Act.3 叶わなかった夢 ...1

「お疲れ〜!」
 都内の居酒屋で、あたしたちは卒論の打ち上げをした。カチンッとビールの並々注がれた小さめのジョッキと細長いカクテルグラスを叩き合った。
「いや〜もうどうなることかと思ったけど、無事終わってよかったね!」
 嬉しそうな加奈子の顔。里佳も満面の笑みでビールを飲んでる。あたしはビールは苦手だから、最初はジン・コリンズを頼んだ。加奈子には女の子らしくないって言われるけど、炭酸が効いていて結構美味しいのよね。
 店内は忘年会の会合らしい、スーツを着た人たちで一杯。あたしもあの会社に入ったら、こういうのに出ないといけないのかな、とふと思った。こういう居酒屋って、篁さんのイメージではないけれど……。

 
 

「ホントにもう、一生終わらないんじゃないかと思ったけど、何とか通ってよかった〜!」
 心底ホッとした加奈子の声でハッとなった。考えたってどうなるものでもないし、今は楽しまなきゃ!
「加奈子は5回もやり直したもんね」
「そういう里佳は3回でパスでしょ。凄いよ。あたしなんか、一生終わんないって思ったもん!」
 そう言いながら、ほとんど泣きそうな顔をしてる。ホントに大変だったんだ、加奈子。
「それを言ったら、響子の方がずっと凄いよ」
 いきなり里佳があたしに振ってきたから、ビックリした。
「え……あたし?」
「だって2回の提出でオッケー出たじゃない」
「あ、あれはたまたまだよ。二人に比べたら、準備期間が少なかったし、今思えば、結構適当なこと書いちゃっていたし」
「それが良かったんだよ。卒論はハッタリだ! って先輩が言ってたし」
 そういうものなの?
 加奈子の力説に目を白黒させていたら、里佳が笑った。
「それは極端だろうけど、まぁそういうところ、あると思うよ。要は、教授を納得させればいいんだから」
「そうだよね!」
 里佳の言葉に、嬉しそうな満面の笑みで加奈子は言った。
「でももう終わったんだから、そんなの忘れて今日は飲もう!!」
「おう!」
 再びジョッキをカチンと合わせて、二人はゴックゴックビールを飲んでいく。そのあまりのハイスピードに、あたしは笑っているしか出来なかった。お願いだから、今度は二人で酔い潰れないでよぉ!
 
 

**********

 
 
 2時間後。あたしが心配したようなことは、結局起こらなくて、三人無事に居酒屋を出た。
「今度はどこ行く?」
 お酒が入って、いつも以上にご機嫌の加奈子。里佳は「カラオケに行こう」と言って、加奈子はノリに乗っている。
 あたしもそれに異論はなかったけど、肩に掛けた鞄から馴染みの振動があって、立ち止まった。
「あれ? どうしたの、響子」
「うん、ちょっと待って。なんか電話がきた」
 いそいそ鞄から携帯を出して見ると、知らない番号からの着信だった。090で始まるから携帯だけど、誰だろ?
 二人に見守られている中で、通話ボタンを押して耳に当てた。
「はい、もしもし?」
『俺だ』
「はい!?」
 俺? ……って誰?
「あのぉ、失礼ですがどちら様でしょうか?」
 間違いだったら、大体これで切れるものね。でも、通話は切れずに、向こうから絶句するような気配がした。何なのいったい!
『お前、俺が分かんねぇのか!?』
 いや、そう言われても、分からないものは分かりません。
「どうしたの?」
 加奈子が怪訝そうに訊いてきたから、あたしは携帯を切った。
「分かんないから切っちゃった」
「いいの?」
「だって、俺だ、としか言わなくて、誰だか分かんないんだもん。気味悪いでしょ」
 携帯を折畳んで鞄に入れると、二人は何だか顔を見合わせてから、あたしを見た。
「え……な、なに?」
「ねぇ、それホントに知らない人だった?」
 いきなり何言うの? 里佳。
「え? だって、携帯の番号しか出なかったし、あたしの知ってる人なら、名前言うじゃない」
「声とか、聞いたことない?」
 加奈子まで。いったいどういうこと?
「だから、あたしの知ってる人に、「俺だ」しか言わない人なんて……」
 そこまで言って、ふと頭に浮かんだのは、篠宮さんの顔だった。
「やっぱり、聞いたことあるんじゃない」
「え!? あ、あたし顔に出てた?」
「うん、バッチリ。もしかして篠宮さん? って」
 ガーン! あたしってそんなに分かりやすいの!?
「響子の知り合いで、電話で開口一番「俺だ」って言う人、篠宮さんくらいじゃない?」
 里佳の言う通りですぅ。心の中で泣きながら同意してたら、今度は加奈子に言われた。
「響子さっき、「どちら様ですか?」って訊いたでしょ。相手はなんて答えたの?」
「え……何も言わなかったよ。なんか絶句しているみたいな感じはあったけど……」
「はぁん、決定的だね! 篠宮さん、「俺だ」って言って「どちら様ですか?」なんて返されたの、初めてなんじゃないの?」
 ニヤニヤ笑いながら加奈子が言う。そこであることに気付いた。
「ねぇ、なんで二人とも篠宮さんのこと知ってるの? この前会ったのはクリスさんだよ?」
 二人はちょっとだけ目配せするみたいに視線を合わせて、それからあたしを見た。
「まぁそれは今度でいいじゃない」
「だって加奈子」
「ほら、早く電話掛けたら? 着信記録に番号残ってるでしょ。篠宮さん、今頃怒ってるかもよ」
 加奈子にはぐらかされ、里佳に脅されて、あたしは仕方なくまた携帯を取り出して、電話を掛けた。
『俺だ』
 ワンコールで通じたよ。ちょっと怖いかも……。
「あのぉ、先ほどは」
『お前今どこにいる』
「は!?」
 てっきりさっきの対応を怒られると思ってたのに、篠宮さんの声はそんな感じは全然してなくて、なんか拍子抜けしちゃった。
『どこにいんだよ!』
「あ、あの。加奈子と里佳と、三人で居酒屋の帰りですけど?」
『場所は』
「え!? あの、なんでそんなこと」
『いいから、場所を教えろ』
 もう、なんなの一体!
「大学の近くですけど! 駅前です!」
『ああ、だったら10分で着く。待ってろ』
「はい!? なんで」
 ですか!? と続けようとして、ブチッと通話が切れた。
 な、な、なんなのよ!
 なんであたしがこんなこと言われなきゃいけないの!?
 だんだん腹が立ってきて、あたしは携帯を鞄に突っ込んだ。
「響子?」
「なんだったの? 篠宮さんの用って」
「知らない! もういいからカラオケ行こうよ」
「え、でも何か用があったんでしょ?」
「知らないってば! 10分で着くから待ってろって言ってたけど、用がなんなのか言って無いし、理由も言わなかったもん。いいよもう!」
 加奈子の手を引っ張って行こうとしたら、里佳に止められた。
「待って。篠宮さんは待ってろって言ったんでしょ? だったらここにいた方がいいって」
「なんで? いいじゃない別に」
「響子どうしたの? なんだか別人みたいだよ」
「あたしだってよく分かんないよ。でも、なんだか腹が立つんだもん。言われた通りに待つなんて、なんか嫌なの」
 こんなに子供っぽくごねる自分が、何だか信じられない。本当に、なんでこんなに腹が立つんだろう?

 
 

 それからきっちり 10分後に篠宮さんがやってきて、あたしは拉致られてしまった。
 まるで当然のごとく、と言う感じで、加奈子も美佳も笑顔で手を振って、あたしを見送った。なんでー!?
 篠宮さんは、あたしの腕を掴んでさっさと歩いて行っちゃう。ちょっと手首が痛かった。
「あの、篠宮さん。手…… 痛いんですけど」
 思い切って言ってみたら、少しだけ力を弱めてくれた。
 篠宮さんが街中を歩いている姿なんて、2年前に助けてもらった時しか見たことがない。ほとんど車で移動しているみたいだから。……と言えるほど、あたしも篠宮さんのことを知ってる訳じゃないけれど。ちゃんと知り合ってからも、会ったのは篁さんとの面接以来、今日が初めてだし。
 周囲は飲み会帰りのサラリーマンやOLさん、学生たちがいっぱい。大学の近くだから、いつも年末はこんな感じだけど、その中に篠宮さんがいるのは、何故だか妙な違和感があった。
 篠宮さんがすっごいお金持ちらしいことは、2ヶ月前に変な事情からデートと言って食事をおごってもらった時に、何となく分かった。あたしの就職に決まった会社の社長さんの篁さんとも、かなり親しい知り合いなのも知ってる。篁さんがこういうところで飲み会をするのに違和感があるのと同じで、篠宮さんも変に浮いているような感じがするのかも。
 でも、いったいどこに連れて行こうとしてるの?

 
 

「あのぉ……篠宮さん。どこに行くんですか?」
「メシ食いに行くから付き合えって、さっき言ったじゃねぇか。聞いてなかったのか?」
 ……問答無用で引っ張ってこられたと思うのは、私の気のせい?
「あたし、もうご飯食べましたよ? 電話で話したと思いますけど」
「知ってる。別にお前は食わなくても構わねぇよ」
 ……じゃあ何のためにあたしを連れて行くのよ?
「あの、まさかと思いますけど、またこの間のところみたいなとこに行くとか?」
「俺が好き好んで、あんな場所に行くと思うか?」
 違うんだ。ちょっとホッとしたけど、じゃあなんで?
 篠宮さんは、しきりに周囲を気にしながら歩いて行く。あたしはそれに引っ張られる形だけれど、なんでそんなに周りを気にするんだろう?
「あのぉ……」
「すぐに着くから黙ってろ。気が散る」
「はあ……??」
 気が散るって……、ただ歩いているだけなのに、なんで?
 そういうしている内に、篠宮さんの足が止まった。加奈子たちと別れてから、5分くらいしか経ってない。
「ここだ」
 そう言ってあたしを連れて入ったお店は、平屋建てのこじんまりとした、ちょっとお洒落なバーだった。
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