Act.5  熱情の抱擁 ...6

 いそいそとベッドから降りると、顔がメチャクチャ火照ってるのが分かった。両手でホッペタ触ると、ホントに熱い。いっぱい深呼吸して気持ちを落ち着けてから篠宮さんを見ようと振り向いたら、「きゃっ」と声が出ちゃって、慌てて顔を元に戻した。
「なんだ? 響子」
「な、なんでパジャマ脱いでるんですか!?」
 縮こまって目を瞑って、そんな気はなかったけど、思わず怒鳴るように訊いてしまった。
 後ろからは、怪訝そうな篠宮さんの声。
「メシ食うのに、普通は着替えるだろ」
「で、でも、外に出るんじゃないですよね?」
「出たいのはやまやまだがな、クリスやレオンが怒髪天で怒りまくるんで、今日は大人しくしていることにする。それに、パジャマでメシ食うって変じゃねぇか」
 そうなんだ……。あたしなんて、一人暮らしを始めてからお休みの日はパジャマで一日過ごしたこともあるのに……。なんだかちょっと自己嫌悪。
 思わず出た溜め息に、着替えてた篠宮さんがあたしを覗き込んできた。
 深い青色のシャツに、黒いズボンをはいてて……でも、シャツの襟元から鎖骨とか見えて、慌てて下を向いた。
「どうした?」
「な、何でもありません!」
 何を考えてたかなんて、あたしじゃ絶対分かっちゃうだろうけど、でも、あんなみっともないことは、知られたくない。
 顔を背けながら立ち上がったあたしを、背後から篠宮さんが笑った。もう……そのうち絶対、笑われないようにするんだもん!
 ムッとしてたら、篠宮さんに頭をポンポン撫でられた。
「あたし、子供じゃありません」
 ムクれて言うなんて、それこそ子供みたい。
「ふん、その内、嫌でも大人扱いされるようになるんだ。子供扱いされてる内が、華だぜ」
 そんなものなの?
 あたしの目を見て、篠宮はまた軽く笑った。「ついて来い」と言われて後ろを付いて行くと、さっきは鍵の掛かっていたドアを抜けた。
「え……あっ」
「なんだ?」
「う!? い、いえ」
 さっきは閉じ込められちゃったのに、なんで篠宮さんだと開くんだろう? でも、なんて訊こうか考えてる内に、篠宮さんはさっさと行っちゃう。慌てて後を追ったら、別の部屋に案内された。
 窓が全面ガラス張りで、冬なのに部屋の中に燦々と陽が差して、ポカポカしてる。それに眺めも凄い!
 思わずフラフラと窓際に行っちゃった。
 秘書室があるのは50階。今までゆっくり外なんか眺めたことなかった。
 こんなに、高いんだ……。
 同じくらいの高さの建物なんて、片手で数えるくらいしかない。自分の会社の大きさを改めて実感して、ちょっと怖くなる。
「眺めは最高だろ」
 頭上から篠宮さんの声がしたと思ったら、顔の両側から腕が伸びて来て、窓ガラスに両手を付いた。
 ビックリして、でも声を上げる暇もなく、背中に感じる熱。う、うわぁ、また篠宮さんと密着しちゃってる。心臓が……。
「え? 眺め『は』ですか?」
 普通、眺め『も』とか『が』最高って言うと思うけど……。
 そうしたら、篠宮さんが声を忍ばせて笑った。くぐもった音であたしの背中にも、それが伝わった。ひぇ〜、ま、また顔が火照るっ。
「洸史が、ボケてるようで見るべきところはしっかり見てる、っつってたが、本当だな」
「はい?」
「目敏く耳聡いが、やっぱまだ自覚と経験値が足りねぇか」
「はあ……?」
 言われてることは全然理解出来ないけど、篠宮さん何だか嬉しそう?
「さっさと食おうぜ。朝は粥しか食わせちゃくれなかったんで、腹減ってんだよ」
 かゆ?  ……あ、お粥のこと。
「でも篠宮さん、熱が39度8分もあったら、お粥以外は体が受け付けないんじゃないですか?」
「俺にはそんなもん関係ねぇ」
 ドきっぱり言って、篠宮さんが離れていく。ホッとしつつその背中を追って行ったら、その先には10人くらい座れそうな大きなテーブルがあった。
 すごっ! もしかしてこのテーブルで篠宮さんと二人でお食事するの!?
 きっと物凄いメニューが出て来るんだ……と思っていたら、テーブルには既にお料理が出ていて、それは想像してたのと違ってた。
 カボチャの煮物に煮魚、肉じゃがに里芋の煮っ転がし……。
 でっかいテーブルにこじんまりと、普通の家庭的なご飯が二人分そこに揃ってた。
「どうした、早く座れよ」
 向こう側に座った篠宮さんに声を掛けられた。
「あ……えと、はい」
 何となく気が引けて、キョロキョロ左右を見てから篠宮さんの向かいの席に座った。
 ちょうどその時、あたしたちが入ってきたのとは反対側のドアから、クリスさんがお盆を持って入って来た。ホカホカに湯気が立つ、お味噌汁と白いご飯が、それに乗っかってる。
 袖をまくった白いシャツにネクタイを締めた姿で黒いエプロンを着けてるのが、凄いかっこよくて、思わず口を開けて見ちゃった。
「響子、クリスに見とれてんじゃねぇ」
「み、見とれてないです!」
「嘘つけ、視線が釘付けだったぞ」
「ムゥ……だって男の人のエプロン姿って初めて見たんですもん」
 里佳がよく「いい男が黒いエプロンを着けた姿ってカッコイイわよ」って言ってたけど、実際に見たらそれがよく分かった。
 でも、クリスさん以上にかっこよくても、篠宮さんにエプロンは似合わないと思う。っていうか、笑っちゃいそう。やっぱり会長とか総帥とかやってる人だからなのかな……。
「響子様のお口に合えばよろしいのですが」
 そう言いながら、クリスさんがあたしの前にご飯とお味噌汁を置いていく。何だかその言い方って……。
「もしかして、クリスさんがお料理したんですか?」
「はい。お恥ずかしながら、愁介様の身の回りのことは全て任せて頂いております」
 え……あ、なんて言うんだっけ、こういうの。里佳が前に教えてくれた……
「クリスさん、執事なんですか?」
「はい、愁介様専属としてエインズワースに雇われております。正式な執事という訳ではないのですが……」
「え、どうしてですか?」
「執事の資格を持っている訳ではありませんので」
「執事も資格ってあるんですか!?」
「ケースバイケースだ」
 思わず大きな声で訊いちゃったあたしに答えてくれたのは、篠宮さんだった。
「それこそ、どこぞの王室だの貴族だの財閥だのってところならプロのバトラーがいるが、俺はそんなのいらねぇからな」
 篠宮さんも凄い財閥の総帥なのに、何だか他人事みたい……。
「はあ……えっと、じゃあクリスさんは……」
「説明がややこしいので、便宜上執事としていますが、まあ……やっていることは執事ですね」
 ちょっとだけ言い淀んでから、クリスさんはそう結んだ。執事さんて、イメージは分かるけど、篠宮さんの身の回りのことって、こういうことも入るの?
「執事さんて、ご飯を作ったりもするんですか?」
「それもまた、ケースバイケースですね。個人専属になるとそこまでする者もいますが、愁介様の場合は外部のシェフに頼むと毒殺の危険が増しますから。諸々手続きなどを素っ飛ばすのには、私が作るのが手っ取り早いのです」
 その説明を聞いて、思わず口を開けちゃった。毒殺って……ホントに篠宮さんて、あたしとは違う世界の人なんだ。
 でも、そういう人の食事が、かぼちゃやお芋の煮物に煮魚って、何だか変な感じ。それに、ご飯とお味噌汁、あたしにだけだし。
「あの……」
「おいクリス、なんで俺にはメシがねぇんだ!」
 あたしが訊く前に、篠宮さんが訊いてくれた。テーブルに肘を付いて、篠宮さんがご機嫌斜めな感じで。訊くっていうより、怒るって感じだけど。
 クリスさんは軽く溜め息をついた。
「愁介様のはすぐにまた持ってきます」
 そう言って部屋を出て行ったら、ホントにすぐに入って来た。お盆の上には、蓋をした土鍋。それを見た途端、篠宮さんの顔がげんなりする。なんで? と思っていたら……
「また粥かよ」
「ですから、愁介様のリクエストに応えて、ちゃんとおかずを用意したじゃないですか。これで白米なんて食べたら、胃が重くなりますよ。今日一日は、我慢して下さい」
 ムッとしてる篠宮さんがおかしくて、つい吹き出しちゃった。
「響子、後で可愛がってやるからな」
「え? 何ですか? それ」
 意味が分からなくて首を傾げたら、クリスさんから「響子様は分からなくていいです」って言われちゃった。篠宮さんは更にご機嫌斜めって感じだし。
 えと、もしかして悪いこと言っちゃったのかな……。
 だんだん不安になってきたら、クリスさんがすぐ傍に来て「響子様はどうぞお気になさらず。愁介様が勝手に機嫌を悪くしているだけですから」って耳元で言ってくれた。
「愁介様は非常に難しい人間なんです」
 ニコッと笑ったクリスさんの顔に、慇懃無礼って言葉が思い浮かんだのは、あたしの気のせいよね。
「では、ごゆっくりどうぞ」
「あ、ありがとうございました」
 お昼ご飯を用意してもらったお礼を言ったら、クリスさんがニコッと笑った。凄く嬉しそうに。そして、深々と頭を下げて部屋を出て行った。
 残ったのは、あたしと篠宮さんだけ。
 篠宮さんと向かい合ってご飯なんて、碧さんに言われて行った夜のデ、デート以来だわ!
 あの時ほど緊張はしてないけど、別の意味で心臓はバクバクしてる。周りに誰もいない状態で、篠宮さんと二人っきりでご飯だなんて……。
 篠宮さんを見ると、もうお粥を食べ始めてる。湯気が立ってるけど、熱いのとか全然気にしてなさそう。
「くそっ、食べた気がしねぇ」
 熱いお粥を豪快に食べていて言う言葉じゃないと思いますけど……。でも、後が怖いから言えない。さっきの「可愛がってやる」ってなんなのー!? 気になってお箸が進まないよぉ!
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