Act.4 これって試練ですか?...12

 そんなこんなで月末を迎えた25日。清水さんからなんと! お給料明細をもらった。
 呼ばれた時は何かしちゃったのかと思ったけど、まさか研修の身でお給料がもらえるなんて、思ってもみなかった。だって、大学にも行ったりしてるから、実際に会社に来たのは今日を入れて12日。
 だから「はい、今月分ね。ご苦労様」って言われて明細もらった時は、固まっちゃった。
「どうしたの?」
「え……だって、あたしまだ研修ですよ?」
「言ったでしょう。研修でも社員として働いていることに変わりはないって。それに見合う報酬を払うのは、会社として当然のことよ」
「はあ……」
 ホントにいいの? と思いながら明細を受け取った。
 初日に人事部で銀行口座を登録した時は、まさか今月にもらえるなんて思ってもいなかった。あたしだけじゃなく、奈良橋くんや辻村くん、都賀山くんももらってる。
 あたしはバイトもしたことなかったから、お小遣いじゃないお金をもらうなんて初めて。ちょっとドキドキしながら中を見て、ハッキリいって度肝を抜いた。
 見間違いじゃないよね……。何度も見て、金額を確認する。血の気が引くかと思った。
 急いで清水さんのところに行った。
「あ、あの!」
「うん? なに?」
「これ、間違いじゃないですか?」
「あら、間違いって?」
 清水さんがパソコンのモニターから目を離して、あたしが差し出した明細を見る。
「合ってるわよ。なにが気になるの?」
 なにがって……。
「あの……じゅ10万円ってなってますけど……?」
 さすがに声高に言うのは憚られて、あたしはヒソヒソと清水さんに訊いた。でも清水さんは、不思議そうにあたしを見るだけ。
「問題ないでしょ?」
 あ、ありまくりです!
 平然と言う清水さんに、あたしは声が出なかった。
「それだけの仕事をしたでしょ。だから問題ないわよ」
「そ、その……頂き過ぎではないですか?」
 真面目に訊いたのに、清水さんはおかしそうにクスクス笑った。
「ちゃんと税金も引かれているし、問題ないわ。正社員になったら他に保険や年金も引かれるけど、基本給が上がるし残業すれば残業代も出るからから、全体的にはもっと上がるわよ。今は研修だから、お給料も安いけど」
 こ、これで安いんですか!?
「だ、だって交通費が別途支給ってありますけど……」
「ええ、だからその金額に交通費を足した金額が、今日あなたの口座に振り込まれているはずよ」
「…………」
 絶句。あたし、そんなに働いてないのに!
 何も言えなかったけど、多分顔に出てたんだと思う。清水さんが苦笑いで言った。
「それだけの仕事をしたという証よ。あなたはそう感じないかもしれないけれど」
 コクコク頷いたら、また笑われた。
「せっかくお給料が出たんだから、ご両親に何かプレゼントでも買って差し上げたら? お喜びになるわよ」
 そう言って、清水さんは自分の仕事を始めてしまった。
 こんなにもらえるお仕事だなんて、思わなかった。ど、どうしよう!? これからはもっと失敗出来ないじゃない!!
 ボー然としていると、ポンと背後から肩を叩かれて、ビックリして振り向いたら、奈良橋くんだった。
「島谷、今日は国際管理部で会議だろ。もうじき11時になるぞ」
 ウギャってなって、慌てて自分のデスクの引き出しにお給料明細を入れた。
 そう、今日はお昼からドイツ側のチームとテレビ会議があって、あたしはその通訳をすることになってる。
 11時には国際管理部に行かなきゃいけなかった。あと5分!
「奈良橋くん、教えてくれてありがとう」
 そう言って、ルーズリーフを挟んだバインダーと筆記用具、それに辞書を持ってお礼を言ったら、何故か奈良橋くんも一緒に秘書室を出て来た。
 エレベーターのボタンを押して、待ってる間に訊いてみる。
「奈良橋くんも、国際管理部?」
「いいや、俺は開発部。ロシアと共同開発の製品が出来上がって届いたんだけど、説明書が全部ロシア語なんだって。だからそれを翻訳しに行く」
「凄いね、ロシア語堪能なんだ」
「島谷だってドイツ語出来るじゃん」
「え……だって、あたしはそれしか出来ないもの……」
「会議で同時通訳するって凄ぇと思うけど? 俺はそこまでは出来ない。文書読むのは得意だけどさ」
「そう……かな?」
「そうだよ」
 そんな自信たっぷりに言われても、どう返したらいいのか……。
 エレベーターが来て、二人で乗った。軽い浮遊感があって、下がっていく。この感覚、やっぱり慣れないなぁ。

 
 

「じゃあな、頑張れよ」
 そう言って、奈良橋くんは34 階で降りていった。
「はあ、頑張らなくっちゃ」
 
 

**********

 
 
 午後4時。
 会議は何とか無事に終わって、あたしは会議室の席に座ってグッタリしていた。
 46階の第二会議室。インターネット回線を使ったテレビ会議は、予定通りに終わった。
 途中、あたしの知らない単語や言い回しが出て来て、どうしようか焦ったこともあったけど、あたしの知ってる言葉で聞き直して、何とか乗り切った。

 
 

「島谷、ご苦労さん」
 机に突っ伏してしまいたい衝動を押さえて、半端な姿勢で座っていると、村中部長が言葉を掛けてくれた。
「あ……い、いえ、あの……あ、あんなんで良かったんでしょうか?」
 とっても不安で訊いてみたら、村中部長は笑った。
「良かったも何も、あれ以上どうするんだ?」
「どうって、その……すぐには分からなくて、何度か向こうの方に聞き直したりしたじゃないですか。その分余計な時間が掛かってしまって……」
「だが、次回からは大丈夫だろう?」
「た…… 多分、はい……」
 確約は出来ないから、冷や汗もので何とか返答したら、豪快に笑って背中をバシバシ叩かれた。
「はははっ頼もしいな。確かに最初は心配したがな。おっと失礼」
「い、いいえ! あたしも不安でしたし……」
 うわぁ、余計なこと言っちゃった。でも、言わないでおくなんてあたしには出来ない!
 叱られるかと思ったけど、部長さんはにこやかなまま。厳しそうな人だけど、笑うと恵比寿様みたいになる。そのギャップに、最初は物凄く戸惑った。
「全く、島谷は正直だな」
「す、すみません」
「謝ることはないぞ。島谷がやってくれて助かった」
「……ホントですか?」
 そんな風に言われるなんて、思ってもいなかったから、つい聞き返してしまった。
「お前、自分の能力を疑ってるのか?」
 何故か驚いたような顔で訊いてきた。あたしは何も言えずに頷く。
 村中部長は、ふうっと溜め息をついた。
「社長から、今日の会議の通訳をお前一人に任せると言い渡された時は、正直心配したがな。始まってすぐに、そんな懸念はなくなったぞ。さすがに、社長が推しただけあるな」
「…………」
「社長が会議に同席してもらえるのは、確かにありがたいが、妙なプレッシャーもあるからな。今日初めて分かったが、社長が同席というのは向こうもやりづらいらしい。だからな、変な話だが、今日は互いに本音をぶつけ合えたぞ。それも島谷がいてこそだ。もっと自信を持て」
 そう言って、村中部長はあたしの頭をポンポンと撫でて、会議室を出て行った。
 周りを見てみると会議室に残ってたのはあたしだけだった。
「はぁ……」
 でっかい溜め息を残して、秘書室に戻った。
 
 

**********

 
 
「島谷さん、ご苦労様」
 秘書室に戻ると、清水さんがすぐにそう声を掛けてくれた。
「大役だったわね。でも、先方の事業部長から社長宛てに、お礼の電話が入ったそうよ。頑張ったわね」
 清水さんのそんな話がにわかには信じられなくて、あたしは焦りまくった。
「ク、クレームじゃないんですか?」
「なに言ってるの!」
 清水さんは笑ってる。よく加奈子が、こんな笑顔であたしを励ましてくれることがあって、何となくそれを思い出した。
「会議の時間、今までは社長が付きっ切りだったけど、今日は他の仕事を片付けることが出来たわ。あなたのお陰よ」
「は…… はあ。でも、あたしはあれしか出来ませんし」
「ふふっ、そこがあなたのいいところだわね」
「?」
「社長室に行って来なさい」
「はい!?」
「社長がお呼びよ。戻ったら来るようにって」
「…………」
 ひぇ〜! やっぱり何かあったんだ。
「大丈夫よ、行ってらっしゃい」
 清水さんは笑顔であたしの背中を押した。支倉さんも笑顔で手を振ってるし。新人の3人がいないのが、せめてもの救いかも。
 あたしは持っていたファイルや辞書を自分のデスクに置いて、社長室のドアをノックした。
 中から「どうぞ」って言う篁さんの声。
「し、失礼します」
 うわぁ、声が震えてるよ。
 中に入ると、篁さんは分厚い書類を読んでる最中だった。
「あの……お呼びと伺いましたが」
 篁さんのすぐそばでそう声を掛けると、篁さんはあたしを見上げて、フワッと笑った。
「ご苦労様でしたね、島谷さん」
「い、いえ……」
 ビックリした。篁さんの笑顔って凄い威力よね。色んなことが吹っ飛んじゃうもの。
「会議の終了後に、先方の事業部長から連絡がありました」
 き、来た! な、なに言われても、泣かない様にしよう! でも、うつむいちゃいけないから、一生懸命顔を上げてた。
「今後はどのような会議の場でも、あなたを通訳として同席させてほしい、とのことでした」
「……え」
「あなたを気に入ったそうですよ。かなり意地悪な言い回しを使ったそうですが、うろたえることなく、あなたの分かる言葉で聞き返してきたと。なかなかいい根性をしていると、褒めていましたよ」
「…… え?」
「頑張りましたね」
「…………」
 なんでか分からないけど、篁さんの笑顔がにじんでます。
 泣いてるんだって分かったのは、ボロッて涙の粒がほっぺたから落ちたから。なに言われても泣かない様にしよう、って思ってたのに、これは反則だよ。
「あの……あれで、良かったんですか?」
 みっともないくらい、声が震えてる。でも、篁さんの声は変わらなかった。叱るでも怒るでもなく、優しい声音。
「私は会議の様子を見た訳ではありませんが、先方がそこまで言うのですから、今後もあなたのやり方で構いませんよ」
 せっかく篁さんが話してくれてるのに、鼻水は出るし涙はボロボロで、なんかもうグチャグチャ。あんまりにもみっともなくて、この時ばかりは下向いて、グチャグチャになった顔を手で拭いた。
「これからもこの調子で、よろしくお願いしますよ」
 ニコッと笑いながら篁さんに言われた。
「あ゛…ばい」
 うわあぁ! な、なんて返事をしてんの、あたしぃ!!
 篁さんはクスクス笑ってるだけ。こ、こんな無礼な返答しちゃったのに、いいのぉ!?
「あ、あの……すみません」
 慌てて謝罪したのに、スルーされちゃった。
「今日は慣れない通訳で疲れたでしょう。来週からまたみっちり仕事がありますから、3日間ゆっくり休んで下さい」
「は、はい」
 そうだった、今日は木曜日で、今週の出社は今日までだった。
 3日もお休みだから、初めてのお給料でお父さんとお母さんに何を買おうか、色々考えながら社長室を退出した。
 秘書室に戻ると、奈良橋くんたちも戻ってきていて、なんか色々褒められた。
 都賀山くんは「いつか俺も!」とか燃えていて、奈良橋くんは「お疲れさん」って言って肩を叩いてくれて、辻村くんは「島谷さん凄い……」って小さく呟いていた。気のせいか、目が妙にキラキラしていたような気がする。あ、あたしをそんな目で見ても、辻村くんには何もしてあげられないと思うんだけど……?
 これで後は、定時まで電話取ったり内線の取次ぎをすれば、今日の仕事は終わり。
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