Act.2 これがあたしの進む道?...11

 篠宮さんがいたからなのか、支配人の敷島さん自らが給仕してくれたフランス料理のフルコースは、今まで食べたどんな食事よりも美味しかったけど、お店の雰囲気がやっぱりあたしには高級過ぎて、楽しむ気分にはとてもなれなかった。
 周りの人たちのヒソヒソ話も、最後まで途絶えることが無くて、こういう場所は嫌いだと言う篠宮さんの言葉は、本当なんだと思った。
 支払いは頂けない、と言う敷島さんに、篠宮さんは「俺を特別扱いするなと言ってんだろ」って怒って、無理矢理現金を渡していた。チラッと見たら、一万円札が5枚はあった。あれの半分があたしのお腹に入ったのかと思うと、もうこういうところでご飯は食べられない。
 高いだろうなぁとは思っていたけど、二人で5万円なんて……あぜん。もう二度と、篠宮さんにご飯を奢ってもらうことは、しないようにしよう!
 これでやっと帰してもらえる……と思っていたら、入口のところで待っているように言われてしまった。敷島さんと篠宮さんは、二人で奥の方に引っ込んじゃって話でもしているみたい。
 厳密にはオーナーではないけど、それと同じ様な立場って、どういうことなんだろ? うーん、会社の仕組みとかって全然分からないから、見当もつかない。ま、いいか、そのうち分かるかもしれないし。
 ゆったりとしたソファが置いてあって、そんじょそこらのレストランとは広さもまるで違うから、ホテルのロビーみたい。ここで一人で待つというのは、何となく気が引ける。でも、外で待っているのも変だから、大人しくソファにポツンと座った。
 はああぁ……なんか、とっても疲れちゃった。壁に掛かった時計を見たら、まだ9時過ぎ。でもすごく眠たい。
 睡魔に襲われて、うつらうつらしそうになった時、憎悪の塊のような声で名前を呼ばれて、ビックリして顔を上げた。
「島谷響子。この小娘が、よくもあんなふざけたことを言ったな」
 い、一番会いたくない人が……面接の時にいたあのオジサンが、あたしの数歩前で仁王立ちしてる! こんな憎々しげに睨まれるようなこと、あたししてないよぉ!
 怖くて怖ろしくて、体が硬直して声も出なかった。
「篠宮とはプライベートな関係はないと、貴様言ったではないか! よくもこんなところへ、のこのこ出てきおったな。人をバカにしおって!」
「ち……ちがっ」
「この期に及んで、まだわしをたばかる気か!」
 やだ、やだ……なんで、こんなこと言われなきゃいけないの? 怖い……。
「貴様など、二度と就職出来んようにしてくれるわ!」
「そこまでにしておけ、神尾」
 怖くて泣きそうになった時、篠宮さんの声が聞こえた。あたし、よく泣かなかったな。視界がぼやけてないもん、あたし、涙出さないでいられたんだ。
 神尾って、このオジサンが?
「篠宮……くん」
「ふん、無理せず呼び捨てで構わないぞ」
 あえぐ様に言うオジサンに対して、篠宮さんは……いつもと全然違う顔付きだった。冷たい雰囲気で、触れたら切れちゃいそうなくらい、近寄り難い感じがする。
「随分と偉そうなことをぬかしていたな。お前にそんな権限がないことは、3年前に嫌と言うほど骨身に沁みていると思っていたが、まだ足りないか」
 ゾクッ。
 気のせいじゃなく、今すごい寒気がした。怒ってるんだ。こんな篠宮さん、初めて見る。右手をズボンのポケットに入れて、悠然と立っているように見えるのに、空気がすごく重くて息苦しい。
 オジサンはどこか焦ったように、取り繕う機会をうかがってるみたいに見える。あたしに怒鳴っていた時の、あの怖い感じはもう全然なくて、篠宮さんってあの会社で凄い存在の人なんだな、って漠然と思った。やっぱり、篠宮さんが社長さんなのかな。
 そんな時、敷島さんが丁寧にお辞儀しながら、オジサンにすっと近付いた。
「神尾さま、どうぞお席にお戻り下さい。お連れの方が、お待ちになっておられます」
 オジサンの顔が明らかにホッとしたようになって、そそくさと背中を向けてくれたから、あたしもホッとした。これで解放される、と思ったけど、篠宮さんの方は、まだ終わらせる気はなかったみたい。
「神尾」
 まるで金縛りにあったみたいにビクッと止まった、オジサンの背中。その様子がさっきとは全然違っていて、ちょっと笑えた。
「お前が自ら墓穴を掘ってくれたことに感謝するぞ。迂闊な人間はいらない。明日が楽しみだな」
 オジサンは、一気に10歳位老けちゃったような顔になって、トボトボとフロアの方に歩いて行った。敷島さんが後ろから支えるようにしてる。プロなんだなぁ……。

 
 

 ほうっとして敷島さんの後ろ姿を見ていたら、頭に温かい感触がした。
「すまなかったな、大丈夫か?」
 いつの間にか篠宮さんが目の前にいて、あたしの頭に手を乗せてくれていた。最初は、状況が全然分かっていなかったけど。
「あ、え……あっ! だ、大丈夫です。すみません!」
 慌てて立ち上がろうとしたら、足に全然力が入らなかった。
「お前が謝る必要はねぇだろう。……ん、どうした?」
 あたしがモゾモゾ身じろぎしていたからか、心配そうな篠宮さんが顔を覗き込んできた。うひゃっ! そんな至近距離で見ないで下さい!
「だ、大丈夫です! 今、立ちますから……きゃあっ!」
 どうしても立つことが出来なくて、でもそれを知られるのが恥ずかしくて、頑張って何とか立とうとしていたら、篠宮さんに体を抱えられた!
「は、放してください、篠宮さん!」
「腰が抜けてんだろ。無理すんな」
 うぐっ。や、やっぱりこれは、腰が抜けている状態なんですね。22年生きてて、腰が抜けたなんて初めてです。男の人にお姫様抱っこされるのも、初めてだけど。
 背中と膝の裏に回ってる篠宮さんの腕が、服を着ていても直接肌に感じて、すごく恥ずかしい。しかも篠宮さん、この状態でさっさとお店の外に出ちゃったから、周りから注目されちゃってるんですけど!
 六本木ヒルズを、お姫様抱っこされて歩くことになるなんて・・・。
「あ、あのっ! もう降ろして下さい!」
「まだ体に力が入ってねぇぞ。これで立てる訳ねぇだろう。大人しく抱かれてろ」
 うわーん、こんな状態だと、そんなことまで分かっちゃうんですか!?
「で、でも、あたし重いですよ!」
「重くねぇ。心配すんな、お前を落としたりしねぇよ。これでも体は鍛えてる」
「そういうことじゃなくて……もう、恥ずかしいんですってば!」
「歩けないことの方が、問題だろうが。それに、騒ぐと余計に目立つぞ」
 うう、確かに。気付いてない人まで、あたしの声で驚いて振り返っちゃうんだもん。どっちも恥ずかしいけど、何よりあたしなんかがイケメンの篠宮さんにお姫様抱っこされているのが、見苦しいような気がしてしょうがなかった。
「お前、まだ自分の容姿のことを誤解してんだろ」
 な、なんで考えていることが、そうすぐ分かっちゃうんですか!?
「すぐに納得しろとは言わねぇから、自分のことを卑屈に見せるのだけはやめろ。お前自身がこの先、損することになるぞ」
「そ、損得でなんか…」
「金のことじゃねぇ。お前自身の価値を下げることになるって、言ってんだよ。今すぐには無理だろうが、せめて卒業までには直しておけ。何なら手伝ってやろうか?」
「い、いいいいです!」
 碧さんと同じこと言ってる。もう、今日みたいのは、やらなくていいです! お金がいくらあっても足りなさそうだし。
「ふん、だったら自分で意識改革していけ。まぁ、明後日になりゃあ、嫌でも変わるだろうがな」
「え!? ど、どういうことですか!?」
「社長面接だろ。その時になれば分かる」
 そう言われた途端、体が浮いて足から地面に下ろされた。背中に当たるのは、金属質の硬い感触。駐車場に戻ってきたんだ。

 
 

 まだ体に力が入らないあたしを助手席に乗せてくれて、篠宮さんは車を出した。
「ホテルに戻るか、アパートに帰るか、どっちがいい?」
 なんて訊かれて、あたしは「アパートにお願いします!」と即答。ホテルに戻ったら、あのプレジデンシャル・スウィートに泊まらなきゃいけないじゃない! そんなのは恐れ多くて、とてもとても……。それに、篠宮さんたちも、あの部屋に泊まっているんだよね? 男の人が、しかも篠宮さんにクリスさんとイケメン二人がいる部屋でなんて、とてもじゃないけど眠れないよ。
 道はそれほど混んでいなくて、篠宮さんは結構飛ばしてる。車がそういうタイプなのかな、色んなメーターみたいなのが、いっぱい付いているから。
 あたしはそっと溜め息をついて、窓を見た。外は当たり前だけど暗くて、ガラスにあたしの顔が映ってる。本当に碧さんは、この顔以上の綺麗な人に会ったことがないの? 信じられない。
 自分の顔が映っているガラスに、指を当ててみた。やっぱり、全然実感がわかない。レストランでも言われてたけど、そんなにあたしって美人なの? 美人って思っていいの?
 不思議そうに見つめているあたしの顔の、その上に映っているのは、運転してる篠宮さんの横顔。
 ……あれ? なんか違和感がある? ううん、違和感って言うか、何か足りないような感じがする。なんだろ?
 あっ! 煙草、吸ってないんだ。あんなにヘビースモーカーなのに。
「あの、篠宮さん、煙草やめたんですか?」
「何だ? やぶから棒に。そんな訳ねぇだろう」
 ……だよね。でも、それじゃあどうして?
 訊こうかどうしようか、考えていたところに、篠宮さんの方から訊いて来てくれた。
「なんだってそんなこと訊くんだ?」
「だって、今日はホテルで一回吸ったのを見たっきり、全然吸ってなかったですから」
「ああ、会議中は体が受け付けなくなるらしい。碧に言わせると、過度のストレスが原因らしいがな」
 煙草を受け付けなくなるくらいのストレスって……。篠宮さんは簡単に言ってるけど、普通に考えたらおおごとだよね? それに、今は会議なんかじゃないのに、全然吸う気配がないし。
 会議って、そんなに大変なものなんだ。それなのに、今夜はあたしに付き合ってくれたの。なんだか、すごく悪いような気がした。
「あの、……今夜はすみませんでした」
「なんだ? 謝るようなことはしてねぇだろ。安易に謝るのは感心しねぇぞ。余計なトラブルを引き起こすこともある。気を付けるんだな」
 う……そ、そうなんだ。
「は、はい……えと、それじゃあ、今夜はありがとうございました」
「ふん、礼を言われるようなことも、したのか?」
「してくれましたよ。疲れているのに、あたしのことを連れ出してくれたじゃないですか。あ、あたしが言い出したことじゃなかったですけど、篠宮さんがいてくれて良かったって思うこともあったから……」
 言ってる内になんか照れちゃって、最後の方はゴニョゴニョ言ってるだけになってしまった。うう、意識改革って難しいな。
 篠宮さんは、隣で「くっくっ」って笑っているけど、嫌な笑い方じゃなかった。意地悪な感じがしない。
「まぁ、頑張るんだな。お前には見込みがある」
 そ、そうなの? それ以上聞いても、きっとあたし自身が信じられないと思うから、黙ってまた窓の外を見た。そこに映る篠宮さんの横顔を見ている内に、何となく悟ってしまった。
 篠宮さんには、言って気持ちをくんでくれることと、話しても全く無視されることがあって、あたしが消極的に思っていることは、意地悪なくらい絶対に聞いてもらえない。逆に、理不尽なことで傷付いたり、本当にあたしにとって大事なことだったりすると、すごく優しい。
 当然といえば当然なんだろうけど、篠宮さんの場合はそれが徹底してる。そういうの全部ひっくるめて、いい人ではあるんだけど、意地悪な時は本当に容赦ないのよね。
「はぁ……」
「響子」
「分かってます。今は本当に、悪代官に身を売るような気分だったんです。だから放っておいて下さい」
 ぷいっと顔を背けて言ったら、「マジで俺が悪代官なのかよ」なんて呟く声が聞こえてきた。だって意地悪な時は、ホントにそんな感じなんだもの。
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