Act.2 これがあたしの進む道?...14

 篁さんは、手に持っている書類を何枚かめくって続けた。
「留学されていた大学から、貴女のレポートを取り寄せました。言い回しの違いによる添削はありますが、文法はしっかり理解されているので、問題はありません。専門的な単語は覚えて頂かなければいけませんが、日常会話としては十分でしょう」
 ひぇ〜、あの時のレポートを、ドイツから取り寄せたんですか!? 面接からそんなに時間が経ってないのに、いったいどうやって……あ、メールとかで!? でも早っ!
「あ、あの……でも、篁さんもドイツ語出来るじゃないですか?」
 そうだよ、何もあたしなんか雇わなくたって、篁さんがやればいいんだもん。
 そうしたら、篁さんは困ったような苦笑を見せた。うっ、いい男はどんな表情しても様になります!
「社長の私がやってしまうと、他の業務に差し障るので」
「……え」
 今、何とおっしゃいました?
 真面目に自分の耳を疑いました。
「しゃ、しゃ、社長……さん? 篁さんが、ですか?」
 絶対、今あたし、マヌケな顔してるよ! でも、考えてみたら、社長室で面接受ける人を待ってた人が、社長じゃない方が有り得ないよね……。
 でも、篁さんも驚いたような顔してるから、また驚いた。
「彼から聞いていないのですか?」
「か、彼って?」
「篠宮です」
 ぜ、全然そんなこと言ってませんでした! あ、ひょっとして知り合いだっていう話のこと?
 ……っていうか、てっきり篠宮さんが社長さんかも、って思ってたし。普通、社長さんがこんなに腰が低くて、丁寧で優しい人だなんて思わないもん。でも、そういえば面接の時、篁さん結構凄いことを居並ぶオジサンたちに言ってたっけ。
「篠宮から聞いているものと思っていましたが……なるほど」
 うっ…… なにが「なるほど」なんですか? しかも、おっきな溜め息まで。続いて呆れたような表情をしたし。
「彼と付き合うのは骨が折れるでしょう。人の都合をまったく考えない男ですから」
「え……つ、付き合う?」
 な、なんでそんな話になるの!? ビックリして敬語で言うの忘れちゃった。
「ち、違います! 篠宮さんにはホントに偶然履歴書を見られちゃって、就職先が決まってないなら、ここの秘書を受けろって言われたんです! 他の業務の面接は終わってるから、秘書しかないって」
 半泣き状態で考える間も無くしゃべっていたら、またしても篁さんが溜め息をついた。
 う……み、見苦しかった、ですよね?
 自分の顔が赤くなるのが分かって、思わず下を向いた。でも、篁さんの声は変わらず優しかった。
「ああ、違いますよ」
「え……?」
「貴女にではなく、篠宮に対してです。他業務の新卒採用者は、まだ決定していません。内定は出していますが、あくまで内定ですから、今後も調整はしていきます。私の目から見て見込みがあり、やる気のある人間で欲しい人材でなければ、採用する意味はありませんので」
 はっきりキッパリ言う篁さん。それにあたしが当てはまるとは、とても思えないんですが……。
「信じられませんか?」
「…………」
 図星を刺されて絶句しちゃった。あたし、やっぱり顔に出てるのね。
「その、あたしは篁さ…社長さんが言われるような能力なんて、持ってませんから」
「ふむ……篠宮から聞いてはいましたが、貴女の頑固さは筋金入りですね」
 そ、そんなことまで筒抜けなんですか!? …っていうか、あたしって頑固なの!? そんなこと、初めて言われたよ。
 篁さんは、あたしを見て軽く息を吐いた。
「自分を信じられないのなら、私や篠宮を信じてみては如何です?」
「え……」
 急にそんなことを言われても、唖然とするしかなかった。
「これは遊びではありません。私は言うまでもなく、篠宮も伊達や酔狂で貴女をここに来させたのではないのですよ。それでも信じられませんか?」
「…………」
 そこまで言われたら「信じられません」とは言えないけど、だからって……。
「自分を変えたいと思っているのなら、この仕事をやりなさい。生半可な覚悟では出来ませんが、貴女が本気でそう思うなら、任せられるでしょう」
「…………」
 すみません。口を開けて篁さんを見てしまいました。
 なんで篁さんは、こんなにあたしが出来るって誤解してるの!?
「どうしました?」
「あの……あたしのこと、誤解されてます。あたしにそんな仕事が出来るはずありません!」
 自分の胸に手を当てて、必死に出来ないことをアピールしたのに、篁さんは全然気付いてくれなかった。
「私は出来ると確信しているのですが、貴女がどうしても自分に自信がないのなら、しばらくここで研修してみては如何ですか?」
「はい!?」
 ビックリして声が裏返っちゃった。な、なんか篁さん、話の進め方が早くない? 今日って採用面接なんでしょ!? なんか、あたしがここに入ることが前提みたいに聞こえる。研修してもダメダメだったら、あたしの就職どうなるの!?
 不安になって、こわごわ訊いてみた。
「あの……今日は面接……ですよね?」
「ええ、そうですよ。何か?」
「あ……あの」
 なんて言えばいいのよー!
 いい言葉が見付からず、本気で頭を抱えたくなった時、篁さんの方が気付いてくれた。
「心配はいりません。貴女の他にも、採用が決まっている秘書はいますよ」
 あ、あ……そうなんだ。でも、なんか気が早くない? 篁さん。

 
 

 ふと、思い出したように篁さんが話し始めた。
「ああ、あなたには、言っておかないといけませんね」
「はい?」
 なんだろう? 改まって。
「先日の面接で貴女に暴言を吐いた者たちは、全員左遷、もしくは解雇となりました」
「え、ええ!?」
 マジでビックリして、思わず立ち上がっちゃうところだった。あたしなんかに暴言吐いたくらいで、クビになっちゃうの!? この会社!
「頑固に重役の椅子に座っている連中を一掃出来ましたし、最後まで居据わっていた者も、昨日免職に出来ましたからね」
 それを聞いて、心臓が止まるかと思った。篠宮さんに食事に連れて行かれた時のことを、思い出したから。
「………… あの、それって、もしかして、神尾さん、という方……ですか?」
「篠宮から聞いているのですね。ええ、彼は先代からの古株でしたので、何かと口を出されて困っていたのです。貴女には嫌な思いをさせてしまい、申し訳なく思っていますが、お陰で後腐れなくあの男をクビに出来ました」
 篁さん、メチャメチャ嬉しそうだけど、あたしはもう驚きで口を閉じることも忘れてた。
 神尾っていう人に凄んでいたのは篠宮さんだったのに。なんで篁さんが? もう、ホントに訳分かんない!
「あ、あの……篠宮さんは、この会社の方ではないんですか?」
 そうじゃなかったら、一昨日の篠宮さんの言葉はおかしいよね!?
 でも篁さんは苦笑するだけだった。
「私から詳細を申し上げることは出来ませんが、ここで働いていれば、いずれまた彼と会うこともあるでしょう」
 え…えっ、どういうこと!?
 気になったけど、これ以上ストレートに訊くなんてことがあたしに出来るはずもなく、訊きあぐねているうちに、篁さんの話は先に進んでしまった。

 
 

「ところで、卒業論文の進行度合いは如何ですか?」
「はい!?」
 い、いきなり話題が飛んだ。卒論のことなんて、なんで!?
「先程お話しした研修の件です。貴女の卒業に支障が出てはいけませんからね」
「…………」
「まさか、単位の取得不足がある、などということはないでしょうね?」
「…………」
 篁さんの目が怖いです。本気だったんだ、研修の話。
「どうですか?」
「…………」
「島谷さん?」
「あっ…す、すみません」
 優しかった篁さんが、急に怖く感じちゃった。でも、研修なんていきなり言われても……。
「そ、卒論は、資料をまとめている状態です。就職先が決まっていなかったので、まだ殆ど進んでいないんですけど……」
 こんなこと言わなきゃいけないなんて、恥ずかしい。
 笑われるかと思ったけど、篁さんは何か考えてるみたいな顔をして、左手で顎を押さえた。
「ふむ、では今後は卒論に専念出来るということですね」
「はい!?」
「確か、卒論の提出期限は12月でしたね」
「え?」
「でしたら、1月から研修に来られますね」
「ええ!?」
「年内に1月からのスケジュールを組んでおきますので、卒業式まで大学へ行く日にちを、今月中に教えて下さい。私の連絡先は後日、履歴書に記載されたメールアドレスにお知らせします」
「…………」
「島谷さん? よろしいですね?」
「……あっ、は、はい?」
 篁さんの話があんまりにも先に行っちゃってて、ついボケッとしちゃった。
「聞いていませんでしたか?」
「い、いいえ。聞こえてました」
「では、そのようにお願いします」
 さも当然といった風に、篁さんは言い終えて、持っていた書類を束ねた。
 まさか、これで終りですか? ほ、ホントに!?
 唖然としてたら、篁さんが席を立っちゃった。
「あ、あの!」
「? なにか?」
 そんな、呼び止めたのが不思議そうな顔で訊かないで下さい!
「ほ、ホントにあたしでいいんですか?」
「私にとっては貴女で十分なのですが、自分を信じられないのなら、騙されたと思ってやってみなさい」
 うう、そんな風にニッコリ笑って自信たっぷりに言われると、却って気後れしちゃうよぉ……。

 
 

 茫然自失、ていう感じで社長室を出ると、見たことのある女の子が紺色のスーツを着て、通路に立っていた。
 あの時、あたしよりも先に面接を受けた子だ。目鼻立ちがくっきりしてて、見るからに美人。篁さんと一緒にいたら、イケメン社長と美人秘書ですっごく絵になりそう。今回はあたしの方が先だったんだ。
 お先に……ていう意味でペコッと会釈したら、その子もお辞儀してくれたけど、すれ違い様に信じられない言葉を聞いてしまった。
「ふん、派手なスーツ着ちゃってバッカじゃないの? あんたみたいなカンチガい女、落ちればいいのよ」
 あんなに綺麗な子からこんな酷い雑言が飛び出すなんてビックリしちゃって、社長室のドアをノックするその子の後ろ姿を口を開けて見送った。
 さっきとは全然違う可愛い声色で「失礼します」と言って、社長室に入って行く、その変わり身の早さにまたビックリして、あたしは固まったままでいた。
 あたしの次に面接に来たってことは、あの子も採用が決まっているっていう人たちの一人ってことかな。
 ただでさえ気が重いのに、なんかあたしの就職、ホントに大丈夫なの……!?
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