Act.4 これって試練ですか?...11

 翌日から会社での仕事は、秘書室と国際管理部を行ったり来たり。
 プロジェクトの人たちは、みんないい人たちばかりで、分からないことは素直に訊くと、丁寧に教えてくれた。分からないままでいる方が迷惑だから、とハッキリ言われてしまい、恥ずかしい気持ちを押し込めて色々訊くようにした。
 会社がどういうものかも、あまりよく分かってないあたしだから、質問してることはきっと的外れだったり、基本中の基本だったりするんだろうけど、誰一人としてバカにしたり笑ったりしなかった。なんか、それが当然っていう感じで、会社ってこういうものなの? って思った。
 逆に、ドイツ語に関しては休む暇もない程、たくさん訊かれた。まぁ、あたしに出来ることといったら、これしかないものね。
 でも……。
 こう言ったらスッゴク失礼だけど、今まで何事もなく来れたのが不思議なくらい、物凄い下手な和訳で……。ドイツ語に訳した方はもっと酷くて、本当に何事もなかったのか不安になって、話やすそうな男の人に訊いてみた。
 だって……あたしが同じことをしちゃったら、怖いもの……。
 その人は新谷さんっていって、入社して5年目で、2年前に営業から引き抜かれて来たんだって。昨日お互いに自己紹介した時に、自慢そうに話してた。羨ましいくらいの自信家で、海外の営業所で働くのが夢で、英語をマスターしたんだって。
 そんなだから、あたしとはとても合いそうにない人なんだけど、一番あたしと年齢が近くて、話してみると意外といい人だったから、あたしの中では『色々訊きやすい人』の一人になった。
 ドイツ側とのやり取りで、今まで失敗したことはなかったみたい。最終的には篁さんが全部目を通していたから。それが答えだった。
 会社に来てから毎日篁さんのスケジュールを見ているけど、はっきり言ってそんな時間はないんじゃないのかなぁ? それくらい社長のお仕事って忙しいし、清水さんがたまに悲鳴を上げながら、スケジュールの調整したりしてたし。
 ドイツ語の出来る社員を探していたっていうのは、こういうことだったんだ。
 でも、別にあたしでなくても、使える人はたくさんいると思うんだけど……?
 そう思って新谷さんに訊いてみた。

 
 

「島谷さん、よくぞ聞いてくれたよ」
「は?」
 すっごく肩を落として溜め息をついてそう言ってきたから、あたしはビックリした。先輩に対して褒められた態度じゃなかったと思うけど、新谷さんはそのことは触れずに話を続けた。
「前にもドイツ語が堪能な秘書がいたんだけどね。これが美人を鼻に掛けて高飛車で、ドイツ語の出来ない……って、まったく出来ない訳じゃないのに、俺たちを平気で罵倒するし、挙句に「俺たちチームは役に立たない」って社長に直訴するしで、メチャクチャ迷惑な女だったんだ。自分がいなきゃこっちの仕事が出来ないって思っててさ。まあ、社長に直訴した段階で、社長が解雇してくれたんで、こっちは助かったけどね。それからは多少効率は落ちたけど、人間関係は平和なもんだよ」
「そうだったんですか……」
 こういう場合、なんて返したらいいのか分からなくて、適当に言ってしまったけど、新谷さんは相変わらずそのことには触れずに、今度は安堵したような表情で続けた。
「俺たちだけで処理しなきゃいけないところを、社長に手助けしてもらうってのは、やっぱり一社員としてはどうかと思うし、プレッシャーもあった。支社を立ち上げたら終わりって訳でもないから、島谷さんが来てくれたのは本当、心強いよ。俺たちにも色々気を遣ってくれるし」
 何だか話が変な方向に行っていると思ったら、最後にそんな言葉が出て来て、あたしは仰天した。
「ええ!? そ、そんなことは……あ、あたしは入ったばっかりで、何も出来ませんから!」
「そうは言うけど、ドイツ語の文章をこんなにスラスラ読んだり書いたりする人、社長以外で初めて見たよ」
 ああ……あたしに気を遣ってくれてるんですね。優しい人だなぁ。
「でも、さっきの秘書さんも出来てたんですよね?」
「けど、社長の早さには敵わなかったからね。社長もああいう性格だから、ひけらかしたりしないじゃん。お陰で社長が出てくると、その女は静かだったけどさ」
 はぁ……と泣きそうな顔で大きく溜め息をつく新谷を見て、その女の人は本当に凄かったんだなぁと思った。あたしとは絶対に縁のない人だ。
「大変だったんですね」
 感じた通りに話したら、何だか凄く感激されてしまった。
「そうだったんだよ! でも、次に来たのが島谷さんで良かったよ。社長から『秘書室から一人寄越す』って言われた時には「またかよ…」って思ったけどさ。島谷さん、まだ大学生でしょ? 正直ここまで出来る人とは思ってなかった。」
「い、いえ……あたしは、ホントに何にも出来ないですから! 会社のこととか何にも分からなくて、ただ皆さんを手助け出来るのが、ドイツ語だけなので……」
 慌てて右手を振って言ったんだけど、それはまたしても良い言葉に置き換えられてしまった。
「そういう謙虚なところが、ますますいいよね」
 ひぇ〜! け、謙虚じゃないですぅ!!
 心の中で精一杯否定していたら、その人が急に顔を近付けて来た。
「なぁ、今度飲みに行かない?」
「はい?」
 なんでそういう話になるんだろう?
 そう思っていたら、新谷さんは両手を広げて片目を瞑った。
「ほら、島谷さんの歓迎会も兼ねてさ。プロジェクトのチームみんなで」
 ああ、そういうこと。会社ではそういうお付き合いは大事だって、お父さん言ってたもんね。
「いいですよ」
 ニコッて笑って言ったら、新谷さんは何故か顔を真っ赤にした。
「そ、それじゃ、近い内にセッティングするから」
 なんて焦った様に言った。そんなに焦らなくてもいいのに、どうしたんだろ?
 なんでか訊こうと思ったけど、村中部長に呼ばれたので、新谷さんにお辞儀して別れた。
 村中部長は国際管理部を統括する部長さんで、50歳代の見た目厳しそうなおじさん。呼ばれた理由は、「あまり一人の社員と親しくならないように」という注意だった。そうだよね、あたしは会社の秘書で社長秘書なんだから、ちゃんとけじめは付けなきゃ。
 村中部長さんは話すと優しい人だけど、やっぱりこういう注意を受ける時には、ちょっと怖い感じがした。

 
 

 今日はその後、倉橋課長さんから今回のプロジェクトの、立ち上げから今までの経緯を細く教えてもらった。
 倉橋課長は、国際管理部に4人いる課長さんの一人。4人の中では一番若いけど、一番チームを多く率いていて有能なんだって。大柄な体格でとっても頼りがいがあって、『お父さん』みたいな感じの人。
 課長さんはみんな、複数のプロジェクトを抱えている。このドイツ支社は他の海外支社と比べると、規模が半端でなく大きいけれど、一つだけに集中する訳にはいかない。だから、最重要のプロジェクトでありながら、最年少でも最有能な倉橋さんにその責任者の任が与えられたんだって。
 つくづくこの会社って、凄い社員がいっぱいいるわ……。
 その倉橋さんが、ドイツ支社を作る一番の目的を、熱く語ってくれた。
 うん、あたしも微力だけど頑張ろう!
 
 

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 それからしばらくは特に問題もなく、会社に行ったり大学に行ったりを繰り返した。
 あたしが入った翌週から、秘書室には3人、新卒の男の子が続々とやってきて、閑散としていた秘書室も少しだけ賑やかになった。
 彼らから見たらあたしも先輩の一人みたいで、何かと訊かれたけど、上手く答えられたかどうか自信はなかった。
「先に入っていたのが島谷さんみたいな人で良かった」
 なんて言われた時には、どう答えていいか分らなくなっちゃったけど。
「最初の面接の時に派手なスーツ着てたじゃん? 何だよこの女って思ったけど、話すと印象全然違うね」
 って言って来たのは、私立の有名大学を出た……出る予定? の都賀山くん。
 イタリア語とスペイン語が得意なんだって。ラテン系を目指しているとか、あたしにはよく分からないことを言ってるけど、悪い人ではなさそう。顔も堀が深くて、濃い感じだけどカッコイイ男の子。
 もう一人は、あたしが見ても気が弱そうな人で、いつもオドオドしていて、頼りなさそうな辻村くん。加奈子から見たら、あたしもこんな感じなのかなって思った。
 あたしでもそう思っちゃうくらいだから、辻村くんと話す時の都賀山くんは、いつもイライラしているみたい。
 最後に来た人は、見た目凄く怖そうなんだけど、話してみると気さくで優しい奈良橋くん。3人の中では一番落ち着いていて、一番遅くきたのに、一番早く会社に馴染んでいた。
 2月になったら女子が一人入って、来年度はこの7人で社長秘書室を切り盛りしていくんだって。
 とはいえ、あたしはドイツ関連の仕事で忙しいし、他の人たちもそれぞれ部署を担当しているので、純粋に篁さんの秘書といえるのは、清水さんと支倉さんだけ。勿論あたしたちも、篁さんのスケジュールを把握していて、何かあれば同行することもあるみたいだけど、今は研修期間だから社内での仕事が殆ど。
 話を聞いていると、清水さんも支倉さんも、篁さんが社長になってからは、こんな風に秘書の仕事をやってきたみたい。
 清水さんは篁さんと一緒に出ることが多いから、実質的にあたしたちの指導をしてくれるのは支倉さんかな。清水さんの補佐っていうのは、こういうことだったのね。
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