Act.1 思わぬ再会...3

 垣崎さんに促され、席についたあたしの目の前にボーイさんが来て、テーブルに置かれたグラスに水を注いでくれた。それからメニューを見せてくれて、料理は何がいいかと聞いてくる。
 朝食なのにコースになっていて、スープやサラダ、メインディッシュをそれぞれお好みで選べるものだった。さっきまでは、とてもご飯なんて入らないだろうと思っていたのに、レストランに入って人が食べているのを見た途端、急にお腹が鳴るんだから、つくづくあたしってゲンキンだなぁ、と思った。
 結局、メインディッシュはスクランブルエッグとベーコン、それにコーンスープとミモザサラダのドレッシング抜きを頼んで、飲み物は温かいミルクティをお願いした。ボーイさんがまた丁寧に礼をして去ったけど、ボーイさんたちは他のお客さんにも同じ様にしていたのを見たから、今度はそんなにかしこまらずに済んだ。
 あたしに気を遣ってくれて、、向かいの席に座ってくれていた垣崎さんは、ボーイさんが去るのを見届けると腰を上げた。
 え? 行っちゃうの? 垣崎さん。
 あたしの不安な気持ちが顔に出ちゃったのか、垣崎さんは穏やかに笑って言った。
「わたくしは仕事に戻らねばなりませんので。島谷様のことは大方の従業員は知っておりますから、何かありましたらお名前を仰って頂ければ、すぐに対応致します。わたくしの名を出して下さっても構いませんので」
 では……と、恭しくお辞儀して垣崎さんは行っちゃった。
 大方の従業員が知ってるって、一体どんな知り方をしてるって言うの!? うぅ…不安。しかも、こんな広い部屋にボーイさんと二人っきりなんて、物凄く気まずいんですけど!
 それでも空腹には勝てなくて、運ばれてきたコーンスープをすぐに飲み始めた。
 思わず唸っちゃうほど、美味しかった。

 
 

 スープと一緒に運ばれてきた、小さいサイズのフランスパンは焼きたてで、手で千切ると湯気が立った。ほわ〜、こんなパンを食べるの初めてだよ! フランスパンて普通硬いけど、焼きたてって結構柔らかいんだ。響子、生まれて初めての体験です!
 ほくほくした気持ちでスープを飲み終わると、まるでタイミングを見計らったかのように、メインディッシュとミモザサラダが運ばれてきた。ドレッシングが苦手なあたしは、サラダをベーコンやトマトと一緒に食べることが多いんだけど、このサラダは何故か甘味を感じて、野菜だけで食べられた。一体どういうサラダなんだ!?
 スクランブルエッグも甘くなくて、玉子そのものの味がとても美味しいし、ベーコンも油っこくなくてすっきりと食べられる。ホテルのオーナーさんのことがなければ、もっともっと楽しく食べられるのになぁ……。
 そんな心理状態でも、美味しいものにはお箸が運ぶもので(この場合、フォークかしら)、パクパク食べてると、あたしのテーブルに誰かが座った。他にもテーブルがあるのに、わざわざあたしの目の前の席に座ったよ。垣崎さんかな? と思って顔を上げたら、知らない男の人だった。
 何でか、緊張してるような表情で近付いてきたボーイさんに、コーヒーを頼んでる。
 口の中に入れたベーコンを、モグモグ咀嚼しながらその人を見ていたら、向こうもあたしに視線を合わせて来た。慌てて下を向いたけど、チラッと見えた限りでは、凄いカッコイイ男の人だった。
 ゴクンとベーコンを飲み込んで、あたしは上目遣いにもう一度その人を見た。うわ! まだあたしを見てるよ。ゆったりと椅子に座っている様は、偉そうだけど尊大じゃない。白いスーツに青いカラーシャツが、この人によく似合ってる。ネクタイはしてないし、開襟もしているのに、だらしない感じが全然しなくて、すごく清潔感のある人だった。
 ……あれ? この人、どっかで見たことあるような気がするかも。……どこでだっけ?
 じっと顔を見ながらミルクティを飲んでるあたしに、その人は意地悪そうな冷笑を浮かべて言った。
「前は加奈子とか言う親友が酔いつぶれていたが、今度はお前か」
「ぶふっ!」
 思いっ切り、ええ、そりゃもう遠巻きに見ていたボーイがギョッとするくらい、思いっ切り吹いちゃったわよ!
 慌ててナプキンで口の周りを拭いて、その人をよく見れば、「あ!」と思い出すその顔。
 ちょうどそこに垣崎さんがやってきた。あたしが呼ぶより早く、垣崎さんの方が目の前の男に恭しく礼をする。
 へ? と思ってボケッと見ていると、垣崎さんがとんでもないことを言い出した。
「おはようございます。オーナー」
「オーナー!?」
 驚いて思わず立ち上がった拍子に、ガチャンと食器が音を立てたけど、そんなことに気を遣っていられる状態じゃなかった。ボーゼンと突っ立ってるあたしの前で、二人は何やら仕事の話らしいことをしゃべってる。
 少しして垣崎さんが深々と礼をして出て行った。勿論、あたしにもちゃんと礼をしてくれる。うーん、またもや垣崎さんが含みを持ったような笑顔をする。訳が分からないけど、とりあえずあたしも立ったままで頭を下げた。
「ふん、俺が真夜中にお前を抱えて来たから、垣崎の奴が誤解してる」
「誤解?」
「お前が俺の女じゃないかってな」
「お、女ああぁ!? 何であたしが!?」
「俺がここに女を連れ込んだのは初めてだし、まして、客として扱わせて部屋代まで出したからな。そろそろ座ったらどうだ? ボーイが怪訝な顔をしてるぞ」
 言われてあたしは大人しく座った。
 この人は篠宮愁介さん。2年前ひょんなことで知り合った人。でも会ったのは一回きりで、まさかこんな再会するとは想像もしてなかった。あたしは二度と会うことはないって思ってたし、それは篠宮さんも同じだと思う。
 すぐに思い出せなかったのは、そのせい。でも、最初に会った状況が状況だから、忘れるはずもなかった。向こうも覚えてたんだ、あたしのこと。そりゃそうだよね。親切で色々手を尽くしてくれたのに、「変態」とか「最低」とか言われちゃね……。
「あのぉ、その節はすみませんでした……」
 あの時にちゃんと謝ったけど、思い出すと今でも物凄く悪い気がして、再度頭を下げて謝った。
「あの時にちゃんと謝ってくれただろ。今更蒸し返すつもりはない。大体、あの時の状況とお前の心理状態を考えれば、仕方ないことだ」
 ああ〜、そう言えば、2年前も同じ様なこと言ってくれたなぁ。
 
 

**********

 
 
 2年前の二十歳の時、親友の加奈子が大失恋した。
 相手は大学一のイケメン。女子の視線を一身に集めて、同時に男子の嫉妬と羨望の視線も集めてた。
 そんな男に恋をして、見ているだけでは我慢出来なくなって、加奈子は誕生日になけなしの勇気を持って告白した。彼女の一世一代の大告白だったのに……結果は振られてしまった。
 振られたのは仕方ない。縁がなかったってことだろうし。でも、許せないのはその振り方だった。
 あの男はあろうことか、
「鏡見てから来いよ、ブス」
 と冷たく加奈子を罵った。その上、一緒にいたあたしに向かって色目を使ったのよ! 呆れて物も言えなかったわ!
 加奈子は物凄い美人じゃないけど、笑うととっても可愛いのよ? なのに、あんな言い方するなんて! しかも、隣にいたあたしに含みのあるような目を向けて!
 どうしてかはその時には分からなかったけど、後日はっきりした。あいつはあたしに
「俺の女にならないか?」
 って言ってきたのよ! 目の前で酷い雑言で親友を振った男に、ホイホイとなびくとでも思ってんの!?
 当然、振ってやりました!
 あ、それで話を戻すけど、毎年お互いの誕生日には、プレゼント代わりに夕食を奢ろうってことを決めていて。今でもそれは続いてる。でもあの時は、当然の流れのように飲み会になった。
 自棄を起こして加奈子は飲み続けて、居酒屋で潰れてしまった。昨日のあたしもあんな感じだったのかな……。
 あたしは自分のアパートに加奈子を連れて行こうとして、店を出たのはいいけど、あまりの重さに動けなくなって、往来で立ち往生してしまって。
 それを助けてくれたのが、篠宮さんだった。
 偶然あたしを見付けてくれたらしいんだけど、一緒にいた男の人たちが、篠宮さんは物凄くお節介焼きだ、って笑ってた。そんな風にからかわれても、嫌な顔一つしないであたしたちを車で運んでくれて、アパートの6階にあるあたしの部屋まで加奈子を運んでくれた。
 その時に事件が起こったのよね。
 加奈子ってば車から下ろされた途端、支えてくれてた篠宮さんに向かって、思いっ切り嘔吐しちゃったの! あたしはもう、生きた心地がしなかったわよ! だって、篠宮さんスーツだったんだもん。それも高そうなブランド物で。それにゲロ吐かれたら、誰だって気分悪くなるでしょう?
 でも、篠宮さんは嫌な顔一つしないで、加奈子を介抱してくれた。
 「最低」だの「変態」だのって言っちゃったのは、加奈子が吐いたことで、気が動転してたあたしの代わりに、加奈子の着替えをしてくれたりしたのを、何を勘違いしたのか罵倒しちゃったから。
 でも、篠宮さんはそんなあたしにも、気にするなって言ってくれて……。
 あれ以来会うこともなかったのに、まさか、今度はあたしが酔いつぶれて助けられるなんて!
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