Act.6 呪縛からの解放 ...1

 ああ……よく寝た。っていうか、寝られてしまった。
 昨夜クリスさんにアパートの前まで送ってもらって……それどころか部屋までエスコートされちゃって、それから速攻でパジャマに着替えた。
 その時になって、スキンケアもお化粧もしてないスッピンなのに気付いた。ウギャッと思ったけど、何もかもが遅すぎる。
 泣く泣く……とはいえ、色んなことがあり過ぎて、そのままベッドに入ってすぐに眠っちゃった。
 目が覚めたのはお昼近くになってから。
 今から準備して、お父さんとお母さんにプレゼント買って行ったら、実家に着くのは夕方になっちゃう。でも、今日実家に泊まれば明日夕方まではいられるし、このくらいの時間の方が却ってちょうどいいかも。
 シャワーを浴びるのに部屋でパジャマを脱いだら、昨日マギーさんが用意してくれたという、スケスケな下着を付けていたことを思い出した。
「洗って返さないと、いけないよね……」
 ってことは、嫌でも52階に行かなきゃいけない訳で。もしかしたら55階かもしれないけど。結局、篠宮さんのいる所へは行かなきゃいけないんだ。
「はぁ……」
 つい出てしまった溜め息は、行けばまた抱かれちゃうんじゃないか? という不安。それが嫌という訳じゃないけれど、やっぱりまだ恥かしい。
 ユニットバスに入ると、あたしの部屋だなぁという現実感が湧いてきた。昨日の篠宮さんの部屋でのことは、全部夢みたいに思える。それくらい何もかもが広かったし贅沢だった。
 シャワーを浴びてお肌を整えて、いつもの私服に着替えた。浅葱色のセーターに、ウールのフレアスカート。薄くお化粧をして鏡の中のあたしとご対面。
 うん? なんか、あたし違う? そんなことないよね、この顔はあたしだもん。
 今日は実家に泊まるから、お泊まりセット持って行かなきゃ。化粧水とか美容液とかを小瓶に分けて鞄に入れた。
 ……もしかしてこれから会社行く時とかも、持って行かなきゃいけないかな。もし、もしも会社で篠宮さんから呼び出しを受けたりしたら……下着とかも?
 うわぁ、ちょっとちょっと! どうしよう!! 会社に着替えとか下着とか持ってかないといけないの!? ひぇ〜!
 お化粧した時の鏡がそのままで、その中に映るあたしが見えた。顔、真っ赤。
 その時突然携帯の着ウタが鳴って、飛び上がるくらいビックリした。心臓に悪いよ、もう……。携帯を見ると、加奈子からだった。
「加奈子? どうしたの?」
『どうしたの? じゃないわよ! 全然連絡ないから心配しちゃったじゃない!』
「あ、ゴメン。ちょっと色々あって……」
『昨日はどうだったの?』
 ドキッ!
「ど、ど、どうって……えと、あの、その」
『あーうんうん、何となく分かった』
 ひぇ!
「なな何が分かったの!?」
『篠宮さんとしちゃった?』
 いきなりそんなこと訊かないで!
「う……し、し……しちゃった」
 口元に携帯を押し付けるようにして、ボソッと言った。
『え? なに? ごめん響子、聞こえない』
 嘘!? そりゃあ蚊の鳴くような声だったけど、加奈子なら絶対聞こえると思ったのに。
『響子? ごめん、あたし先走り過ぎたね。響子にとっては初デートで色々あったろうし』
 色々あり過ぎました。
『ねぇ、今日会えない? あたし話聞きた〜い』
「あ、今日はダメなの、ゴメン。実家帰ろうと思ってて」
『あ、そうなんだ。何かあったの?』
「ううん、お給料が出たからね、お父さんとお母さんに何かプレゼントしようかなって思って。電車に乗れば1時間で着くし」
『お〜お給料! 凄いじゃん、響子! じゃあさ、明日夕方にでも会わない? 里佳も呼んでさ』
「えと……里佳も?」
『里佳も気にしてたよ? 響子に会えば安心すると思うんだ』
「うん……じゃあ明日、5時とかでもいい?」
『オッケーオッケー! じゃあ里佳にはあたしから話しとくね。響子も無理はしないでね。時間に遅れるとかあったら、遠慮なく連絡して。家族水入らずのお邪魔はしたくないから』
「うん、分かった。ありがと加奈子」
『いいよいいよ、あたしの方が強引に誘ったんだし。気にしないで、じゃね』
 プツッと通話が切れて、ホッとした。加奈子ってばいきなりなんだもん。でも昨日のことかぁ……篠宮さんのこと、どこまで話していいのか分かんないよ。うーん……まいいや、明日になってから考えよう。
 あと持って行く物は……着替えは真冬だから明日もこれでいいでしょ。下着の替えは持ったし。……あっパジャマ! お泊まりセットは持ったから、後はプレゼントだけか。
 よし、と思ったところでお腹が鳴った。そういえば起きてからご飯食べてない。
 冷蔵庫を開けると、賞味期限はまだまだ先の卵とハム。レタスにトマトと、牛乳に豚さんのひき肉が少しある。
 お肉か……明日加奈子たちと会ったらご飯食べるよね。賞味期限は昨日。いくら真冬だからって明後日に食べるのは気が引けた。お米は炊いてないけど八枚切りの食パンが二枚残ってる。
 こういう条件なら、ホットサンドかな。
 パンをトースターに入れて、焼いてる間に塩とこしょうでお肉を炒めた。みじん切りのタマネギがあればもっといいけど、そこまで手間を掛けてる時間はないから、お肉だけ。
 焼けたお肉を一旦フライパンから出して、卵に牛乳を入れて溶いて、そこにお肉も入れちゃう。それでフライパンで卵を焼くと、形は不格好だけどオムレツが出来る。牛乳を入れると卵がフワフワに焼けるのよね。
 焼けたパンにはマーガリンを塗って、洗って大きめにちぎったレタスをその上に置いて、今作ったお肉のオムレツを小さくきってパンに挟むようにしたら、出来上がり。
 温かいミルクティーを淹れて、プチトマトをお皿に盛って、ささやかな朝昼兼用のご飯を食べた。
 昨日のクリスさんのご飯、美味しかったなぁ。篠宮さん、いつもあの美味しいご飯食べてるんだよね。外部の人のご飯は食べないって言ってたから、あたしがご飯を作る機会はないかな。
 ホッとしたというか残念というか……。
 ダメダメ! 静かな部屋で食べてるから、変なこと考えちゃうんだ。テレビでも付ければ少しは違うかも。
 スイッチを入れると、ちょうどお昼のバラエティ番組のチャンネルで、そんな番組は滅多に見ないから何だか新鮮。土曜日だからか、映画の紹介なんかもしてる。
 篠宮さんと映画見るなんてことは、ないんだろうなぁ。凄い立場の人だもん、普通のデートとかは無理だよね……。
 ダメだぁ、なんか何しても色々考えちゃう。篠宮さんの事情は分かるけど、でもちょっぴり寂しい。
「ああもう! 考えてもしょうがないことは考えないの!」
 自分にそう言い聞かせて、食べた食器を片付けた。
 
 

**********

 
 
 駅前のデパートに寄って買い物をして、それから電車に揺られて一時間、懐かしの我が家に帰ってきた。
 住宅街の中にある一戸二階建て築15年のお家。お父さんが頑張って前金とローンで去年完済しちゃった。お陰で貯金は底をついたとお母さんは嘆いていたけど、もう借金はないからこれから地道に貯金していくんだって、お父さんは張り切ってる。今のところリストラされたって話も聞かないから、多分大丈夫だと思う。
 呼び鈴を鳴らすっていうのも何だか他人行儀な気がしたから、自分で持ってる鍵を使って玄関に入った。
「ただいま〜!」
 すぐに廊下の奥からお母さんが出て来た。
「おかえりなさい、響子。随分遅かったのね」
「あはは……うん、起きたのお昼近くだったの」
「疲れてるんじゃないの? 無理して帰って来ることないのよ」
「うんでも、ちょっと用もあったから」
 お母さんたちにはお給料が出たこととか、プレゼント買ったことはまだ言ってないから、心配させちゃったみたい。
「でも、よく帰って来たわね。今夜はすき焼よ」
「やった!」
 家でしか食べられないから、あたしが帰る時は夕食は大抵これにしてくれる。
「お父さんは?」
「居間でテレビを見てるわ。響子に会えるの楽しみにしてるわよ。あら、その紙袋は何?」
 ぎゃっ! お母さん目ざといよ!
「えっと、ちょっと荷物。あ、自分で持ってくからいいよ」
 お母さんが持とうとするから、慌てて袋を抱えて靴を脱いだ。夕食の時に渡すんだから、今知られちゃったらサプライズにならなくなっちゃう。
 先ずはこれをあたしの部屋に避難させなきゃ。
「荷物、置いてくるね」
 玄関から逃げるように2階に上がってきちゃった。絶対おかしく思われてるよね……。うう、まぁいいや。こんなあたしは今更だろうし。
 大学生になった年から一人暮らしをさせてもらってるけど、あたしの部屋はいつでもあたしの部屋だった。加奈子は、前に久々に家に帰ったら物が置かれてたって嘆いていたから、これはお母さんに感謝かな。掃除もしてあるみたい。凄いなぁウチのお母さん。主婦の鏡?
「ふぅ」
 プレゼントの入った紙袋とお泊りセットの入った鞄をフローリングの床に置いて、ベッドに腰掛けた。
 一昨日は会社の飲み会で新谷さんに告白されてキスされて、マスターのお店に飛び込んで篁さんと碧さんが恋人同士と知って、昨日は篠宮さんが世界一の財閥の総帥と知って、その篠宮さんとお……大人の関係になっちゃって、今日は実家に帰って来て。
 なんか怒濤の3日間だった。
 あたしもうバージンじゃないんだよね。こういうのお母さんには話した方がいいのかなぁ?
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