Act.5  熱情の抱擁 ...3

「あ、あたし……か、帰ります」
 立ち上がった足が震えてる。声を出せたのが不思議なくらいだった。
 それならプライベートジェットを持ってるのも、当然だよね……。
 そんな人とデートしようって、浮かれてた自分が恥ずかしい。好きだなんて、そんな凄い人を好きだなんて……あたし恥知らずなことしちゃった。
「お待ち下さい、響子様」
 クリスさんも立ち上がって、あたしの手を掴んだ。
「は、離して下さい、クリスさん」
 涙がポロッと落ちた。
「帰らないで下さい。愁介様の傍にいて下さい」
「ど、して……ですか? あたしなんか傍にいたって、何も出来ないじゃないですか! あたし……篠宮さんが会長さんだってだけで……お、恐れ多くて。でも、やっと自分の気持ちに気付いて。……なのに、こんなのってない……」
 最後は声も出なくて、クリスさんに伝わったかどうか分からない。でも、これ以上何か言うことが出来なかった。
「響子様、驚かれるお気持ちは分かります。ですが、これは私たちの望みでもあるんです。愁介様の傍にいてあげて下さい」
「わたし……たち?」
「私とさっきのレオン、それにマギーもです。篁さんも入ります」
「なんで……あたしが……」
「クリス? 何やってんだ。早く響子様を入れろ」
 唐突に背後からそんな声がして、あたしは口を噤んだ。
 一瞬篠宮さんかと思ったけど、篠宮さんの声はもっと低い。今の声は、まるで鈴を打ち鳴らしたような、綺麗なソプラノボイス女性の声だった。
 クリスさんに右手を掴まれたまま、声のした方を見てみると、ハニーブロンドの物凄い美人さんがツカツカと近付いて来ていた。
 男物のスーツを着ているけれど、体付きはスレンダーなモデルみたいな人だった。何よりその美顔は、碧さんよりもずっと綺麗。テレビで見る、外国のセレブな人みたい。こんなに綺麗な人が存在するんだ! 翠色の瞳も初めて見た!
 あたしは泣いていたのも忘れて、その人に見惚れてしまった。
「マギー、愁介様を放って」
「愁介様は今眠ってる。さっきまで起きてたが、まだ体が本調子じゃねぇみてぇだな」
 マギーと呼ばれたその人も、レオンさんと同じく白人に見えるのに、物凄く流暢な日本語を話してる。口調が男っぽくて荒いけど……。
 マギーさんがクリスさんを睨んだ。物凄く綺麗な顔をしているせいか、篠宮さんのとは違った迫力がある。
 その顔があたしに向いた途端、しかめ面が嘘みたいにニコッと笑った。その可憐さに、ポカンと口を開けて見入ってしまった。
「お前が島谷響子か。俺はマギー・フォスターだ。愁介様の秘書をしてる。ま、お前とは同業みたいなもんだ。以後よろしくな」
「…………」
 物凄く美人で、握手を求める仕草も洗練されていてとっても綺麗なのに、口調はどこまでも……というか更に男言葉になった。
「おいクリス。響子様の手を離せよ。俺と握手出来ねぇだろ」
 言われてすぐに右手は解放されたけど、あたしは固まってまま。
「マギー」
 隣りから、クリスさんの疲れた様な溜め息が聞こえた。
「ですから、もう少し綺麗な日本語を……」
「英語もしゃべれねぇお前に言われたかねぇよ」
「…………」
 言葉だけ聞いてると、物凄く乱暴な言い方だけど、マギーさんの顔は怒っているというよりは、呆れているような感じ?
 あたしは解放された右手を勝手に取られて、マギーさんと握手した。
 細い指。爪も綺麗に整えられてる。あたしはといえば、短く切り揃えてはあるけど、自分で切ったから所々いびつな形だし。デートだから頑張って薄いピンクのマニキュアもしてみたけど、何だかムラになっちゃってるし。
 こんな綺麗な手に握られているのが、酷く恥ずかしかった。
「あ、あの……」
「ん? なんだ?」
「あの、手……は、離して頂けますか?」
「あ、悪い。握手苦手だったか?」
「いえ、そうでは、ないですけど……」
 自分の手が貧相で恥ずかしいなんて、とても言えない。でもマギーさんはすぐに右手を解放してくれた。それから右手をヒラヒラを振って、クリスさんが何か言った様な気がしたけど、あたしはさっきのマギーさんの言葉が、気になって仕方がなかった。
「あの……同業って、どういうことですか?」
「ん? お前も一流企業の社長秘書だろ。同じ様なもんじゃん」
「ぜ、全然違います!」
「何でだよ?」
「だ、だって。篠宮さんはエインズワースっていう、凄い財閥のそうすいですよね? マギーさんは、その秘書をされているんですよね? あたしなんか、ただの会社の社長秘書ですから」
「こらっ」
 うつむいて必死に話していたら、マギーさんにおでこを突付かれた。
「? マギーさん?」
「ただの会社って言うのは違うだろ。んな言葉で言ったらお前、自分とこの会社や社長を、蔑んでることになるんだぞ。もっとプライド持てよ」
 突付かれたおでこが、ちょっと痛かった。でも、今の言葉の方が、もっと痛かった。
 蔑むつもりなんてなかったけど、そういう風に聞えちゃうんだ……。篁さんを、蔑んだことに、なっちゃうんだ……。
「あっこらこら! うつむくな!」
 ハッとして顔を上げた。
「悪かったよ、今のは言い過ぎた。でもな、どこが優れてるとか地位が低いとか、自分で価値観を決めるのはよくねぇぞ。ま、エインズワースが世界一ってのは正しいが」
「…………」
 最後の言葉はドキッパリ言っていたけど、マギーさんの言いたいことは分かった。
「あ、あの……あたし、そう思えるように、頑張ります」
「別に頑張る必要はねぇけどさ。頑張ったって自分の性格は中々直せねぇだろ。それより意識を変えるようにする方が、よっぽどいいと思うぜ。お前、何でもネガティブに考えるだろ。それを強引にでもポジティブにするだけで、随分違うと思うぜ」
「あ……は、はい」
 なんか、こんな風に言われたの初めて。ポジティブか……えっと、綺麗なマギーさんに会えてラッキー! とか? ……なんか、あたしのキャラじゃないみたい。
 悶々としていたら、マギーさんが申し訳なさそうな顔で言ってきた。
「俺の日本語変らしいんだよな。すまねぇ。愁介様を手本に覚えたから、こんな風にしかしゃべれねぇんだよ」
「あ…… い、いえ、そんなこと。とっても流暢だと思います」
「りゅうちょう?」
「えっと……スラスラ言えてるってことで……」
「なるほど、りゅうちょうね」
 納得した顔でウンウンとうなづいているマギーさん。それから、あたしの手を取って、奥のドアへと向かった。
「じゃあ行くか」
「え! でもクリスさんは……」
 急いで周りを見たけど、クリスさんの姿は見えなかった。
「あいつはなぁ、ちょっと先走り過ぎるんだよ。だから追っ払った」
「お……」
「愁介様だって子供じゃねぇんだ。自分の気持ちくらいキッチリ言えんだろ」
「あ、あの……篠宮さんがエインズワースのそうすいって言うのは」
「本当だ。俺……あたしって言うのか? 自分のこと」
 話の途中で急に訊かれて、ビックリした。
「え! えっと……な、何がですか?」
「さっきからお前、自分のこと『あたし』って言ってんじゃん。俺ってのは、違うのか?」
「あ、それは。『俺』っていうのは男の人が言うから、『私』とか『あたし』の方が女性らしくて、いいと思います」
「じょせい?」
「あ、女の人ってこと」
「ふぅん、なるほどね。日本語って面倒臭ぇな。男と女で言葉は違うし、同じ意味なのに違う言葉がいっぱいあるじゃん。ホントまこ不思議な言葉だよな」
「え……えっと、摩訶不思議?」
「ああ、それ」
 ビシッとあたしを指差してくるマギーさんは、真面目に言ってるのよね? 冗談とかじゃないよね?
「悪い、話が逸れたな。あたしの親父が先代の総帥でな。愁介様は親父が後継者に指名したんだ」
 話しながら、マギーさんはドアを5つくらい過ぎていく。でも話の方が気になって、部屋の中は全然見れなかった。
「でも、篠宮さんてまだお若い……ですよね?」
 確か面接の時に篁さんが、もうすぐ29歳みたいなことを言ってたと思う。
「まあな、だから愁介様には風当たりがきつくてさ。見てるこっちが胸糞悪くなる時もあるぜ」
「むな、くそ?」
「そ。ハッキリ言って、愁介様は優秀だ。親父だって認めてるから後継者にしたのに、実績がないだの若いだの、グチャグチャ言ってこき下ろすんだよ! 実績は愁介様が自分のホテル作ったので十分だし、若いのは旧態依然を改革するのに打って付けだ。ま、そこが分からねぇからジジイ共は愁介様をこき下ろすんだが」
 言いながらマギーさんの足が止まった。篁さんの社長室のドアみたいな、大きな両開きの重厚そうな扉。そこの前で立って、プンプンしながら話すマギーさんは、何だか可愛く見えた。
 でも、そこまで言われて、篠宮さんが大人しくしてるとは思えないんだけど……。
 それで思い切って訊いてみたら、マギーさんは目を丸くしてあたしを見た。
「な、なんですか?」
「いや、ジロジロ見て悪かった。愁介様のこと、ちゃんと分かってんだなって思ってさ」
「? どういうことですか?」
「今まで愁介様に言い寄ってきた女共って……あ、お前は違うぜ。何しろ、愁介様が初めて自分から連れて来た女……えっと、女性? だからな。で、愁介様に言い寄ってきた女共って、見てくれはいいが自分のことしか頭にねぇ女共で、愁介様自身を見ようともしなかったんだ。でもお前は違うな。愁介様が怒ると怖いっての、ちゃんと知ってんだ」
「あの目で睨まれたら、怖いですよね」
「はははっ、そこまで知ってて愁介様を好きになれるって、凄ぇな」
「…………」
 か、顔が赤くなってくのが分かる。でも、止める方法なんか知らない。
「しかもウブだし。いいね、あたしは気に入ったぜ」
 目の前で極上の笑顔を見せられて、あたしの顔は更に赤くなった。
「さて、ここが愁介様の寝室だ。じきに昼メシだろ。時間になったら呼びに来るから、よろしく頼むぜ」
「え!? た、頼むって……」
「なんだよ? 恋人同士のイチャイチャを見せつけるつもりか?」
「い……」
 外国人なのに、なんでこんな言葉を知ってるんですか!? あ、篠宮さんを真似て覚えたって言ってたっけ。顔が更に真っ赤になりました!
「あの、あたしと篠宮さんはまだ恋人じゃ……」
「はははっ謙遜するな! あたしらスタッフ幹部は、お前を歓迎するぜ。だから安心して愁介様とイチャつけよ」
 笑顔でそんなことを言って、マギーさんはドアを開けると、あたしの背中を突き飛ばした。あたしはつんのめって、でも転ぶのは何とか回避して振り向いた時には、無情にもドアは閉められてしまった。
 ノブを回したけど、ガチャガチャ言うだけで回らない! 閉じ込められちゃった!!
 ひぇ〜!! ど、どうしよう!?
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