Act.5  熱情の抱擁 ...10

 ウロウロしながら悩んでいたら、寝室へのドアがバンバンッと叩かれた。
「響子様、大丈夫ですか? のぼせていませんか?」
 ひぇっ、この声、クリスさんだ。
「だだ大丈夫です!」
 うわぁん、出なきゃマズいよね! グズグズしてたら、ドアを蹴破りそうな叩き方だったもん。
 しょうがない、はあ……と息を吐いて、ドアを開けた。篠宮さんでなくても、バスローブ姿ってやっぱり恥かしい。
「ああ…… のぼせてしまわれたかと、心配しました」
 ホッと胸を撫で下ろしたクリスさんは、本当に安堵した様子で、なんか悪いことしちゃったような気がした。
「すみません、あの……あたしの着替えは……」
 心細い胸の辺りを両腕で抱くようにして、クリスさんにお伺いをたててみる。
「ただいま、こちらに」
 さっと動いて、クリスさんはクロゼットらしき扉を開けて、あたしのスーツを出して来てくれた。
「それから、こちらをどうぞ」
 差し出されたのは、薄いブルーの上品そうなビニール製の巾着袋。受け取って中身を見て、思わず袋を落としそうになった。
 中に入っていたのは、あたしが着て来たのとは違う、でもレースの薄い下着。
「あ、あの……これ……」
「マギーが用意しました、新しい下着です。新品ですよ」
「あ、あの。でも、あたしの下着は……」
「それは、今洗濯して乾燥機にかけております。あ、触ったのはマギーですので、ご安心を。私やレオンは一切手を触れておりませんから」
 洗濯……してくれたんだ。たとえ触ったのがマギーさんでも、やっぱりちょっと恥かしい。
「あ、ありがとうございます」
 それでもお礼は言って、スーツも受け取って、篠宮さんの姿がないのに気付いた。
「あの……篠宮さんは?」
「それは……」
 クリスさんの顔は、言うか言わないか迷ってるみたいだった。
「クリスさん?」
「実は、愁介様は熱がぶり返しまして」
「え!?」
「あ、高熱ではありません。養生しろという医者の忠告を聞かなかった愁介様の責任ですので、響子様はどうかお気になさらず」
 そうは言われても……あたしと、その……しちゃったのが原因よね?
「着替えられましたら、ご自宅までお送りしますので、お声を掛けて下さい」
「あ……」
 そう言うと、クリスさんはお辞儀して出て行っちゃった。
 篠宮さんの様子は気になるけど、バスローブのままで出る勇気はあたしにはない。開いていたドアを閉めて、脱衣所で着替えた。マギーさん、下着のサイズぴったりですけど、はくには勇気のいるデザインです。加奈子が買ってくれたのよりも、もっと大胆なカットが入ってたりするんだもん。外国の女の人って、こういうのいつもはいてる訳!?
 それでも着ない訳にはいかないから、頑張ってはきました!
 スーツに着替えてから寝室に出てベッドの傍に行くと、篠宮さんが寝ているのが見えた。特に苦しそうな表情はしてなくて、ちょっと疲れて眠っている、そんな風にしか見えない。
 床に膝を付いて、篠宮さんの顔を覗いた。
 睫毛長いなぁ。布団から覗く襟元には服が見える。ちゃんとパジャマ着たんだ。
 ベッドの脇のサイドボードに、デジタル時計が置いてある。まだ夕方の4時。時間はまだあるし、お父さんとお母さんへのプレゼントは、明日家に帰る時に買って行けばいいよね。
 篠宮さん、よく眠ってるなぁ。お薬飲んだのかな。
 熱ってどのくらいあるんだろ。起こさないように注意して、そっと右手の平を篠宮さんの額に乗せてみた。うわぁ、髪がサラサラしてる。もしかしてシャワー浴びたの?
 ちょっと熱いけど、酷い熱はないみたい。ホッとしたところで、部屋のドアがノックされた。
「響子様、車の用意が出来ました」
 クリスさんだ。あたしは床に座ったまま、近付いてくるクリスさんを見た。
「響子様?」
「まだ夕方ですし、もう少し篠宮さんの傍にいてもいいですか?」
 あたしの申し出に、クリスさんはちょっと目を丸くして、それからニコッと笑った。
「構いませんよ。ですが、今までの響子様には見られなかった行動ですね。急にどうされました?」
 う……言われてみれば確かに。でも……
「あの、傍にいたいなって思って。……ほ、ほら、病気の時って心細くて、誰かに傍にいてほしいって思うじゃないですか。その……篠宮さんはいらないって言うかもしれませんけど……」
「そんなことはありませんよ。響子様がいらっしゃれば、愁介様も喜びましょう」
「それならいいんですけど……」
 なんか、ホントにあたしらしくない言動かも。でも、何となく自然にそう思ったんだもん。
「椅子をご用意しましょうか」
 あたしのすぐ傍に来たクリスさんが、ひざまずいてそう言ってくれた。
「ありがとうございます。でも、このままでも十分なので。その……この方が篠宮さんに近いですし」
 言ってて自分の顔が赤くなるのを感じた。でももう取り消せないし。
 横でクスッと笑う声が聞こえた。
「ほんの数時間で本当に変わられましたね。どうされたのですか?」
「え…… あ、自分でもよく分かりません。ただ、何と言うか……ちょっとかいほうされたような気がします。何から、とはよく言えないんですけど……」
 篠宮さんに抱かれている時に「もっと自分をさらけ出してみろ」とは言われたけど……それで感化されちゃったとか? でもそれじゃ、あんまりにもお手軽過ぎる気がする。
「そこまで吹っ切れられたのでしたら、愁介様を名前で呼んでみては如何ですか?」
「…………え!?」
 へ、変なこと言わないで下さい!クリスさん!! 顔が……真っ赤に……。
「愁介様もお喜びになられますよ」
 う……それは目に見える様だけど、あたしの方がもたない!
「すぐに、とは申しませんが、名前で呼んで差し上げるとよろしいですよ」
「あ……はい」
 うわぁ、名前……しゅーすけさんて? うぎゃっ! 心の中で呼んだだけで、心臓バクバク!
「あまり無理はなさらず、自然に言えるようになればいいんですよ」
 クスクス笑いながら言って、クリスさんは寝室を出て行った。
 名前かぁ……あ、でも本当に「愁介さん」て読んだら、篠宮さんどんな顔をするんだろう?
 
 

**********

 
 
 いつの間にかウトウトしちゃって、気が付いたらベッドに両腕を乗せて枕代わりに寝ちゃってた。
 乾かしたままの髪がわしゃわしゃされる感触がして、パチッと目が醒める。
「う……ん……あれ?」
「起きたか響子」
 まだぼんやりしている頭を上げると、横になった篠宮さんがあたしの髪を左手で撫でていた。
「あ……すみません。あたし寝ちゃって!」
 ひゃ〜! 篠宮さんの顔が目の前に! さっき抱かれた時に散々目の前に見ていたとはいえ、いきなりは心臓に悪いよ!
 体を起こそうとしたら、腕がしびれていてちょっと痛い。あたしどんだけ寝てたんだろ。ううっ、足もしびれてるぅ!!
 腕と足を押さえて悶絶していると、篠宮さんの怪訝な声が聞こえてきた。
「どうかしたか? 響子」
「いえ、あの……あ、足がしびれて……」
「くっくっくっ」
 また笑われた。篠宮さん、酷い! ちょっと泣きたくなる。
 少しの間じっとしていたら、ようやく体が起こせた。
「しびれは治ったか?」
 笑いながら訊かないで下さい。
「何とか、治りました!」
 勢いで膝立ちになったら、あたしの体に掛かっていたらしい何かがスルリと落ちた。ふぁさっと足元に落ちたそれが、ふわふわのブランケットのような物だった。手触りが凄くいい。クリスさんが掛けてくれたのかな。
 膝立ちだから、篠宮さんより目線が上。こんなこと、滅多にないよ。なんだか新鮮な眺め。
「篠宮さん、熱はどうですか?」
「たいしたことねぇ。あいつらが騒ぎ過ぎなんだ」
 そうは言っても、篠宮さん起き上がってないのは、もしかしてつらいんじゃ?
「響子は何故帰らなかった? クリスが送るって言わなかったか?」
「え……さ、さっきの聞いてたんですか!?」
 あの時の篠宮さんは眠ってるように見えたのに。
「いつの話だ?」
 眉をひそめる篠宮さんは、本当に分からないみたい。聞いてなかったんならいいんだけど。凄く恥かしいこと言っちゃったから……。
「あ……ははっ、いいんです。忘れて下さい」
 手の平を横にブンブン振って、笑ってごまかした。ごまかされてくれたのかどうか分からないけど、篠宮さんはそれについては言及して来なかった。代わりにゆっくり体を起こして「水」と一言。
 あたしはキョロキョロ周囲を見回すと、ちょっと離れたところにあるサイドテーブルの上に、スポーツドリンクのペットボトルとコップが置いてあった。
 きっとクリスさんだ。キャップを開けてコップに注いでいると、すぐそばにメモが置いてあった。
 篠宮さんが目を覚ましたら着替えさせて下さい、だって。
 着替え? 周りをもう一度見てみたら、窓際のソファに服がたたまれてあった。コップを篠宮さんに渡してから、着替えを取って来た。タオルも一緒にある。
「篠宮さん、汗かきましたよね。着替えありますから」
 一息にスポーツドリンクを飲み干した篠宮さんは、パジャマの替えを抱えたあたしを見て、何故か意地悪そうに笑った。
「お前が着替えさせてくれんのか?」
「……はい?」
 え……今のどういうこと?
 ちょっとの間頭の中が真っ白になって、それから篠宮さんの言った意味が分かった。
「なななな何を言って……るんですか」
 顔が! 顔が真っ赤になるのが分かる! 落ち着いてよ、あたし!
「くっくっ冗談だ。今の響子にそこまで期待しちゃいねぇよ」
「もう! 冗談なんて止めて下さい!」
 怒鳴ったつもりなのに、心臓がドキドキしてるから声がうわずっちゃった。コップと着替えを交換して、篠宮さんに背中を向けた。
「あたしこっち向いてますから、着替えて下さい。あ、タオルも使って下さいね」
 床に座ってじっとしていたら、後ろでゴソゴソする音が聞こえた。小さく笑い声も聞こえて、何となくムッとした。
 たまにすごく意地悪な時があるの、なんで? 好きな人にからかわれるって、ちょっと傷付くのに……。
 そういえば今何時だろ?
 左手首にはめた腕時計を見てギョッとした。8時!? あたし4時間も寝てたの!? 足がしびれる訳だわ。
「響子、メシ食ってくだろ」
「うひゃ!」
 着替えた篠宮さんに、いきなり後ろから抱き締められて、また変な声が出ちゃった。
「相変わらず色っぽくねぇ声だな。さっきのはセックス限定か?」
「だ、だっていきなりなんですもん! やんっ」
「こういうことすると、いい声出るのにな」
 ひぇ〜、胸! 胸! 揉まれてるぅ!
「し、篠宮さん! また熱出ちゃいますよ!」
「さっきは調子に乗り過ぎた」
 とか言いつつ、止めてくれない。
「やっ! へ、変な気分になっちゃうので、やめ……んっ」
 キス! キスされてるんですけどぉ! 顔を横に持っていかれて、首も痛いです。
 すぐに解放してくれたけど、おかげで体が熱くなっちゃった。
「どうせだから泊まってくか?」
「どうせって何ですか!?」
「もう夜だしな。今からメシ食って帰ったら、10時回っちまうぞ」
「それで全然構いません!」
 このまま流されて泊まりにでもなったら、篠宮さんまた絶対に……。オフは今日だけって言ってたし、オフでもあんな風にお仕事が入るんだから、明日までちゃんとお休みしなきゃ! でないと、篠宮さんまた熱が出ちゃう!
 ……って必死になって訴えたら、渋々やめてくれた。
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