Act.3 叶わなかった夢 ...3

 2杯目のアーリータイムズも一気飲みしてしまった篠宮さんが煙草を咥えると、その若いバーテンさんがすぐにライターの火を差し出してきた。こういう大人な感じのやり取りって初めて見る。なんか感動。
 ずっとマスターさんと話していたから気付かなかったけど、店内には煩くない程度に音楽が掛かっていた。あたしはよく知らない音楽だけど、ドラムやピアノ、サックスとかが軽快なメロディを奏でているのだけは分かる。
 音楽は鳴っているけど、何も話さないのは何だか息苦しくて、気まずさから残っていたショットグラスのウォッカを一気に呷った。口の中に広がる強烈なアルコール。でものど越しはとてもスッキリして、後味は甘い。あたしが好き系のお酒だった。
 グラスを置くとバーテンさんがあたしを見てきた。お代わりをお願いするつもりでちょっと頭を下げたら、すぐに同じのを注いでくれた。あたしはアーモンドを一つ口に入れた。
「あの……なんであたしを連れて来たんですか?」
 さっきはちょっと機嫌が悪かったみたいだけど、返って来た声は普通だった。
「メシ食うから付き合えって、言っただろうが」
「でも、ご飯食べるだけなら、あたしいらないじゃないですか?」
「一人で食っても不味いだろう」
「はあ……。でもマスターさんとは親しいみたいですし……あ、そう言えばこの前の、立て替えて下さってたんですね。あたしお返しします」
「いらねぇよ」
 お財布を出そうとして、手が止まってしまった。
「え……でも」
「大した金額じゃねぇから、いらねぇ」
 篠宮さんは横を向いたまま、無表情に煙草を吸ってる。
 そりゃあ、お金持ちの篠宮さんから見れば、大した金額じゃないだろうけど。
「ダメですよ、篠宮さんにはホテルの宿泊費だって、出してもらったんですから。こういうの、お金のことは友達同士でも貸し借りはしちゃ駄目って、お母さんから言われてますし」
 いくらか分からなかったけど、とりあえず一万円をお財布から出して、篠宮さんの前に差し出した。
 篠宮さんはカウンターに置かれた諭吉さんを一瞥しただけ。受け取ろうとはしてくれない。それどころか、突っ返されてしまった。
「いらねぇから、取っとけ」
「でも……」
「どうしてもってんなら、今後俺がメシ食う時に付き合ってくれりゃいい」
「はあ……。あの、それってずっとってことですか?」
「そうしょっちゅうじゃねぇよ。せいぜい、お前が忘れた頃に声を掛ける程度だろう」
「はあ……」
 なんか、この前デートと称して食事に連れて行かれた時と篠宮さんの感じが違う。横から見ているだけだから確かなことは分からないけど、ちょっとボーっとしてるみたいだし。心ここにあらずって感じで、煙草を吸ってる。
 ご飯を食べる時に付き合えって、誘われてちょっと嬉しく思うのも、なんか変な感じだし。あたし、なんでこんな風に思うんだろ?

 
 

 あれから篠宮さんは黙ったっきり。さっきまで加奈子たちと飲んでいたからか、人が一緒にいるのに何の会話もないなんて、沈黙が耐えられない。
 なにか会話の糸口は無いものか、悶々と考えていたら、一つ思い浮かんだ。
「あの、篠宮さんマスターさんのこと「師匠」って呼んでますけど、なんでですか?」
「師匠だからだ」
 ……それだけ?
「えと、なんのお師匠さんなんですか?」
 別に今回は分からなくてもいいや、って気持ちで訊いてみたら、意外な答えが返って来た。
「昔、ここでバーテンの修行をしたことがある。その時からの癖だ」
 想像もしなかった答えが返ってきて、あたしはしばらくあぜんとしていた。
「篠宮さん、バーテンさんになりたかったんですか?」
「自分のホテルのバーでオーナーがバーテンをやってる。いいだろ」
「はあ……」
 いいのか悪いのか、あたしには分からないけど、篠宮さんの顔はどこか得意気だった。
「愁介の夢だったんですよ。彼のホテルのバーで、お客様にカクテルを作るのが」
 いきなりマスターさんの声がして驚いた。大きなお皿に山盛りのサンドイッチが乗っている。パンの表面がこんがり焼けていて、結構分厚い……えっと、アメリカンクラブハウスサンドって言うんだっけ? これ。
「夢って訳じゃねぇよ」
「まぁ、そういうことにしておくか」
 篠宮さんの、あの殺人光線を含んでる様な視線で睨まれても、マスターさんはどこ吹く風。篠宮さんはちょっとだけ迷惑そうな顔をして、ウィスキーを飲んでる。
 その篠宮さんの前に、たぶん2人分は軽くある、アメリカンクラブハウスサンドの乗ったお皿が置かれた。
 えっと、これ全部一人で食べちゃうんですか? 篠宮さん。見掛けと違って大食いなんだ……。
 ……とか思ってる内に、篠宮さんは物凄いスピードで、サンドイッチを食べ始めた。見た感じで厚さが5センチは軽くありそうなのに、四つ切りになってるそれを二口で食べ切っちゃって。ちょっとビックリ。男の人ってこんな風にご飯食べちゃうの!?
 その時のあたしは、たぶんボー然って顔をしてたんだと思う。マスターさんがクスクス笑いながら、「響子さん、おかわりは如何ですか?」って訊いてきた。
「あ……い、頂きます」
 新しいショットグラスにウォッカが注がれて、あたしの前に置かれた。透明だからお酒だなんて、全然見えないのに、アルコールの香りは強烈なのよね。まぁ、あたしはそれは好きなんだけど。
 
 

**********

 
 
 結局……
 あれだけあったアメリカンクラブハウスサンドは、あっという間にお皿から消えてしまった。
 計った訳じゃないけど、たぶん15分は掛かってないと思う。大食いの上、早食いなんだ、篠宮さんて。やっぱりちょっと意外。
 食べ終わってすぐに、煙草を吸い始めた篠宮さん。せっかく食べたご飯の味が、煙草で消えちゃうんじゃないかと思うんだけど、煙草を吸わないあたしには分からない。煙草って美味しいの?
 ……訊こうと思ったけどやめた。きっとまた、あの意地悪そうな顔で笑われちゃうんだから。
 無言であたしの隣りで煙草を吸っていて、あたしって本当に何で連れて来られたんだろう?
「あのぉ……なんであたしを連れて来たんですか?」
「お前が酔い潰れた店を気にしてたって聞いたからな。ついでだ」
「………… はっ!?」
 ついでってなに!? ついでって! しかも聞いたって誰からー!?
「杉本っていう、お前の親友からだ」
「…………」
 この時あたしが絶句したのは、色んなものを端折って答えを言われたことと、加奈子の名前が出たからだった。そう言えば、さっき加奈子と里佳は篠宮さんを知ってそうな感じだった!
「あの……顔に出てるからって、何の前振りもなく答えを言わないで下さい。それに、なんで加奈子や里佳が、篠宮さんのことを知ってるんですか?」
 口から言葉が出た瞬間、自分が凄く拗ねているみたいでビックリした。なんであたし、すねたりしてるの?
 篠宮さんには笑われてるし。
「ふん、手間が省けていいだろう。あの二人とは、お前が洸史の面接受けた後で会ってるからな」
 はい!?
 なんで篠宮さんが加奈子たちと会うの? 洸史って誰?
 頭の中が「?」だらけで、訳分かんなくなっちゃってる。とりあえず落ち着こうと、ショットグラスを持って飲んだ。強いお酒がキュッと喉を通過して、通過して……でも、訳が分からないのは同じだった。
「えっと……色々訊いてもいいですか?」
「答えられることならな」
 咥え煙草で頬杖を付いてちょっと笑った篠宮さんは、至近距離で見ているからか強烈にカッコよかったけど、残念ながらあたしにはそれを見惚れている余裕はなかった。
「こうしって誰ですか?」
 真面目に訊いたのに、篠宮さんは意外そうにまじまじとあたしを見た。ううっ、そんなに顔を近づけないで下さい……。
「知らなかったのか? お前が受けた会社の社長だ」
「あっ……篁さん!?」
「面接受けたっつったら、他にいねぇだろ」
「……確かにそうですけど……。すぐに分かんなかったんです」
 ああ……またすねた口調。あたしってこんなに子供っぽかったっけ?
「そ、それじゃあ、もう一つ訊きますけど」
「クリスからお前らと会った時のことを聞いた。で、あの二人に会っておこうと思ったんだよ」
「…………あたし、まだ何も言ってませんけど」
「んなことくらい、訊かなくても分かる」
 ああそうですか! どうせあたしは分かりやすいですよ!!
 このあたしがこんなこと口に出して言えるはずもなく、出来たのは残ったウォッカを一気飲みすることだけ。ショットグラスに残ってた程度だから大した量じゃないけど、さすがにちょっときつかった。
 はぁ〜っと息をつくと、隣りからは「くっくっくっ」と笑う声。なんかあたし、やること成すこと墓穴を掘ってるような気がしてきた。急に恥ずかしくなって、下を向いた。底に小さな水溜りを作ってるショットグラス。こんなお洒落なお店で、こんな大人な飲み方して、嬉しいはずなのに、気分は沈むばっかり。
 うわ……目がうるんで来ちゃった。泣きそう……
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