Act.5  熱情の抱擁 ...5

 あれからどれくらい時間が経ったんだろ? 慣れって怖ろしい。あんなにドキドキしていた心臓が、今はもう落ち着いてる。
 あたしはずっと篠宮さんに背中から抱き込まれていて、篠宮さんは疲れたのか、そのまま寝ちゃったみたい。静かな寝息がうなじに掛かる。
「篠宮さん?」
「…… んっ」
 声を掛けてみたけど、短い吐息みたいな声が返ってくるだけで、起きる気配がなさそう。
 こ、この状況、どうしよう……。篠宮さん背中に何も掛けてないよね。ベッドの上で、あたしたちの下にはめくれた羽根布団があるんだもの。このままじゃ、篠宮さんまた熱が上がっちゃう。
 先ずは篠宮さんをお布団に入れないと!
 とりあえず、あたしのお腹にがっちり回っている篠宮さんの腕をはがそうとした。でも、全然ビクともしない。うう、男の人ってこんなに力が強いの!?
「う、……うん……う、動かないぃ……ひゃああっ!」
 抱き込まれたまま、うんうん唸ってモゾモゾしていたら、耳たぶに湿った感触が!
「し、篠宮さん!? 何するんですかぁ」
「お前が俺の腕を外そうとするからだ。んなことされたら、起きるに決まってんだろ」
 うわぁーん、チョー不機嫌な篠宮さんの声。
「で、でも、お布団に入らないと、また熱が上がっちゃいますよ?」
「お前で十分温い」
「でも背中、寒くないですか?」
「…………」
 だ、黙っちゃった。もしかして寒いのかな。
「あ、あの……お布団掛けた方がいいと思うんですけど……」
「ちっ、分かった。そのままでいろよ」
「え? やっ!」
 今まで以上に篠宮さんの腕があたしの体に深く回されて、それで体が少し持ち上げられた。なんでこんなことを!? と思っている間に、篠宮さんはお布団を引っ張り上げたみたいで、すぐに体に何かが被さった。
 フカフカですごい軽い。本当の羽根布団て、全然重さがないんだ。
「え……あの、あたしは」
「お前も一緒にいろ」
 い、いろって……。
「色々訊かなきゃならねぇことも、あるしな」
「え……」
「忘れた、なんて言わせねぇぞ。昨日言ってた、告白されてキスされたって話しだ!」
 うわぁーん、すっかり忘れてた! しかも、篠宮さんの声が、微妙に低くて怖いんですけど!!
 背中が十分に密着してるのに、更に強く抱き込まれた。そして、耳元での囁き。
「で、誰にキスされた?」
「やっ!」
 耳の中に息を吹き込まれたような感じがして、背筋がゾクッとして思わず声が出ちゃった。
「言えよ、響子」
 ひぃ〜!! こ、声が……息が、篠宮さん、近過ぎますぅ!!
「あ、あの……」
「ん?」
「…………」
 や、やっぱり言えないよぉ。
「ふん、だんまりか。まぁいい」
 うう、篠宮さん、なんでそんなに楽しそうなんですか?
「キスされたのはいつだ?」
「こ、告白されてキスされたんですけど……?」
「ああ、告白はいい」
「い、いいんですか?」
 あっさりそう言われて驚いた。昨日マスターが、告白されたことよりもキスされたことは、言わない方がいいって言ってたけど、そういうことなの?
「お前くらいの見た目じゃ、しょうがねぇだろ」
「…… そ、そうなんですか?」
「お前、まだ自分の容姿を分かってねぇのか」
 うう……そんな呆れた様に言わないで下さい。
「そんなに簡単に、納得出来ないですもん。あ、でも、加奈子には変わったって言われました」
「へぇ? どんなことだ?」
「やっ! あ、あの、息、息が掛かるんですけど!」
「当たり前だ、掛かるように話してんだからな」
 うわ〜ん、なんでそんな意地悪なことを!?
「いいから話せよ。何が変わったって?」
「えっと……あの、このスーツを着ていくように言われた時に、あたしの綺麗さが際立つからって、だからその時に、それって褒め過ぎじゃない? って言ったら、すごく驚かれたんです」
「ふん、なるほどな」
 ひぇ! 手、手! 篠宮さんの右手があたしの胸のところに!
「あ、あの、篠宮さん右手……」
「嫌ならやめる」
 ただ手を置かれただけだし、嫌じゃないけど……。そう言ったら、首筋にチュッとキスされた。
「うひゃっ!」
「響子、お前どうせ上げるなら、もっと色っぽい悲鳴上げろよ」
「だ、だってビックリしたんですもん!」
 心臓に悪いですよ。まだ慣れてないし。……こういうの慣れたら、あたしどうなっちゃうんだろ?
「それで?」
「な、なにがですか?」
「誰にキスされたんだ?」
「……もしかして、言わないとずっとこのままですか?」
「言っても放さねぇから一緒だな」
 ど、どうすればいいのよぉ……。
「いや待て、言わなくていい」
 ホッとした。でもどうして? と思っていたら、楽しそうな声で篠宮さんが言った。
「勝手に推理する」
「!? そ、そんなこと」
「どうせ会社の奴だろ」
「ど、どうしてそれを!?」
「今お前の言葉で分かった」
 もう何も言えないじゃない!
「ってのは冗談で、単純な推理だ。昨日はドイツ側の連中と、ネットで会議をしただろ。それが無事に終わって打ち上げに行って、キスされたのはその帰りだな。だったら社員しかいねぇだろ」
「うう……その通りですぅ」
「さすがに誰かってのは特定出来ねぇな。だが社員か……考えに入ってなかった。俺としたことが、迂闊だったな」
 篠宮さんの声が、何となく落ち込んだ感じに聞こえて、体を捻るようにして後ろを見た。篠宮さんの体も見えなかったけど。
「あの、それってどういうことですか?」
「お前を野放しで会社に行かせるのがどういう結果を招くか、考えてなかった」
「え? あっ!」
 今まで以上にギュッと抱きしめられて、密着した背中が熱い。あたしの吐く息も、耳に掛かる篠宮さんの吐息も、熱がこもっているように感じた。お布団の中にいるからなのかな?
「お前は俺のものだ。誰かに誘われてもホイホイついていくなよ」
「こ、子供じゃありません」
「男ってのは、下心があるから女を誘う。仕事仲間だからって、気を許すんじゃねぇ」
「し、下心って、じゃあ篠宮さんにもあるんですか?」
「…………」
 普通に疑問に思ったから訊いただけなのに、篠宮さんは一瞬絶句してから、また笑い始めた。
「くっくっくっ、やっぱりお前は最高だよ」
「な、なにが最高なんですか! やんっ」
 ひぃ〜! また首筋舐められたぁ! し、しかも何!? 今のあたしの声!! 自分の声じゃないみたい。
「ふん、いい声出せるじゃねぇか。今後が楽しみだな」
「こ、こ、今後って……あっ」
 いきなり体を反転させられて、篠宮さんと向かい合う格好になった。
 うわっ、篠宮さんの息が額に当たる〜。もう、まともに目を開けられません。ギュッと目を閉じていたら、体が仰向けになるのを感じた。思わず目を開けると、あたしの真上に篠宮さんの顔が!
「しの、みやさ……んっ」
 また、キスされた。さっきみたいな、深くて激しいキス。しかも、今度は篠宮さんの腕が背中に回ってきて、篠宮さんの胸が完全密着してる〜!
 う、動くに動けない状態で、篠宮さんの舌があたしの口の中を、くまなく舐め取るようにうごめいてる。
 ど、ど、どうしたらいいの!? この状況!!
 息苦しくなってきたところで唇は解放されたけど、今度は足に篠宮さんの手が! パンツの上から撫で回されてる。嫌な感じはしないけど、スカートじゃなくてよかったって思っちゃった。
 でもこれって、つまりあれよね。その……加奈子が言ってた大人の関係になるっていう……。
 か、考えただけで顔がユデダコになっちゃう。……っていうか、もう頭の中もゆだってる感じ。他のことなんか考えられないもん。
「し、篠宮さ……んっ」
 また首のところを舐められた。もう体中が熱い。
 これ篠宮さんの肩かなぁ? ぼやけた視界にパジャマ越しに天井が見える。
 ずっと抱きすくめられていて、篠宮さんの胸の中で折り曲げてた腕が痛くなってきた。何となく自然に、視界の端に見える大きな背中に腕を回したら、おもむろに篠宮さんが顔を上げた。
「篠宮さん?」
「響子、お前意外と大胆だな」
「は?」
 言われてることがよく分からなくて、仰向けになったままボーっと見ていたら、篠宮さんが再びあたしにキスしてきた。今度のは、ちょっと触るくらいの軽いキス。
「あんまり男を煽るなよ」
「え? 煽るって……」
「俺も仕掛けておいて何だが、ありゃお前、いつでも受け入れますって意味に取るぞ」
「え……」
 それってそれって! お、大人の関係?
「俺はいつでもいいぜ」
 篠宮さんがそう言って不敵に笑うから、顔から火が出ちゃった。
「き、き、今日はしんどいって言ってませんでしたか!?」
「ああ、だが響子が望むなら、やってやるぞ」
「や、や、や、やってって……き、今日はだって、篠宮さん熱が下がったばかりで、ま、また熱出ちゃったら大変です!!」
 加奈子の言ったことがホントになりそうな流れで、あたしは顔が真っ赤になって、頭がよく働かない状態で、まくしたてた。しかも仰向けで、目の前に篠宮さんの顔があるからか、息が上がっちゃって、喘ぐような言い方になっちゃって、なんだか物凄く恥ずかしい。
「熱は一度出ちまえば、もうぶり返すことはねぇよ」
「で、で、でもっ!」
「お前が嫌だってんなら、俺もやらねぇよ」
 嫌だって……だって……嫌じゃないんだもん。
「まぁ、未だに俺の背中に腕を置いていて、嫌だはねぇだろうがな」
 え、え!? そんなので分かっちゃうの!?
 勝ち誇ったように篠宮さんが言って、でも篠宮さんの背中は触り心地がよくて、離す気になれなかった。これって、いけないことなの?
 少しずつ、篠宮さんの顔があたしに近付いてきた。そして、唇があたしの耳に触れるくらいの距離で、そっと囁(ささや)かれた。
「で、どうする?」
 どうするって訊かれても……。
「あ、あ、あの……」
 なんて答えるべきなのか、しどろもどろになっていたら、何かベルのような音が部屋中に響き渡って、何故だか物凄くホッとした。
 篠宮さんは小さく舌打ちして、あたしから離れていく。それでも片手はあたしの顔のすぐ横にあって、身を乗り出すようにしていった。
 鳴ってたのは電話みたい。二言三言話してから、またあたしを見下ろすようにして、とっても残念そうに言った。
「マギーからだ。昼メシの用意が出来たとさ。仕方ねぇ、続きはメシ食ってからだな」
 ご飯と聞いた途端お腹の虫が鳴って、篠宮さんに大笑いされた。やっぱりお前は最高だって。
感想・誤字報告を兼ねた拍手ボタン ←感想や誤字報告などありましたら、こちらをご利用下さい。