Act.4 これって試練ですか?...7

 会長って……ニュースとかで見る、何とかグループ会長とか言うあれ? でも、ああいうのって歳取ったお爺さんみたいな人が多いけど?
 多分その時のあたしは口をあんぐり開けて、とても社長さんを前にした社員の顔じゃなかったと思う。
 篁さんはそんなあたしを見上げて、やっぱり真面目な顔で言った。
「この会社は愁介の父親が創設したものです。3年前に彼が会長職に就いて、私が社長になったのです。本来なら彼が社長になるはずだったのですが、色々ありましてね。それに愁介は、持論を曲げるような男ではありませんから」
 ……篁さん、苦笑で言うことじゃないです。篠宮さんがお金持ちなのは知ってますし、あのセレブな人たちが「篠宮様の愁介様」と言ってたので、スゴイ人なんだろうなぁとは思ってましたけど、あたしの理解の範疇を越えてます。
 そんな凄い人とデートなんて、あたしに出来る訳ないじゃない。帰国の頃合なんて訊いてバカみたい。うん、加奈子には後で言っとこう。篠宮さんはあたしとは全然世界の違う人だから、デートはしないって。
 ここの会長さんだったら、面接の時にオジサンたちがあたしをあんなに目の敵にしたのか、理由が分かった。そりゃあ、会長さんの口利きじゃ目の色変えるよね。それがこんなあたしだった訳だし。
 でも、じゃあなんで篠宮さんが社長じゃないんだろ?
「あの……持論て何ですか?」
「会社は世襲で継ぐものではない、ということですよ」
 どういうこと?
「世襲で繋いだ会社は、近い将来潰れるというのが彼の持論なんです」
「でも、篠宮さんなら……」
「ええ、誰もがそう考えましたけどね、彼が推したのは私だったのです。お陰で、私は元の仕事を辞めさせられましたが」
 辞めさせられたって……篠宮さん、ホント強引。でも、篁さん優秀だって、篠宮さんが言ってたもんね。ドイツ語あんなにペラペラだったし。あんなに綺麗な発音、ドイツでしか聞いたことなかった。
 ……あれ? 確か、篁さんと面接した時の帰りにもらったのには、なかったように思うけど……?
「あの、会社のパンフレットには、篠宮さんの名前はなかったですけど……」
 ここまで訊いてもいいのかちょっと不安になりながら、恐る恐る訊いてみた。
 篁さんは、普通な感じで相槌をついて言った。
「篠宮グループの系列会社は、全て別の名称になっています。一般的に『篠宮グループ』の名は出てきません。あなたも聞いたことはなかったでしょう? ですが、日本有数の財閥ですよ」
「…………」
 なんかもう、あたしには縁遠い世界の話で、目の前で篁さんが説明してくれてるのに、映画を見てるような気分。これなら、名前と名字に『様』が付くのも頷けるよね。
「島谷さん?」
 ふいに目の前が陰った様な感じがして、慌てて顔を上げると、篁さんがあたしを覗き込むようにして立っていた。
「あ……す、すみません!」
「驚きましたか?」
「え……あの……は、はい?」
 うわぁ、篁さん! か、顔! 顔が近いです!! うわぁーん、なんでそんな至近距離で見てるんですか!?
 一人でパニクってるあたしから、篁さんはスッと離れて言った。
「愁介には自分で言うように言ったのですが、あの様子では話さなかったのでしょう?」
「え?」
 あ! 受話器を渡される前に、篁さんが「自分で言ったら」って言ってた、あれのこと?
「今のあなたには刺激が強い内容でしょうが」
 刺激というか、衝撃的な内容でした。
「あなたには多少の荒療治が必要だと思っていますので」
 は!? 荒療治? ど、どういうこと!?
 言われていることがよく分からなくてキョトンとしていたら、篁さんは秘書室へ続く方のとは違うドアに向かって颯爽と歩いて行って、扉を開けてこっちを見た。
「では行きましょうか」
 どこにだろう? と思っていたら……。
「清水さんから聞いているでしょう。国際管理部のドイツ支社プロジェクトのチームを紹介しますよ」
 ウゲッ忘れてた。
 ……っていうか、その人たちが社長室で待っていると思い込んでいたから、油断しちゃってた。
 わざわざ行くんですか?
 そう思っただけなのに、また顔に出ちゃったみたい。篁さんは微笑みをちょっとだけ苦笑いに変えた。
「彼らの業務を妨げる訳にはいきませんからね。あなたも、社内に慣れるいい機会でしょう」
 一難去ってまた一難って感じ。
 篁さんはドアを開けたままで、あたしを待ってくれてる。ひょ、ひょっとしてこういうの……社長さんのためにドアを開けたりなんて、あたしがやらなきゃいけないんじゃないの!?
 急いで篁さんのところへ行った。
「す、すみません。あの、ドアとか、あたしが開けなきゃいけないんですよね?」
 慌てていてそんな風に言っちゃったら、篁さんにクスッと笑われた。
 うう……すみません。
「そんなことはありませんよ。秘書はそこまでする必要はありません。ですが、そういうところに気が付くのは、なかなかですね」
 え? それって褒められてるの?
「今はまだ、そう気負わないことです。あなたなら自然に何でも出来るようになるでしょう」
 あたしがホントに? 絶対篁さんの買い被りだと思う。
 その時、あたしがどんな顔をしたのかなんて、全然分からなかったけど、篁さんは開けていたドアを閉めた。そして、それに寄りかかる様な格好になって、軽く溜め息をついた。
「前にも言いましたよ」
「え……? 何を……ですか?」
「自分が信じられないなら、私や愁介を信じなさいと」
「あ、あれは……」
「昨日のあなたが翻訳したメールを読みました。何をするか分からない中で、ドイツ語と日本語の経済用語を勉強してきたのでしょう? 私はあなたのそういうところを買っているのですよ」
「で、でも、辞書を引かないと分からない言葉もありましたし……」
 ドイツ語が出来るからって雇われたんだもん。なのに出来なかったら皆に迷惑掛けちゃう。
「辞書を使うのは悪いことではありません。知らない言葉があるのは当然ですよ。それを知らないままにしておくのは問題ですが」
「でもっ」
 篁さんに口答えしようと思った訳じゃないけど、つい口をついて出てしまった。
「そうやって自分を否定するのは、そろそろやめませんか?」
 今度はもっと深い溜め息をついて、篁さんはどこか困ったような感じの微笑で言った。
 前にも加奈子にそんなことを言われたことがあった。その時もこんな感じの顔だったな。
「あまり自分を否定すると、あなた自身の価値を低くしてしまいますよ」
 それは初めて言われた……あ、篠宮さんも損するとか言ってたっけ。
「でも、あたしには価値なんて、そんなにありません」
「そう思っているのはあなただけですよ」
「あ、あたしのことはあたしが一番よく知ってます」
「本人が一番見えていない、ということもあるんですよ」
「…………」
 どうしてこの人は、あたしのことをそんなに『出来る』って信じてるんだろう? あたしなのに!
「あなたがそこまで自分を否定する理由は何です?」
 な、何です? って訊かれても……。
 あたしは俯いて答えられない。だって、自分でもよく分からないんだもん!
「はぁ……」
 自分で自分が嫌になって、つい溜め息が出ちゃった。社長の前で溜め息なんて! 慌てて口を押さえたけど、遅いよね。
 篁さんが何か言う気配があって、あたしは反射的に身を縮こませた。
「あなたはウォッカがお好きだそうですね」
「は?」
 全然予想と違う言葉が出て来て、つい顔を上げて失礼な聞き方をしちゃった。
「岡崎さんから伺いました」
「岡崎……あっ、マスターさん?」
「彼にはウォッカが好きなことを話したのでしょう? 色んな武勇伝をお聞きしましたよ」
 ぶぶぶ武勇伝て……マスターさん、どんな話をしたんですか!? ……っていうか、篠宮さんに助けられた時のことだったら、あたし何を言ったのか全然覚えてないよー!!
 頭抱えて座り込みたい。ううん、いっそ穴を掘って埋まりたい!
 篁さん、何でいきなりそんなこと言うの!?
「岡崎さんにその話をしたのは、何故です?」
 な、何故って……
「バーのマスターさんですし、お酒のこととか話しやすかったので……」
 篁さんは頷いた。
「あなたはお酒が好きなことを、自信を持って話せるのでしょう? それは何故です?」
「え……何故って……す、好き、だから……です」
「お酒のことなら自信がある」
 う……、それは、確かにそうだけど……。
「日常面でも、それと同じ様に出来ればいいのですよ」
「そ、そういうものでしょうか……」
 なんか納得出来ない。
「そう考えたら、少しは気が楽になりませんか?」
「…… でも、お仕事とお酒は次元が違います」
「勿論ですよ。趣味の話と仕事を同じレベルで考えてはいけませんが、私が言っているのはあなた自身の意識についてです」
「…………」
「仕事はあなた一人でやるものではありません。だからこそ責任も伴いますが、一人でその責任を背負うことはないのです。失敗しても誰かがフォローします。同じ失敗を繰り返さなければいいのですよ。それでも、その頑な意識は変わりませんか?」
「あたし……失敗を恐れているんですか?」
「私にはそう見えます。研修期間は伊達にあるのではないですよ。今の内に大いに失敗することです」
 お、大いにって……篁さん、太っ腹過ぎ。でも、そういうものなんだ。ちょっとだけ気が楽になった……かも……? でも篁さんの言い方が上手くて、そう思っただけかもしれない。
「それともう一つ。自分に対する自己評価は捨てなさい」
「え……」
「あなたは自分を知らなさ過ぎる。もっと周りの声を聞いて、それを受け入れなさい」
 そ、それは……。自分の顔が引きつっていくのが分かった。
「すぐには無理でしょうが、そういう努力はしていきなさい。これは、ここで働く上での約束です。いいですね」
「……はい」
 神妙に返事はしたけど、そんな自信ありません。
 篁さんの顔を見れなくてうつむいていたら、ポンポンと頭を撫でられた。そして頭に手を乗せられたまま、上向かされた。
「え? あの……たか、社長?」
「最後に一つ。今後、私の前でうつむくことは禁止です」
 ええ!? そ、そんなぁ……
「言ったでしょう。あなたには荒療治が必要だと」
「い、今までのも十分荒療治だと思いますけど……」
「ならば更に」
「め、滅相もありません!」
「ではそのように」
 うわぁーん、勢いでとんでもないこと言っちゃった! でも、ああ言わなきゃ、他にどんな課題を出されるか!
「さて、行きましょうか」
「う……は、はい」
 なんか、騙し討ちに遭ったような気分で、篁さんの後について社長室を後にした。
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