Act.5  熱情の抱擁 ...7

 と、とりあえず後のことは忘れて、今はご飯を食べよう! そう決意して、「いただきます」と合掌した。
 クリスさんが作ったお料理。煮物が多いのは、篠宮さんの体調を考えてかな? 幸いあたしの嫌いなものは一つもなくて、食べると決めたらどんどんお箸が進んでいった。

 
 

 クリスさんて、お料理上手!
 カボチャの煮物はホクホクしてて水っぽくないし、里芋の煮っ転がしは何だか田舎の味って感じだし、サバの味噌煮なんかお店で食べてるみたい!
 凄いなぁ……。もしいつか、篠宮さんにお料理を振舞うことになったりしたら、比べられちゃうのかなぁ。……ちょっと、ちょっとだけお料理の勉強した方がいいかも……。
 なんて、あたしらしくないことを考えて、向かいでブツブツ呟きながら、モリモリ食べてる篠宮さんを見た。お粥だったのがよっぽど頭にきているみたい。でも39度の熱を出したと思えないくらい、凄い食欲。しかも早い。
 あたしはまだ半分くらいしか食べてないのに、篠宮さんの前にある器は、ほとんど空になってた。
「箸が止まってるぞ」
 ギョッ!?
 別にジッと見ていた訳じゃないのに、急にそう声を掛けられて、ビックリした。篠宮さん、あたしのこと見てないように見えたのに。
「な、なんで分かるんですか?」
「手が動いてるかどうかくらい、面と向かわなくても分かる」
 そ、そうなんだ……。やっぱり凄い人なんだなぁ。
「ボケッと見てる暇があったら、箸と口を動かせよ。時間てのは貴重だぞ」
「あ……はい」
 言われて、まだ手を付けてなかった肉じゃがにお箸を伸ばした。
 おじゃががポクポクしていて、お肉のダシが出ていて美味しい。ちょっと味付けが濃く感じるけど、ご飯と一緒に食べるとちょうどよくて、ご飯も美味しく食べられる。
 篠宮さんのよりおかずの量が少なめとはいっても、あたしにはちょっと多いと思っていたのに、結局全部食べてしまった。
 食後のお茶まで出してくれて、何か至れり尽くせりって感じ。

 
 

「ところで、仕事はどうだ?」
 器までクリスさんが綺麗に片付けてくれて、それから「食後に」って淹れてくれたお茶を、篠宮さんと飲んでいたら、唐突にそんなことを訊かれた。
「え……どうって、何がですか?」
「洸史だよ。あいつの秘書やってんだろ、どうなんだ?」
 どうなんだって訊かれても……。あたしはちょっと考えてからお茶を一口飲んだ。
「何て言うか、篁さんの秘書というより、会社の秘書って感じです。篁さんに直接関係のあるお仕事は、清水さんと支倉さんがやってますから」
 あたしたち研修組みには、「これぞ秘書」っていう仕事はまだ回ってこなくて、今はとにかく会社の業務を色々勉強しているような状態。その中で、あたしたち新人はそれぞれの得意分野に配置されているみたい。
 篠宮さんは、クリスさんが持ってきた煙草に火を点けて、ふーっと煙を吐き出した。そういえば、煙草を吸うところ今日は初めて見た。やっぱり煙草を吸ってる篠宮さんが見慣れているし、何だかちょっとカッコよく見える。
 煙草を咥えた篠宮さんは、腕を組んでちょっと考えるような仕草をした。
「清水……碧の恋敵だな」
「んっ……ゴホッ」
 篠宮さんの呟きがあんまりにも予想外で、何気なくお茶を飲もうとして、思わずゴックリ飲んじゃった。ちょっとだけ気管に入っちゃったのか、噎せてしまった。
「どうした?」
 どうした? じゃないです!
「あの……清水さんが篁さんを好きだって、篠宮さん知ってるんですか!?」
 ……って、あたしもちゃんと確かめてはいないから、そう決め付けている訳じゃないけれど。
 あたし変なこと訊いたのかな……。篠宮さん、あたしのことマジマジと見てる。そ、そんなに見られたら、顔に穴が空きそうです! というか、視線が合わせられません。
「あの……篠宮さん?」
「ん、ああ悪い。相変わらずよく見てると思ってな」
 咥え煙草で前髪をかき上げるって、すっごいカッコイイ仕草! セットしていないと髪がすごいサラサラなのね。篠宮さんの素の顔がモロに見えちゃって、思わず「ほえ」っと見惚れちゃった。
 何だか表情が楽しそうに見えるけど、気のせいだよね。
 篠宮さんの足を組んだ膝の頭が、テーブルからちょっと出てる。足、長いんだなぁ。
 そんなことを思っていたら、今度ははっきりと楽しげな声が聞こえた。
「それだけ周りが見えていて、自分のことはまるっきり見えてねぇんだから、お前も変わってるよな」
「そ、そうですか?」
 変わってるなんて、初めて言われたかも。何となく恥ずかしくなって、下を向いた。
「あの状況は、洸史が悪いんだが」
「え……篁さんが?」
「さっさと碧と婚約宣言でもしちまえばいいのに、未だに渋ってんだよな、あの野郎」
 そういえば、まだ会社の人には内緒だって言ってたっけ。清水さんは、碧さんのこと知ってるのかな……。知ってるよね、篁さんと毎日会社で顔を合わせてるんだもん。お仕事、つらくないのかな……。
 でも、なんで篁さんは碧さんとのこと、はっきり言わないんだろう? 篠宮さんは、その事情を知ってそうだけど、あたしが訊く前に篠宮さんが話題を変えてしまった。
「ふん、まあ洸史のことはいい。話が逸れたな。どうだ、少しは会社に慣れたか?」
 う……そう訊かれて「慣れました」とは、とても言えない。実際、まだまだよく分かってないこともたくさんあるし。篁さんはあたしのこと、篠宮さんにどこまで話してるんだろ? 篁さんの前でうつむいちゃいけない、ってことまで知ってたらどうしよう!?
 頭の中でそんなことをグルグル考えながら、色々言葉を探した。結局言えたのは、こんなことだった。
「あ…… えっと、まだまだ全然っていうか、何とかっていうか、そんな感じです。あ、昨日お給料頂きました。まさかもらえるなんて思ってませんでしたから、ビックリしました」
 正直に言ったら、篠宮さんはおかしそうに笑った。
「くっくっ、何だよそりゃ。タダ働きさせる訳ねぇだろ」
「でも研修ですし、勉強しているような身なのに、お金を頂いてしまうなんて……」
「そう思ってんなら、4月までに一人前になってみろよ」
「…………」
 一瞬頭の中が真っ白になった。
「し、4月までに……ですか? む」
「無理かどうか、やってみなけりゃ分かんねぇだろ」
 あたしは「無茶です」って言おうとしたんだけど……。でも、篠宮さんにはどっちの単語も一緒かも。
 篠宮さんはとっても真顔で、からかってる感じはしない。本気で言ってるんだ。
「伊達に金払ってんじゃねぇんだ。お前がその気になりゃ、出来んだろ」
「で、でも」
「会社の秘書でなく、洸史の秘書になってみせろよ」
「…………」
 篠宮さんは自信たっぷりに言ってくれるけど、あたしにはやっぱりまだそんな自分が信じられない。
 何とも返事を返せなくて残ったお茶を飲み干していると、さっきあたしたちが入って来た時に使ったドアがノックされた。
「お休み中失礼します、愁介様。しばしよろしいですか?」
 入って来たのは、白人でプラチナブロンドの髪の男の人。確かレオンさんだっけ。
 篠宮さんはあからさまに舌打ちして、ドアのところで待ってるレオンさんを、あのチョー怖い視線で睨み付けた。
「ダメっつっても、聞きゃしねぇだろ。オフだと知ってて来るんだ、それなりの内容だろうな」
「そうおっしゃって頂けると、こちらとしても助かりますよ。私が言っても聞かない相手もいますから」
 そう言って苦笑しながらツカツカ歩み寄って来たレオンさんは、数枚の紙を篠宮さんに渡した。
「先刻、オーストラリア支部よりメールで届きました」
 しかめっ面で受け取った篠宮さんの目が、文章を追って流れていく。
 あたしは篠宮さんの隣に立つレオンさんに、視線が釘付けになった。北欧の人って、ホントに肌が白いんだ。クリスさんより透明感がある感じ。
 瞳も綺麗な蒼で、アイスブルーの瞳ってこういうのを言うんだろうなぁ。そんなことを思いつつレオンさんを見ていたら、レオンさんもあたしを見てきたから、ドキッとした。
 思わず下を向いたあたしの耳に、篠宮さんの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「響子、レオンに見惚れてんじゃねぇ」
「み、み、見惚れてなんかいません。北欧の人って初めて見るので、それで……」
 本当のことを言ってるだけなのに、何故か悪いことをしているような、そんな気分になっちゃった。なんで!?
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