Act.5  熱情の抱擁 ...4

 開かないドアを諦めて、あたしは部屋の中を見回した。
 広い部屋。なんでベッドしかないのに、こんなに広いんだろう? 篁さんの社長室くらいありそう。
 ベッドに目を向けると篠宮さんが見えて、ドキッとした。お布団にくるまって、横向きで寝てる。
 背が高い篠宮さんが普通に見えるくらい、ベッドが大きい。キングサイズっていうのかな? 多分ダブルベッドだよね。
「失礼します」
 小さく小さい声で言ってから、あたしは寝ている篠宮さんに近付いた。
 いつもはセットしてる髪が、枕にバサッと広がってる。篠宮さんはそれほど髪は長くないけど、やっぱり起きてる時とは見え方が違うんだ。
 ドキドキして息が上がりそう。男の人と二人っきりで、しかも寝姿見るなんて今までなかったから。あの時は、クリスさんがいたし、すぐにクリスさんが起こしちゃったし。こんなシチュエーションは、初めてだもん! でも、どこにいればいいの?
 キョロキョロ見回して、でも椅子とか見付からない。窓際にソファはあるけど、とても動かせそうにないし……。
「う……ん……」
 ギクッ!
 篠宮さんがモゾモゾ動いた。べ、別にあたし煩くしてないよね! 誰もいないのに、つい周りを見ちゃった。
「……篠宮さん?」
 篠宮さんの顔を覗くようにして、そっと声を掛けてみたけど、目は覚めてないみたい。ホッとしたらなんか急に疲れちゃった。バッグを床に置いて、そうっとベッドに浅く腰掛けた。
 軋むような音はしないし、あまりお尻も沈み込まないし、やっぱりいいベッドって違うんだなぁ。
「はあ〜」
 これからどうしよう? 篠宮さん寝ちゃってるし……。
 ベッドの座り心地がよくて、つい足をブラブラさせていたら、目の端で何かがモゾモゾ動くのが見えた。
 え? と思ってそっちを向いたら、篠宮さんが起き上がっていた。
「あ……篠宮さん。えっと……お、起こしちゃいました?」
 どう声を掛けたらいいか迷って、結局こんなことしか言えなかった。
 篠宮さんは不機嫌そうな顔で、髪の毛をかきあげながら周囲を見渡した。
「えっと……篠宮さん?」
「マギーは?」
「え……あの……出て行っちゃいましたけど……」
「…………」
 ムスッとした顔で篠宮さんは、溜め息をついた。
「ったく、熱が出たせいで響子とのデートも出来なくなったってのに……」
 ブツブツ言いながら、またベッドに横になった。
「え……あの、あたし、ここに……」
 篠宮さん、あたしが見えてなかったのかな……。ビックリして全部言えなくて、虚しく自分を指差していたら、寝たばかりの篠宮さんが、ガバッと勢いよく起き上がった。物凄く怖い顔で。
「ひっ……ゴホッ」
 思わず出ちゃった声が喉に詰まって、唾が気管に入っちゃった。
「響子!? なんでここにいるんだ!」
「それ……ぐっ、クリスさんが……ゴホッ」
「クリス……」
 篠宮さんは左手で額を押さえるようにして、唸る様に言った。うわぁーん、こ、怖いよぉ。
 ビクビクしながら、いっぱい唾を飲み込んで咳を落ち着かせてから、おずおずと訊いてみた。
「あ、あの……篠宮さん?」
「なんだ?」
 顔を上げた篠宮さんは、寝ていたからか、いつもと感じが違っていた。
 いつも上げている前髪が落ちていて、何だか凄く……こう……い、色っぽい感じ? がするし。何より、パジャマ姿なのが……その……襟元とか広く開いてるから、目のやり場がなくて。必死に篠宮さんから目を逸らした。
「あの……熱が出たって聞きましたけど、大丈夫ですか?」
「クリスか?」
「え……あ、えと……はい、クリスさんから聞きました」
「で、連れて来られたんだな」
 溜め息混じりで言われた。よかった、篠宮さんが事情を分かってくれてそうで。たまに意地悪だけど、やっぱり篠宮さんは色々分かってくれてるんだ。
「点滴したからな、もう熱は下がった」
「え……点滴だけ……ですか?」
「十分だろ。解熱剤も飲んだし」
「え……でも、クリスさんはお医者さんに診てもらったって」
「点滴は医者でなきゃ、出来ねぇだろ」
 篠宮さんはあくびをかみ殺しながら、ベッドの上で胡座をかいた。
「あの……熱って、どのくらい出たんですか?」
「あ? 確か39度8分とかだったな」
「え……」
 篠宮さん、呑気に言ってるけど、それって大変じゃない!
 あたしは頭の中が真っ白になった。頭が全然回らないのに、勝手に体が動いて、勝手に口がしゃべってた。
「そんなの……」
「あ? なんだよ?」
「起きたりしちゃダメじゃないですか!」
「な、なんだ?」
「お休み今日しかないって言ってたじゃないですか! 休んでなきゃダメですよ」
「響子? お前なに言っておわっ!」
「寝てなきゃダメですよ。あたしとのデートなんかより、ずっと大事です!」
「……ああ、分かった分かった」
「分かってないです」
「分かったっつってんだろ。それより響子、お前大胆だな」
「は?」
「これはこれでなかなか……こういう眺めも悪くないな」
 そんなことを言いながら、おかしそうに笑ってる篠宮さん。
 なんでそんなに笑うの? って思っていたら、やっとあたしが何をしたのか理解してきた。
 あたしの両手は篠宮さんの肩を押さえてて、篠宮さんはベッドに仰向けになってて……。
「女に押し倒されるってのも、悪くねぇな」
「お、押し、たお……」
「まぁ、それもお前だからだが」
「す、すみません!! あ、あたし」
 なんてことしちゃったのぉ!? し、篠宮さんをお、押し倒しちゃったなんてぇ!! か、顔から火が出るぅ!! は、恥ずかしいぃ!!
 泣きたい気分で慌てて篠宮さんから離れたら、何故か逆に引っ張られた。
「きゃっ! え!?」
 ひ、ひぇ〜〜!篠宮さんの顔がドアップで!
 背中に力強い腕の感触と、前は……篠宮さんの体と密着してる。
 あ、お休みの日でもお髭ちゃんと剃ってるんだ……な、なんてとこに目が行ってんの! あたしぃ!!
「し、篠宮さん!?」
「うるせぇ、耳元で騒ぐな」
「だ、だってこれ……ひゃ!?」
 い、今なんかお尻触られた!?
「しのっぶ……」
 今度は後頭部を押さえられて、篠宮さんの襟元に顔を埋める格好になっちゃった。
 む、胸が篠宮さんの体に潰される様な感じで……。お、男の人とこんなに密着するの、初めてだよぉ。し、心臓がバクバクいってて、口から飛び出そうな感じ。こんなに密着してたら、全部分かっちゃうじゃない! いや〜!!
「し、篠宮さん、は……放し」
「うるせぇ、大人しくしてろ」
「で、でもっ」
「くっくっ、動悸が凄ぇな」
「し、知ってたら、もう放してください……」
 泣きそうになりながら必死に訴えていたら、突然視界が回転した。
 え!? って思った時には、部屋の天井が見えてて、篠宮さんが真顔であたしを見下ろしていた。
「え!? し、篠宮さん!?」
「ふん、お前になら押し倒されるのもいいが、やっぱこっちの方がずっと眺めはいいな」
 両手は肩の高さで篠宮さんの手に押さえ付けられて、逃げ場がなかった。あたしは篠宮さんの顔をまともに見れなくて、横を向いた。大きな扉のような壁が見える。
 ふっと視界が陰って、あっと思った瞬間、唇に柔らかい感触が……。
 キ、キスされてるぅ!! し、しかも、口の中に何か入ってるんですけど!!
 柔らかくて湿っててザラッとしてて……口の中でぐにゅぐにゅ動いてる! こ、これって篠宮さんの舌!?
「んっ」
 やだぁ、変な声出ちゃった。
 息が出来なくて苦しくなった時、篠宮さんが顔の向きを変えて、少しだけ口が解放されて呼吸が出来た。でも、またすぐに唇が密着して……。あたしの舌とか歯のところとか、篠宮さんの舌が撫でるようにしていって、もう何が何だかよく分からないけどボーッとしてきたら、唇が解放された。
「篠……宮さん?」
 あたしは息が上がってて、視界がぼんやりしてる。
 篠宮さんは自分の唇をペロッと舐めて、それからちょっと笑って言った。
「抵抗しねぇんだな」
「てい……こう?」
「くっくっ、お前状況分かってんのか?」
「え…… あっあの……キ、キ、キス……」
 自分の顔が、カァァッと火照るのが分かった。い、今の、大人のキスだよね? よく外国の映画とかドラマで見る、激しいキス……。う、うわぁ、あ、あたし篠宮さんとそんなキスしちゃったんだ……。
「少しは抵抗しねぇと、男は付け上がるぞ」
「へあ? 付け上がる?」
「抵抗したところで、やめることもねぇがな」
 そう言いながら、篠宮さんは急に倒れ込むようにして、あたしの上に覆いかぶさった。
 深い溜め息が耳元で聞こえて、その息の塊が首筋に当たって、思わずゾクッときちゃった。
「篠宮さん?」
「はあ……さすがに今日はしんどいな」
 う、うわっ、篠宮さんの熱い息が頬に当たる。頭がクラクラするぅ。髪の毛も、頬にサワサワ触っててくすぐったい。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「ん……ああ、そんなにやわじゃねぇからな。風邪じゃねぇし」
「でも、お疲れなんじゃないですか?」
「ふん、もう慣れた。それに、ヒューズがいないから気分も楽だ」
 ヒューズさんて、謹慎させたっていう人だよね。
「すみません、あたしのせいですよね……」
「あ? なにがだ?」
「あたしがあの時電話で聞いちゃってたから、ヒューズさんお仕事してたのに、謹慎になっちゃったんですよね?」
「…………」
 だ、黙っちゃった。言ったらマズかったかな。でも、何だか悪い気がして……。
「うひゃぅっ!」
 な、なに!? 首、舐められちゃった!?
「響子が心配なんかする必要ねぇ」
「で、でも……ぅひひゃっ!」
 ま、また……くすぐったいのにぃ。
「あいつは仕事は出来るが融通は利かないし、プライド高い奴だからな、これくらいしても全然分かってねぇんだよ。それより響子」
「な、なんですか?」
「そろそろ抵抗らしい抵抗しねぇと、俺は調子に乗るぞ」
「へあ? 調子って……ひやぁ!」
 こ、今度は首筋にキスされたぁ! し、しかも
「やっ耳っ耳……」
「だから抵抗したら止めてやる」
 ひぃ〜! 耳たぶまで舐められたぁ!
「て、抵抗ってどうしたらいいんですかぁ!?」
「…………」
 涙目になって叫んだら、ふいに篠宮さんが無言で離れた。離れてくれたのはいいけど……どうしてそんなに至近距離で、あたしを見てるんですかぁ!! 息… 篠宮さんの吐く息が顔に当たる……か、顔がユデダコになっちゃうよぉ!
「くっくっくっ」
「へ?」
 なんでここで笑い声? ビックリして目を開けたら、篠宮さんがあたしの左横にゴロンと体を横たえた。
 そのまま顔に被さる髪を手でかきあげながら、篠宮さんは声を上げて笑った。
「え? 篠宮さん?」
「ははははっ悪い、お前男と付き合ったこともねぇんだよな」
「そ、そうですけど」
「お前それでも嫌なら嫌って言えよ」
「え……」
 真面目に何を言われているのか分からなくて、怪訝に思って横にいる篠宮さんを見た。
「あの……篠宮さん?」
「嫌じゃなかったのか?」
「え……えっと……あ、あの……い、嫌じゃなかったです」
 うわわっ、なに言ってんのあたし!! ほ、ホントのことだけど。
「響子、お前自分が言ってること、分かってんのか?」
「? 分かってますけど……」
 なんだろ? なんでこんなに念を押されるの?
 そう思っていたら篠宮さんに腕を引っ張られて、背中向きに抱き込まれた。
「……うひゃっ!?」
 ひぃ〜! 背中、背中が篠宮さんの胸に密着してる〜! っていうか、背中だけじゃなくてもう体全体!? ぜ、全身が抱き込まれてる感じ!?
 篠宮さんの右腕がお腹の辺りに置かれて、左手は……うわっ、あたしの左手を握り込まれた。あ、足! 足も……ひぇ〜、がんじがらめってこういうのぉ!?
「あ、し、篠宮さん!?」
「一度しか言わねぇからよく聞いとけよ」
「ひゃっ」
「ん、なんだ?」
「い、いえ、何でも……」
 うわ〜、耳元で篠宮さんの声が。しかも後ろから! それに体が密着してるから、あたしの体の中に篠宮さんの声が響く感じがして……ど、ドキドキが止まらない! 心臓爆発しちゃうよぉ!!
「ふん、すげぇな」
「な、なにがですか!?」
「お前の心臓、スゲェ動悸が激しいぞ」
「あ、あの……お、お話って? は、早く済ませて離して頂けませんか?」
 でないと、本当に心臓が破裂しちゃいます!!
「……一度しか言わねぇぞ。よく聞いとけ」
「は、はい!!」
 お願い早く〜!!
「俺はお前が……響子が好きだ」
 え……
「いつから? とか何で? とか野暮なことは訊くなよ。ともかく、そういうことだ」
「………… あ、あの。あたし? ですか? ホントに?」
 間抜けなあたしの言葉に、篠宮さんの声が憮然とした。
「他に響子ってのがいるか?」
「い、いませんけど……あの……でもあたしは庶民ですけど……」
 そう、マギーさんと会ってから色々あり過ぎて忘れちゃっていたけど、篠宮さんはエインズワースっていう凄い財閥の総帥でしょ。そんな人がなんであたしを好きになるの?
 ドキドキと困惑で頭がおかしくなりそう。視界もグルグル回ってきたし……。
「やっ!?」
 耳元に篠宮さんの溜め息が掛けられて、またゾクッときちゃった。
「もうマギーやクリスから聞いただろ。俺はエインズワースを総轄しているが、自分の伴侶まで決められちゃいない。エインズワースの総帥は先代の指名で決まるからな。極端な話、男と結婚していようと一生未婚だろうと問題はない。血筋に拘りがないからな。拘るのは能力だけだ」
「で、でも……そ、その相手って……あ、あたし、ですよ?」
 この期に及んでも、こんな風にしか訊けない自分が、何だか情けなく思えてきた。でも、これも正直な気持ちなんだもん。
「お前がいいんだよ。お前も俺を好きなんだろ。昨日言ったことは間違いだった、なんて言わせねぇぞ」
 うう、篠宮さん、声が怖いです!
「えっと……ま、間違いじゃないです」
「じゃあいいじゃねぇか。俺の女になれ」
「…………」
 グッと抱き込んできた篠宮さんの腕が、とても熱く感じた。
 今更だけど、あたし、篠宮さんのベッドで、篠宮さんに抱き込まれて……ホントに今更だけど、この状況に気が付いて。
 でもそれが恥ずかしいとか、そんな思いよりも、ほわんっと心の中が温かくなるような感じがした。何故だか分からないけど、今なんだか幸せな気分かも。心臓は相変わらずドキドキしていて破裂しそうなのは、変わらないけれど……。
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