清水さんに連れられてやってきたのは、会社の30階にあるラウンジ。
1フロア丸々食堂……というかレストランみたいになってて、セルフサービスで好きなメニューを頼めるようになってる。
昨日清水さんに連れて来てもらったのもここで、社員証があれば誰でも無料でご飯が食べられるのだそう。
10人くらい入れる個室が3つあって、そこはご飯食べながら会議が出来るようになっているんだとか。知れば知るほど、でっかい会社だわ……。
あたしは研修だけど、仮の社員証があるからここを利用出来るんだって。そういえば昨日受付のお姉さんに、これがないと会社に入れないとか言われたことを思い出した。
清水さんはクリームパスタにサラダとコーヒー。あたしはデミグラスソースのオムライスとサラダ、それにミルクティーをトレイに乗せて、窓際の席についた。
1フロア全部がラウンジだから、メチャクチャ広い。混むなんてありえなさそう。
清水さんはあたしの向かい側に座って、両手の平を合わせて「いただきます」と小さく呟いた。
「いただきます」とは言っても、手を合わせる人は初めて見た。ちょっとビックリ。
あたしの視線に気付いたのか、清水さんはフワッと笑って言った。
「私もつい最近までは手を合わせてなかったのよ」
「え? そうなんですか?」
「ええ。私の尊敬する人がやっているのを見て、真似するようになったの」
清水さんが尊敬する人……誰なんだろう?
「先に言っておくわね」
ボケッと考えていたら、清水さんに少し深刻そうな表情で言われた。
「はい?」
「お昼を食べたら社長室に行って頂戴」
「はい……え? あの、もしかして一人でですか?」
「ええ、そうよ。なんでそんなこと訊くの?」
パスタをフォークにクルクル巻き付けながら、清水さんが不思議そうに訊いてくる。
なんで? って、まだ来て二日目でしかも新人で研修で……そんなあたしが一人で社長室に入るって、凄く勇気がいる。
は! まさか!?
あたしはスプーンを置いて、清水さんを窺うように訊いた。
「あの……もしかしてメールの翻訳で変なことしちゃったでしょうか?」
そうしたら、清水さんはちょっとの間キョトンとした顔をして、それからパスタを巻き付けたフォークをお皿に置いて、クスクス笑った。
「ふふ、違うわよ。昨日、ドイツ支社の規模拡大の話があったでしょ。それのことよ」
「あ…… そ、そうですか」
ホッとして玉子の乗ったチキンライスを口に入れた。
「その時に、ドイツ支社プロジェクトの幹部メンバーを紹介されると思うわ」
「ごふっ」
口に入れたばかりのチキンライスを吹き出しそうになる。
何とか咀嚼して飲み込んで一息ついてから、慌てて言った。
「あ、あたしはまだ研修で、しかも昨日入ったばっかりですけど……」
「会社で仕事をしている以上、たとえ研修で入ったばかりだとしても、あなたはプロジェクトの一員なの」
「でも……あたしはたか、社長さ、社長の秘書なんですよね? そこまでやらないといけないんですか?」
こんなこと訊いたら業務拒否って叱られちゃうかな? と思ったけど、清水さんはちょっと苦笑するような感じで教えてくれた。
「ウチくらいの大企業になると、秘書にも色んな仕事が回ってくるのよ。社長秘書というより、会社の秘書という感じかしらね」
うう、そうなんですか……。まだまだ慣れるには前途多難です。
お昼過ぎからのことを考えると、さっきまで美味しかったオムライスの味も分らなくなっちゃった。
はあ……
深〜く溜め息ついた時、周りが急にザワッと騒ぎ出した。
何事? と思って顔を上げたら、スーツを着たすっごくカッコイイ男の人が、トレイを持ってこっちに向かってきていた。
……って、篁さん、じゃなくて社長さん! しかも手に持ってるトレイの上にあるのは、どんぶりとお新香の乗ったお小皿に湯気の立つ湯飲茶碗。
えっと……なんて言うか、篁さんの立ち姿があんまりにもスマート過ぎて、どんぶりが似合いません。
篁さんは周りから声を掛けられると律義に挨拶して、ゆったりと歩いて来る。カッコイイ人って何を持ってても、何をしててもカッコイイんだなぁ。
なんてボーッと篁さんを見ていたら、何故かあたしたちの前にやってきて、「隣りいいですか?」と訊いて来た。……っていうか、何であたしに訊くの? 目の前に清水さんがいるのに……。
訳も分らずポカンと篁さんを見上げていたら、清水さんが「どうぞお座り下さい」と言ってくれて、篁さんはあたしの隣りの席に座った。
な、なんでわざわざここに座るの!?
しかも、どんぶりの中身はカツ丼。篁さんにカツ丼……絶対似合わない!
周囲からは視線が痛くて、ヒソヒソ言う声も聞こえて来た。
「おい、見ろよ。社長が座った席」
「うわっ、スゲェ美人じゃん」
「見たことないよねぇ? 誰だろ?」
「フリーかな……」
「バッカ、お前になびくかよ!」
「っつうか、あんだけ美人じゃ、もう決まった相手もいるだろ」
「いいなぁ、社長の隣り。あたしも座りたい……」
「あんな美人が相手じゃ、あたしたちが勝てる訳ないでしょ!」
「清水さんが一緒ってことは、あの例の社長秘書?」
「ドイツ語ペラペラなんだって」
「社長に見込まれるなんて、やっぱりあたしたちとは違うわね」
ひぇ〜〜! 今のってもしかしなくても、あたしのこと!?
いやあぁ、みんな何を根拠にそんなこと信じてるの!? それ言ってるのは、あたしなのことですよぉ!? まだ昨日来たばっかりのド新人なのに!!
冷や汗が出そうで、両手を足の間に挟んで下を向いて縮こまっていたら、篁さんがカツ丼を前に、両手の平を合わせて「いただきます」と言った。さっきのヒソヒソ話、篁さんの耳にも届いてるはずなのに、全然気にした様子もない。な、なんかもう、すっごく心細いんですけど……!
あれ? そういえば、今篁さん手の平を合わせてた。もしかして、清水さんの言ってた『尊敬する人』って。
チラッと向かいにいる清水さんを見てみたら、凄く嬉しそうな微笑みを浮かべて、篁さんを見ていた。ふと、あたしと目が合って、苦笑いをする。
清水さんて、篁さんのこと好きなのかな? はっ! 上司に対して何てこと思ってんの!?
ブンブン首を振って、変な考えを頭から追い出した。お陰で昨日の加奈子と里佳の話を思い出しちゃった。
ホントに篠宮さんてあたしなんかを好きなの? あたしって、あんまりいい印象ないと思うんだけど……。
あたしはどうなんだろう? 今まであんまり考えたことなかった。キ、キスされたことがある意味ショックだったけど…………
「島谷さん?」
ハッ!
「あ…はい!?」
「どうしたの? ぼーっとして、大丈夫? 疲れてる?」
顔を上げると、清水さんが心配そうな顔であたしを覗き込んでいた。
「あ、だ、大丈夫です! すみません、ボケッとしちゃって」
「それならいいけど。まだ慣れてないんだし、無理はしないようにね」
「はい。……えと、ありがとうございます」
ペコッと頭を下げたら、清水さんがクスッと笑うのが見えた。
うう、連日恥を晒してます。
「はあ……」
思わず溜め息が出ちゃって、慌てて口を塞いだ。
ちょうど篁さんが食べ終わって、箸を置いてからまた手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った。大人の男の人がこういうことするの、初めて見た。
チラッと横目で見てみると、篁さんもあたしを見た! ギョッとしてちょっと身を引いてしまう。
「島谷さん」
「は、はい!」
き、緊張して声が裏返る!
「1時になりましたら、社長室に来てください」
うわぁ、社長さんから直々に言われてしまいました。逃げるなんて出来ないけど、やっぱりちょっとだけ逃げたくなった。