Act.1 思わぬ再会...5

 車は東京湾を横目に、湾岸線を都心に向かって走ってる。うーん、ベイエリアのリゾートホテルなんて、きっと普通の部屋でも高いんだろうな。あそこの部屋代って、ホントいくらだったんだろう。
「はぁ……」
 思わず溜め息が漏れた。ヤバイと思って慌てて口を押さえたけど、はっきり言って遅いよね。
「なんだ? さっきから景気の悪い溜め息をしてるな」
 運転している篠宮さんは、前を見ながら声を掛けてきた。いやもう、あたしのことは放っておいて下さい、って言いたい。
「だって……あたしなんかをあんな部屋に泊めて、良かったんですか? あたし、あんなところ払えません」
「お前に払えとは、一言も言ってないだろうが。俺が勝手にしたことだ」
「でも……」
 あたしは膝の上に置いてある鞄の肩紐を、意味もなく手でいじった。本当、こういう時って手持ち無沙汰になっちゃうよね。
 ちょうど朝のラッシュと時間が重なって、道路はかなり渋滞してる。さっきから、ノロノロ走っては止まって……の繰り返し。あぁ……早くおうちに帰りたい。

 
 

 篠宮さんが、また煙草を出して吸い始めた。さっき吸ったばかりなのに、ヘビースモーカーなのは2年前と変わってないのね。
 加奈子を介抱してくれた時も、汚されてしまったスーツの着替えが届くまで、あたしの部屋で吸ってたもんね。あの後しばらくの間、部屋から煙草のニオイが消えなくて、苦労したなぁ。あの時からただの人じゃないとは思ってたけど、あんな凄い有名リゾートホテルのオーナーさんとはねぇ……。
 篠宮さんが、窓を開けて煙りをなるべく外に逃がしてくれてる。ちょっと煙いけど、閉め切りよりはずっとマシ。
 さっきもそうだったし2年前もそうだったけど、やっぱりいい人なんだなぁ…。ちゃんと気を遣ってくれてる。チラッと篠宮さんを見ると、全開にした窓の縁に右肘を乗せて、その指に挟んだ煙草を口元に持ってきたところだった。
 吸い口のところを舐めるような感じで、口に咥えるのを見た時、物凄くドキッとした。
 な……なに、これ!? なんでこんなに心臓が早く打つの!? しかも、篠宮さんから目が離せないんですけど!
 こんなに穴が開くんじゃないかってくらい見つめていたら、そりゃ向こうも気になるよね。篠宮さんが怪訝そうな目であたしを一瞥したから、慌てて前を向いて俯いた。自分の顔が、だんだん真っ赤になってくのが分かる。
「ふん……」
 って、鼻で笑う声が聞こえて、益々頬が火照った。湾岸線のド真ん中だけど、もうここで下ろしてほしいくらいだった。
 一本を吸い終えた篠宮さんは、吸い殻を車の灰皿に捨ててる。ポイ捨てしないんだ。そんなところもいいな……ハッ! な、何思ってんの!? あたし!
 目を瞑ってブンブン頭を振ったら、ようやく道路が流れ始めた。車のスピードが上がる。運転席の窓が閉まって、さっきまで煩かったエンジン音がなくなって車内が静かになる。

 
 

「お前」
 急に声を掛けられて、ドキッとした。そして、何だかとても嫌な感じがした。
「あの……あたし、島谷響子です」
「知ってる」
 だって、2年前に名乗ったもの。それに、垣崎さんもあたしの名前、知ってたし。篠宮さんが教えたのよね。
「だったらお前じゃなくて、ちゃんと名前で呼んで下さい」
 自分でもビックリするくらい、ふてくされた口調だった。こんなの…最低。自分の言っちゃったことに自己嫌悪して、思わず体を縮み込ませて俯いた。すると、隣から溜め息が聞こえた。
「響子、お前就職先が決まってないのか」
 は!? 一瞬頭が真っ白になったよ!
「な、何でそんなこと知ってるんですか!?」
 ……っていうか、何でいきなり名前呼び捨て!?
 思わず、篠宮さんに体を向けて仰け反った。シートベルトが肩から抜けそうになったけど、そんなことにも気付いてなかった。篠宮さんは無言でスーツの懐から、封筒を一つ出した。見覚えのあるそれは・・・
「あ… あたしの履歴書!」
 いつも必ず2通は持ち歩いていて、昨日は一社面接に行ったから、残りの一通。
「なんで、それを篠宮さんが持ってるんですか!? まさか」
「別に鞄を漁っちゃいねぇよ。昨日お前を連れてった時に、鞄から落ちたんだ」
 ほ、ホントに!?
「疑うな、本当だ」
 また顔に出てのかな。篠宮さんはいい人だから、信じてあげよう。
 あたしは、いそいそと座席に座り直した。なんか、恥ずかしいことばっかりしてるなぁ。篠宮さん、絶対呆れてるよね。
「それで、何ですか? 10月にもなってまだ決まってないって、笑うんですか?」
「笑ってほしいのか?」
「ち、違うけど……。大学の友達はみんな内定もらってるのに、あたしだけまだなんだもん」
 一人暮らしだから、まだ親にも言ってない。恥ずかしくて、とても言えないよ。
 はぁー、思い出したくない現実を思い出しちゃって、ますます気持ちが沈むあたしの耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
「俺の知り合いがちょうど今、新卒の募集をやっている。そこ受けろ」
「はい!?」
 何言ってるのか、全然理解出来なかった。でも、篠宮さんはどんどん話を進めちゃう。
「社長付きと役員付きの秘書だ。お前の希望は一般事務って書いてあるが、秘書やれ」
 ええ!?
「ちょ、何ですかそれ! 大体、篠宮さんがどうしてあたしなんか! それに秘書って……あたし資格持ってません!」
「資格なんてのは、仕事しながら取りゃいいんだよ」
「そ、そんなこと言われても……」
「言っとくが、俺は履歴書を出してやるだけだ。通るか通らないかはお前次第だぞ」
 あたしは開いた口が塞がらなかった。
「な、なんであたしなんかに、そんなことしてくれるんですか?」
「お前面白ぇからな」
 ガンッ!
 お、面白いって面白いって面白いって……。
「それに、俺から言わせれば、お前は変わった奴でないと雇われねぇよ」
 ガ−ンッ!!
「ど、どういうことですか? 変わった奴って……そんな変な人の会社なんですか?」
「変人じゃないから安心しろ。それを言うなら、むしろ俺の方が変人だろう」
 へ、変人て、自分から言う人も珍しいけど、確かに篠宮さんは変わってる。だって、個人的に知ってる訳じゃないあたしに、就職試験を斡旋するなんて…。
「あの……その面接っていつですか?」
「ふん、受ける気になったか?」
 だって、藁にも縋る思いは確かだもの。
「明日だ」
「は!? あし明日って、そんなの出来る訳……」
「ただの面接だ。訊かれたことに答えりゃいい」
 そ、その面接にあたしはことごとく落ちてるんですけど!? ……じゃなくて! 今日の明日で、その会社には迷惑なんじゃあ?
 でも、あたしは金魚みたいに口をパクパクさせるだけで、自分の意志を声に出すことが出来なかった。
 
 

**********

 
 
 でも結局言えないまま、車はあたしのアパートに着いてしまった。
 2年前に一回行っただけの場所、それもあの時は夜だったのに、説明も何もいらなくてスムーズに着いちゃった。男の人って凄い。
 ハザードランプを付けてサイドブレーキを引くと、篠宮さんはスーツの内ポケットから、カードケースとペンを出した。そこから取り出されたのは、篠宮さんの名刺。
 裏面はまっさらになっていて、そこにサラサラと何か書いた。ピッという感じで差し出された名刺の裏には、とある有名企業の名前と住所が書かれていた。ちょっと受け取るのが怖いくらいの、大企業。
「あの、この会社って……」
「3年前に社長が代替わりしたんで、社長付きの秘書を総入れ替えするんだそうだ。他の部署の採用はもう終わってる。受けるなら秘書しかねぇんだよ」
「で、でも、新卒で秘書なんかになれるんですか? 普通は経験者とか……」
 そうよ、そんな大変な仕事を、ぺーぺーの新卒なんかにやらせるなんて、おかしいもの!
「だから言ったろ、変わった奴だって。経験者は余計な先入観や、妙なエリート意識を持ってるから、扱いづらいんだと。元々持ってる価値観をぶち壊して教育するくらいなら、最初からまっさらな状態で教えた方が楽なんだそうだ」
「はぁ……」
 確かに変わってるかも。
「だから面接っつっても、そんな難しいことは訊かれねぇから、正直に答えりゃいい」
 そんなあっさりと。今までどうして落ちたのか分からないのに、こんな大きな会社の秘書なんて……。うぅ、泣きそう。
 篠宮さんがくれた名刺を睨んでいたら、視界がぼやけてきた。
「泣いて事態が好転するのか? 大体、この程度で泣いていて、仕事なんか出来るかよ。面接も受けたくないってんなら、それ返せ」
 篠宮さんの言う『それ』が名刺のことだって、すぐに分かった。けど……あたしは名刺をずっと持ったまま、それを眺めた。
 こんな大企業、今まで受けたこと無い。何回履歴書出しても、何回面接受けても、一つも内定を貰えなかった。昨日、思いっ切りお酒を飲んでる時に、もうどこも受けたくないって思った。
 だから、もうどこも受けたくないから、ここで最後にしようと思った。ここでダメだったら、もう就職は諦めよう。そう思わせてくれるくらいの、世界的に有名な大企業だった。
「受けます」
 自分でもやっと聞き取れるほどの小さな声。篠宮さんには絶対、聞こえなかったと思ったのに。
「ふん、やっと言えたか。どんだけ受けたのか知らねぇが、まだ時間はあるんだ。簡単に諦めんじゃねぇよ」
 言い方はキツかったけど、篠宮さんの言葉はスッとあたしの中に入ってきてきた。
 面白いからとか、色々言ってたけど、あたしのことからかってた訳じゃないんだ。ちゃんと考えて言ってくれてたんだ。でも……なんで?
「断っておくが、誰にでもこんなことやる訳じゃねぇぞ」
「え……じゃあ、どうしてですか?」
「さぁな、こんなのは明確な理由なんかいらねぇだろ。俺がしたかったってだけだ」
 篠宮さんて、やっぱり変わってるんだ。でも、いい人だよね。
「あの…ありがとうございました。明日、自信はないですけど、頑張ってみます」
 頭を下げてそう言ったら、ポンッと頭を撫でられた。
 驚いて篠宮さんを見上げると、無表情に前を向いていて逆の手で煙草を取り出したところだった。素っ気ない仕草なのに、何だか気持ちが軽くなった気がした。
感想・誤字報告を兼ねた拍手ボタン ←感想や誤字報告などありましたら、こちらをご利用下さい。