Act.2 これがあたしの進む道?...9

 あたしは今、篠宮さんの車に乗せられて湾岸線を走ってます。
 ああ、遠のいてく篠宮さんのホテル。このままアパートに帰るんなら、どんなにいいだろう。

 
 

 あれから30分もしない内に、篠宮さんとクリスさんが帰ってきた。随分早いなぁ……と思ったけど、時計を見たらもう6時30分を過ぎていた。
 帰ってきた篠宮さんに対して、碧さんは見た目にも分かるくらいウキウキした様子で
「このあとは、あなた暇でしょう? 響子さんを連れて食事でもしていらっしゃいよ」
 と言った。
 いきなりそんなことを、しかも言った本人がメチャクチャ浮かれているという、とっても胡散臭い様子で言われたら、普通は驚いて断ると思うんだけど、しばらく考えた篠宮さんはあたしに視線を向けて「しょうがねぇな」と呟いた。
 さっきはあんなに疲れてそうだったのに! だから絶対断ってくれると思っていたのに! どうして承諾しちゃうんですかー!? それも、「しょうがない」なんて言っておきながら!!
 言いたいことはたくさんあったけど、とてもそんなことを言える雰囲気でもなく、ましてそんな勇気もなくて、結局あたしは篠宮さんと食事に行くことになってしまった。
 クリスさんは、あたしのことを気の毒そうに見てくれてたけど、引き止めてくれるとか、何か一言言ってくれるとか全然なくて、とっても嬉しそうな碧さんと一緒に手を振って見送ってくれました。
 なんで? あたしが篠宮さんと食事に行くことが、なんで碧さんをそんなに嬉しがらせるの!? もう、訳分かんないよー!!
 
 

**********

 
 
 ホテルを出てから、篠宮さんはずっと黙ったまんま。やっぱり疲れてるんだ。だったら、どうしてあたしを連れ出したりしたんだろう……。
 走る車のエンジンと、外からする他の車の走る音がするだけで、車内はとっても静か。篠宮さんの向かっている場所がどこなのか知らないけど、このままなんて何か気まずい。でも、何をしゃべっても状況を悪くするだけのような気がして、あたしは貝みたいに口を噤んでいた。
 夜とはいえ、まだ7時前だから、湾岸道路はちょっと混んでる。それでも都心に向かっている車は、少ない方なのかな。止まらずに流れているし。
 周りの車は、当たり前だけどテールランプが赤くなっていて、前を見ていたあたしは目がチカチカしてきちゃった。こんなんで運転している篠宮さんて、凄い。それとも、慣れちゃえば平気なの?
 チラッと横を見てみると、無表情に運転している篠宮さんの横顔。やっぱり疲れているんだよね。
「はぁ……」
 もう何度目かな。ホテルを出てから、あたしは何度も溜め息をついちゃってる。ほとんど無意識で。
 それが漏れちゃってから、ヤバイ! と思って口元を押さえてるけど、はっきり言って遅いよね。こんな溜め息しちゃダメだよ。そう思っていた矢先に、篠宮さんからとんでもない言葉が飛び出した。
「おい響子。これから悪徳代官に身を売る生娘みたいな、人生諦めたような溜め息つくんじゃねぇよ。ホテルを出てから何回目だ?」
「…………」
 あ、悪徳代官!? き、生娘って……。なんて表現するの!?
 あまりな表現に、あたしは口を開けて篠宮さんを見た。あの溜め息で機嫌損ねちゃってたかな、って思ったけど……笑ってる?
 でも、とりあえず謝っておこう。悪いなって思ったのは、本当だし。
「す、すみません」
「別に謝る必要はねぇよ。碧と話しても、気持ちは変わらねぇのか」
 篠宮さんの言葉にドキッとした。碧さんを、呼び捨てにしたから……。
 あたしのことも、最初から名前を呼び捨てにしてたし、そういう人なんだって昨日の電話で聞いてたけど、なんかモヤモヤっとしたものが心の中にわき上がって、自分でもビックリした。
「か、変わらない……訳じゃなかったですけど……。社会に出ることを、怖いと思うのは誰でも同じだから、それを乗り越えないとダメだって」
「ふん、それでお前は納得したのか?」
「な、納得っていうか。怖いって思ってたのは本当だから……」
「分かっちゃいるが、そうそうは割り切れねぇってか」
「…………」
 そんなにズバッと言われると気後れしちゃうけど、そういうことかなって思ったから、黙って頷いた。
 自分の手が、無意識に膝の上に置いたトートバッグをさすってる。こんなことしたって、何かが変わるわけじゃない。変なのって思うけど、何もしないのはすごく心細い。
「他に何を言われた?」
「えっ? えっと、その……」
 い、言わなきゃダメ? おそるおそる篠宮さんを見てみたら、「言えっ」と視線で睨まれた。うう、怖いよぉ。
「あのぉ……その…、た、高嶺の花と思えとは言わないから、自分が路傍の花と思うのはやめなさいって……」
 こんなこと言わなきゃいけないなんて、すごく恥ずかしくて、最後の方は口の中でモゴモゴ言っただけなのに……狭い車内じゃ聞こえちゃってたみたい。言い終えた途端、隣から「くっ」と笑われた。
「お前が路傍の花だって?」
 その言い方がすごくバカにされたような感じで、ちょっとムッとした。碧さんはバカにしなかったのに。
「そうですよ! あたしなんて、その辺の石っころなんです! 高嶺の花なんて、あたしなんかには似合わないんですー!」
 自分でも驚いた。こんなに大きな声で拗ねたの、中学生の時に…お母さんの前でしかしたことなかったのに。
 篠宮さんは、隣で「くっくっくっ」って笑ったまんま。車が止まっていたら、絶対にお腹抱えて笑ってるよ。クリスさんの時みたいに。
「そんなに、笑えることですか?」
 そりゃあ、自分でも子供みたいだとは思ったけど、そんなにいつまでも笑われると、すごく傷付く。
「ああ、いや悪い。そうじゃねぇよ」
「じゃあ、何なんですか?」
「お前の自信のなさってのが、どこから来るのか分かったからさ。先に知ってりゃあ、碧に任せることもなかったな」
「……え? でも……」
 碧さんは、篠宮さんから大まかなことは聞いてたって言ってたのに……?
「お前が自分に対して、おかしなほど自信を持ってねぇって、そう言っておいただけだ。なるほどな、碧が俺とデートさせる意味が分かったぜ」
 はい? 今、なんとおっしゃりました?
「で、デート!?」
 思わず声を張り上げて、あたしはまたしても助手席で仰け反ってしまった。シートベルトが肩から外れそうになる。
 篠宮さんは、怪訝そうな顔であたしの方に視線を流してきた。
「なんだよ」
「だ、だって、デートだなんて碧さんは一言も……」
「男と女が夜連れ立って行くのが、デートじゃなくてなんなんだ?」
「だ、だって、食事に行くだけって……」
「………… 響子、お前男と付き合ったことねぇのかよ」
 なんで急にそんな話になるの!?
「つ、つ、付き合ったことって……」
「男と夜、食事に行ったことくらい、あるだろうが」
 なんでそんなことを、今ここで訊かれなきゃいけないのか、よく分からない。
「ないですよ、そんなの。放課後にファーストフードに行くくらいなら、高校の時に何回かありましたけど」
 ちゃんと答えたのに、あからさまに溜め息をつかれた。
 むっとした瞬間、篠宮さんの左手がシフトに伸びて、急に車のスピードが上がった。あたしはシートに押し付けられた。篠宮さんが車線変更をしたみたい。窓の外を見ると、ずっと走っていたのは左の車線で、行き先が違うらしいこっちの車線は、すごく空いていた。
「え? あの、篠宮さん?」
「そういうことなら、行き先は変更だな」
「はい?」
 いったいどこに行くんだろう? 元々の行き先も知らなかったあたしは、改めて訊くことも出来ずに、大人しく篠宮さんの横で座っているしかなかった。
 いったいどうなっちゃうの!?

 
 

 そして着いた先は、六本木の名所になったあそこ。あのヒルズですよ。
 駐車場に車を停めて、篠宮さんから降りるように言われた。こんな格好で、このヒルズで食事!?
「あ、あの、篠宮さん」
 さっさと歩いて行っちゃう篠宮さんを追いかけて、声を掛けた。
「なんだ?」
「あの、あたしこんな格好なのに」
 言った途端、急に立ち止まられて、あたしはまた背中に激突しそうになった。なんとか、その前に止まれたけど。
 くるっとこっちを向いた篠宮さんは、呆れたような顔で見下ろしてきた。
「え? 篠宮さん?」
「お前な、自分を路傍の花と思ってる奴が、なんで格好を気にするんだ?」
「え……」
 だって、女の子だもん。こういうところで食事するなら、ちゃんとオシャレして行きたいじゃない。
 そう、説明しようと思ったのに、篠宮さんは溜め息をついてた。
「言っとくが、お前の今の格好は変じゃねぇぞ。俺がこの程度のスーツなら、十分だ」
「こ、この程度って、ブランド物じゃないんですか?」
「違う」
 え? 違うって、どう見てもモノはすごく良さそうなんですけど。電車の中で見る、サラリーマンのおじさん……お兄さんたちとは、全然見た目も違いますよ。
 それに引き換え、あたしは紺のニットカーディガンに、モノトーン花柄のフレアスカート、靴は低い踵のパンプスだし。カーディガンに光沢とレースの飾りが付いているのが、救いと言えば救いだけど。あ、あと成人式のお祝いに、お父さんがくれた誕生石のネックレス。
「とにかく、そんなこと心配すんじゃねぇ。ったく、マジで自分のこと分かってねぇんだな」
「そ、そんなこと言われたって……」
 下を向いてボソボソ話してたら、また溜め息をつかれてしまった。
「あのな、ヒルズだからって全部が全部敷居の高い料亭だとか、スンゲーフランス料理のフルコースだとか、思ってんじゃねぇだろうな」
「え? 違うんですか?」
「当たり前だ。大体、俺はああいう場所は嫌いなんだ」
 口をへの字に歪めて、ふんっていう感じで言う篠宮さんは、なんだか今までと違っておかしな感じがした。
「それじゃあ、なんでここに来たんですか?」
「碧がああ言ったってことは、お前のは重症だってことさ。だから連れて来た」
「?? ど、どういうことですか?」
「来れば分かる、ついて来い」
 そう言って、またさっさと歩いて行っちゃったから、あたしも駆け足で追いかけた。普通のレストランとかに行くんだって思って、ホッとしながら……。

 
 

「嘘つき。嫌いだって言ってたところ、そのものじゃないですかっ」
「ああ言わなきゃ、ついて来ねぇだろ」
「それは、そうですけど……」
 素直について行ったあたしがバカだったんだけど、着いた先は篠宮さんの言うところの「スンゲーフランス料理のフルコースの出る」お店でした。
 外観を見た時点で、そういうお店だって分かっちゃったもん。逃げようと思ったら、篠宮さんに腕を掴まれてしまって断念した。
「碧に言われただろ。環境が変われば性格も変わるって」
「み、碧さんはそんな風には言ってませんでした!」
「じゃあ、なんて言われたんだ。言ってみろ」
「生まれ持った性格なんてないから、環境によって、それはいくらでも変えることが出来るって……」
「同じことじゃねぇか。いいから来い。格好は気にすんな、入れば分かる」
 入らずに済むならこのまま帰りたかったけど……。
 篠宮さんの目はとても静かにあたしを見ていて、声もすごく落ち着いていた。意地悪している時の、篠宮さんの感じとは明らかに違っていたから、あたしは言う通りにしてみることにした。本当に、今の自分が変われるなら、変わりたかったし……。
「じゃあ先ず、俺の左側に立て」
「は?」
「いいから、ここに来い」
 訳が分からなかったけど、篠宮さんが指で示したところに立った。
「んで、腕を組め」
「ええ!?」
「俺の左腕に、お前の腕を絡めるんだよ。映画とかで見たことあるだろ」
「ど、どうしてそんなこと、しなくちゃいけないんですか!?」
「必要だからだ」
 真顔で言われても釈然としなかったけど、このままお店の前で立っているのも変だし、しょうがないから言うとおりにした。
 うわっ、篠宮さんて結構がっしりしてる。見た目はすごく細そうなのに、掴んだ腕は意外と硬くて。男の人ってみんなこうなの!? か、体が密着してるみたいで、し、し、心臓が爆発しそう・・・。
「行くぞ」
「あ」
 うわぁん、こ、こんな状態のまんまで!? ……と口に出す暇もなく、篠宮さんに引きずられるようにして、あたしは店内に連行されてしまった。
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