Act.2 これがあたしの進む道?...10

 店内は薄暗くて、お洒落な電灯が大人な雰囲気を醸し出してる。
 入ってすぐに、タキシードを着た中年の男の人が近付いてきて、恭しく篠宮さんに頭を下げた。
「これは、篠宮さま。いらっしゃいませ、ようこそお越し下さいました」
 垣崎さんくらいの歳の人かな。低いけど包容力のある感じの声で、聞いていてすごく落ち着く。
 ひゃっ! あたしを見た。うう、こんな格好でごめんなさい。篠宮さんに(無理矢理)連れて来られたんですぅ……。心の中で一生懸命その人に謝っていたら、丁寧にお辞儀されてしまった。な、なんで!?
「初めまして、お嬢様。わたくし当店の支配人をしております、敷島と申します。以後お見知りおきを」
 な、なんかどっかで聞いたセリフ。もしかして……
「あ、あのぉ……もしかしてここも、篠宮さんがオーナーだったりするんですか?」
 本当は早く離れたかったけど、篠宮さんはそれを許してくれなくて、あたしは無理矢理顔を上げて訊いてみた。何しろ、あたしの頭は篠宮さんの肩くらいだから、首が痛い。
 篠宮さんは、逆にあたしを見下ろしてくる。うわっ! こ、こんなに間近で顔を見合わせたの、初めてだよぉ! しかも下から見上げているから、普段は前髪であまりよく見えない目の辺りとか、バッチリ見えちゃって、あんまりのカッコよさに顔が赤くなってしまった。
 篠宮さんは、そんなあたしを見て「くっくっ」って笑ってる。むう……なんでこう、意地悪く笑うんだろ! さっきはあんなに真剣な顔をしてくれていたのに!
「残念だが違う」
 あ、違うんだ、良かった。……と思ったのも束の間、敷島さんが遠慮がちに言ってきた。
「厳密には違いますが、そう考えて頂いて構いません」
「おいっ」
「わたくし共にとっては、篠宮さまはそれと同等のお立場でございますので」
 や、やっぱりそうなんだ……。でも、厳密には違うってどういう意味? 篠宮さんは小さく舌打ちしてるし。敷島さんは、そんな篠宮さんにちょっと苦笑いを見せながら言った。
「ただいま個室をご用意いたしますので、少々お待ち下さい」
 個室と聞いて、この前の篠宮さんのホテルで食べた朝食の部屋を思い出した。あんな感じだったら、まぁいいかなって思っていたのに、篠宮さんがとんでもないことを言った。
「いや、個室はいい」
「ええ!?」
 思わず声を上げちゃって、篠宮さんに睨まれて首をすくめた。
「ですが、よろしいのですか? お嬢様はこのような場所には、慣れていらっしゃらないようですが」
 敷島さん、優しいよぉ……。それに引き換え、篠宮さんは本当に意地悪だ!
「いいんだ、こいつに度胸付けさせるために来たんだからな」
 な、なにを言っているんですか、篠宮さん!?
「しかし、そのようなご意向ですと、本日はあまり状況がよろしくないと思われますが……」
「どういうことだ? 今日は特別な会合なんかなかっただろうが」
「はい、ございません。ですが、神尾さまがご家族でいらっしゃっておられまして」
「神尾?」
 ひぇっ! なんだろ、篠宮さんの声がすごく嫌そうに聞こえた。敷島さんは、すごく心配そうな顔であたしを見てる。神尾さんて、ヤバイ人なの!? もうお食事なんていいですから、早く帰りたい……。
 でも神様…この場合篠宮さんか…は、とことん意地悪だった。
「構わねぇ。こいつにとっちゃ、いい機会だ」
 ええー!? そんなあ……。

 
 

 敷島さんに案内されて、あたしは篠宮さんに引き摺られるようにして、廊下みたいなところを移動した。まるで篠宮さんのホテルの廊下みたいです。さすがに高級レストランだけあって、内装も豪華。いくつかドアがあるのは、きっと個室なんだ。はぁ……ここで食事だったら、良かったのになぁ。
 なるべく篠宮さんに聞こえないように、小さくふっと溜め息をついたところで、たくさんテーブルのあるフロアに出た。
 け、結構たくさん人がいる! みんな一目でセレブと分かるような、オジサマやオバサマばっかりだよおぉ! 若い女の子もいるにはいるけど、あたしみたいな格好している人、誰もいないじゃん! お店も豪華だけど、お客さんもそれに比例して煌びやかだった。
 ああぁ……面接の時のスーツもそうだったけど、篠宮さんの言う通りにしたって、全然ダメじゃない!
 しかも、あたしたちが入った途端、ガヤガヤしていたのが急に静まっちゃって。やっぱり……あたしがこんな格好してるから、変に目立ってるんだ!
 泣きたくなってきたところで、周りから今度はザワザワする声が聞こえてきた。耳を塞ぎたいけど、この状態じゃとても出来ない。
「まぁ、篠宮さまのご子息の愁介さまよ」
 ええぇ!? い、今、篠宮さんの名字と名前に「さま」が付いてたよ!? 言ったのはお客さんだよね!?
「珍しいですわね、愁介さまがこんなところでお食事なんて」
 こ、こんなところー!? この高級レストランが、こんなところ……
「一緒にいる女性はどなたかしら?」
 ゲゲッ! あたしのこと言ってるー!! やだぁ、絶対笑われてるんだ!
「ほう、大層な美人だな。どこのご令嬢だ?」
 ぎゃー! ご、ご、ご令嬢なんかじゃありません!! あなた様の目は節穴ですか!?
「んまぁ、悔しいけれどお似合いだわ!」
 に、に、似合ってなんかいませーん! あなた様の目は(以下同文)

 
 

 ヒソヒソ話している割にはやたらとよく聞こえて、いちいち心の中でツッコミ入れるたびに、あたしは血の気が失せる思いだった。その中で、最後に聞こえてきたのは、「島谷響子?」と呟かれたあたしの名前。
 ギクッとしてその声の方を見てみたら・・・・・・いたー!! あの面接の時に、篠宮さんとあたしがプライベートな関係なのかって、凄い剣幕で訊いてきたオジサンだった。今も、凄い怖い顔で、睨みつけるように見てる。
 な、なんでこんなところで、こんな状況で会うの!? やだ、本気で帰りたい。
 無意識に、組んでいた篠宮さんの腕をギュッと掴んだ。
「どうした?」
 無視されたり笑われたりしたら、絶対に泣き出していただろうけど、篠宮さんのが声が意外に優しくて、少しだけ気持ちが落ち着けた。
「い、いるんです。面接の時に、あたしと篠宮さんのことを、根掘り葉掘り訊いてきた人が……」
「ああ、気にするな」
 あ……。たった一言なのに、スッとあたしの中に入ってきた篠宮さんの声。面接の前日に車の中でも、やっぱりこうして篠宮さんの言葉が、あたしの中に入ってきた。たまに意地悪だけど、でもそれだけじゃない。ちゃんとあたしのことを、見てくれているんだ。
 思わずじーんときて涙が出そうになったから、必死に堪えた。泣いたりしたら、またバカにされちゃう。疲れているはずなのに、あたしの面倒を見てくれているんだもん、あたしだって変われるように頑張らなきゃ!

 
 

 敷島さんが案内してくれたテーブルは、窓際の一番端っこの席だった。椅子が4つあるけど、4人で座ってもすごく余裕のある、大きなテーブルだった。
 良かった、隅っこで。篠宮さんは、あたしからさっさと腕を抜いて、壁際の席に付いた。もしかして、あたしが他の人から視線を、受けないようにしてくれたの?
 敷島さんは椅子を引いて、あたしが座るのを待ってくれてる。ドラマとかで見たことがあるから分かった。こういうところは、お店の人が引いてくれた椅子に座るのよね。こんなこと初めてで、ちょっと緊張する。
「この席でしたら、お嬢様のお顔や仕草は、他のお客様からは死角になっております。作法などお気にされず、どうぞ食事を楽しまれて下さい。分からないことがあれば、篠宮さまをご覧になっていればよろしゅうございます」
 あたしから離れる時、敷島さんがそうささやいてくれた。そして何事もなかったように、篠宮さんと少し話をしてから戻っていく。他にも窓際の席は空いていたのに、ここにしてくれたのは、あたしのためだったんだ。
「どうだ? 少しは碧の言うことが納得出来たか?」
 あたしの向かいに座った篠宮さんが、テーブルに頬杖を付いて訊いてきた。なんか、楽しそうに見えるのは、絶対に気のせいじゃない。なんで意地悪なんかするんだろう、ちゃんと優しい人なのに。
「何がですか? 分かりません」
「ここにいる連中が、お前のことを話していただろう。あれを聞いても、まだ納得出来ねぇのか」
 そんな、呆れて言わなくてもいいと思う。本当に、分からないんだもん。
「だから、何をですか!」
「俺の隣にお前がいることを、誰も非難しなかっただろうが」
「……あ」
 言われて初めて気が付いた。そんなこと、気付けっていう方が、あたしには無理なことだけど。……けど、これって。
「あの、まさかと思いますけど、そのためにここに来たんですか?」
「当たり前だ。言っただろうが、俺はこういう場所は嫌いなんだよ。だが、来ればああいう連中が大抵はいるからな。あいつらは面と向かわない限り、世辞なんか言わねぇ。あれがお前を見た、あいつらの正直な評価だ。どうだ?」
 ど、どうだって、そんな急に言われたって……。
「あの人たちの目が節穴なんだって、思いました」
「ふん、ここまでやっても分からねぇのか。筋金入りだな、お前のそれは」
 うう……鼻で笑われた。でも、そんなこと、すぐには……分かんないよ。
「あの……それより、どうして篠宮さんと、腕を組まなきゃいけなかったんですか?」
 そういうことが目的なら、何もあんなことしなくたってよかったんじゃあ…?
 そうしたら、篠宮さんの右手が伸びてきて、頭をポンポンと撫でられた。
 ええ!? な、なんでこんなこと!?
「ああすれば、俺と同格に見られるからだ。お前が俺より一歩引いていれば、連中はそういう目でお前を見た。それじゃあ意味がねぇからな」
 あたしは開いた口が塞がらなかった。
「そ、そんなことで!?」
「そういう世界なんだよ。あの企業の社長秘書になれば、この世界に片足くらいは突っ込むことになる。実績よりも面子が評価の対象になることもあるんだ、覚えておけ」
 ますますあたしなんかには、似合わない会社のような気がしてきた。でもきっと絶対、受かる訳ないんだから、その辺は気楽に考えよう。社長面接だって、この前の時にみたいに、過ぎちゃえば大丈夫だよ。篠宮さんの言葉を信じれば、ああいうことはないみたいだし。……いまいち信用出来ないけど。

 
 

 ……さっきから背中にチクチク刺さる視線が痛い。たぶんこの視線は、面接の時にいたあのオジサンのものだわ。あの人が社長だったら、面接しないで逃げてこよう。あんな人の秘書なんて、絶対にやりたくないから! とはいえ、面と向かって会うのも嫌だ……。
「はぁ……」
 思わず溜め息をついたら、篠宮さんから例の殺人光視線を頂いてしまった。こ、怖い……!
  ……あれ? なんか今なくなったよ、あのチクチクする視線。あっ! もしかして今の篠宮さんの怖い視線は、あのオジサンに投げ付けたものだったの?
 だ、大丈夫なのかな。あの人が社長だったら、篠宮さんの立場が悪くなっちゃわない?
「あ、あの……」
「余計な心配すんじゃねぇ。大体、アレが社長だったらそもそも、お前を面接に行かせたりしない。だから心配するな」
 そう言って、また手を伸ばしてきて、頭をポンポンと撫でられた。何故だか急に、カァッとなって顔が火照っちゃった。恥ずかしいけど、ちょっと嬉しかった。
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