあ、篁さんも伊藤さんも美人だもん。こういう姿は絵になるよね。
 伊藤さんは真っ赤な顔して固まってた。篁さんてば、こんなことして大丈夫かな。子供扱いしたって、伊藤さんが怒らなきゃいいけど……。
 ハラハラしていたら、伊藤さんは耳まで赤くなって、うわ……ヤバイ! と思っていたら、両手を膝の上に置いてモジモジし始めた。
 え!? なに、この反応!?
 上目遣いで篁さんを見る目は、さっきよりもずっと夢見心地な感じで、あたしは思いっ切り引いてしまった。ドン引きってこういうことをいうのね、って妙に納得しちゃった。
 今まで見てきた伊藤さんと、全然態度が違う。……っていうか、まるで別人!!
 篁さんはそんな伊藤さんをクスッと笑って、そのままにこやかな顔で声を掛けた。
「伊藤さん」
「は、はい……」
 伊藤さんらしくない、殊勝な返事。この態度の差は一体なんで? 理不尽とか思う前に、あの伊藤さんがこんなになっちゃうことが、不思議でしょうがなかった。それに、伊藤さんの篁さんを見る上目遣いが何となく媚びた感じがして、ちょっと嫌だった。
「島谷さんと、あまり上手くいっていないようですが」
「そんなことはありませんわ。島谷さんは優秀ですし、一月遅れて入った私には学ぶべきところの多い方です」
 え!? あれだけ罵倒されたのに、全然言ってることが違うよ!? あたし、耳がおかしくなったかと思っちゃった。
 唖然呆然で、伊藤さんと篁さんを交互に見比べた。伊藤さんは相変わらず夢見心地な表情で篁さんを見ていて、篁さんはにこやかな顔を崩さずに伊藤さんを見てる。二人を見ていたら、ゾワッと寒気がした。なんで!?
「そうですか、それはよかったです。お二人共これから私を支えて頂く優秀な秘書ですから、仲良くやっていって下さると助かります」
「はい、お任せ下さい。島谷さん、どうぞよろしくお願いします」
 ええー!? ちょっと待って伊藤さん!! 足を引っ張らないでってさっき言ったばっかりなのに、なんであたしに頭下げてるの!?
「島谷さんも、伊藤さんを指導してあげて下さいね」
「は!? は、はい……」
 篁さんからもにこやかな顔で言われて、あたしはそう言うしかなかった。多分これ以上ないくらい極上の笑顔なのに、ヘビに睨まれたカエルな気分なのは気のせいだよね!? ね!? 誰か嘘だと言って、この状況!!
「それでは島谷さん、午後はよろしくお願いしますよ」
 そう言って篁さんは空の丼の乗ったトレイを持って、颯爽と去っていった。トレイに乗っているのはあくまで丼なんだけど、何故か絵になる。
 伊藤さんは、篁さんの背中をポヤ〜とした顔で見送って、姿が見えなくなるとあたしのことを睨みつけてきた。うん、伊藤さんっていったらこの顔だよね。ついさっきの夢見心地な顔は気の迷いだよね!?
 それは今までで一番鋭い目付きなんだけど、さっきの可愛い姿を見ちゃったからか、もう全然怖いと思わなかった。
「ちょっとあんた! 社長をあんな不審そうな顔で見るなんて、なに考えてんの!?」
「え……だって」
「一緒にいて恥ずかしいったらありゃしない! もう二度と、あんな失礼な顔して社長を見ないでよ!!」
「…………」
 もう何も言えなくて、あたしはただ無言でうなずいた。いや、あたしの方が一緒にいてメッチャ恥ずかしかったです。
 それに篁さん笑顔だったけど、本当には笑っていなかったよね?
 今までも何度か篁さんの笑顔は見ているし、あの笑顔で鬼みたいなことを言っていたけど、それでもちゃんと笑っていた気がする。でも、さっきのは全然違う顔だった。伊藤さんがあの顔を笑顔と誤解しているのが、あたしには不思議だった。
 だって、寒気がしたよ? 篠宮さんの殺人光線みたいな視線とよく似てる気がする。類は友を呼ぶっていうの、もしかして本当かもしれないって思った。
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